第4話 憎悪と羞恥の交差路で傀儡は足を止める
ようやく、住宅街まで来れた。
講習堂のある区域階層からさらに階段を下り、開放感のある市街地に出た時には大勢の人混みに酔いそうになった。
市街地に網目のように何本も入り組んだ道には、それ相応の裏道があり、一目で怪しいと分かるような建物もいくつか建てられている。
幼き頃興味本位で探検してみたら、痛い目に遭ってしまった。それ以来、ウーゼニアは裏通りに立ち入っていない。
そうした騒がしい町並みからちょっと外れた所に、ウーゼニアの住んでいる家がひっそりと建っている。
素朴で質素な造りをしている一般家庭の代表のような家。似たような構造の家が横一列に並んでいて、いかにも丹精込めず一気にこの建物群を建築しました感がでている。
そんな庶民感丸出しな家に、裕福な家庭で生まれ育っているキルキスを招待するのはかなり抵抗はある。
「……ただいま」
ガチャッと、自宅のドアノブを回して引き開けると、お帰りなさーい、と必要以上の大声を響かせてくる。
頭痛さえ起こしそうになるぐらい甲高い声は、まるで超音波のよう。いつも耳元を押さえたい衝動に駆られる。鼓膜が破れてしまっていそうな持ち主は、ウーゼニアの母親であるゼルミナだった。
なにやら、わざとらしく手を口元に持ってくる。
ウーゼニアにとっては、こんな恥ずかさ満載の人間でも母親だ。
精神的苦痛はさらに増大されるし、極めつけとして後ろにはキルキスが控えているのだから最悪だ。
「あれあれあれ~? も、もしかして……キルキスちゃん? 久しぶりぃ、元気にしてた? もうっ。キルキスちゃんたらっ、最近顔を見せてくれないから、ものすっ――ごく心配したのよ~」
ゾワゾワァ~と背骨辺りがむず痒くなるような、余所行きの猫なで声を出す。
「…………いえ。ウーゼニア……くんの家には、その……一週間前に遊びに来たばかりですけど」
キルキスはしどろもどろになりながら遠慮気味に否定する。ウーゼニアの前では自由奔放に振舞うキルキスが、借りてきた猫みたいにおとなしく、彼女なりにかなり気を遣ってくれているのが分かる。
だが、そんなことを想像だにしないゼルミナは額面通りに受け取って、なにやら笑みを深める。
ウーゼニアが普段あまり喋ろうとしないものだから、キルキスに普通に相手にされて嬉しいのだろう。まるで、久しぶりにエサを与えられた子犬のようだ。
「そうだったかしら? 私ったらもう年なのかしらね。ここ最近物忘れが酷くて恥ずかしいったらないわ。さあさあそんな暗いところ突っ立てないで上がって上がって。……って、どうしたの? その大きな猪は?」
ようやく、キルキスの傍に置いてある猪についてつっこんだ。流石に猪をずっと背負うのは辛いからと、縛ってある縄を持ちながら地面に置いている。
ゼルミナが先ほどからちらちらと視線を漂わせて何も指摘せずにいたから、いつ話題にするのか気になっていた。
「それは、俺が今日捕ったやつだから」
「あら、そうだったの? だったら何してるの、早く運ばないと。……って、何ボサってしてるのウーゼニアちゃん。あなたも家に運ぶの手伝いなさい」
頬に含羞の熱を帯びる。
自分の息子をちゃん付けで呼ぶような母親なんて、ウーゼニアが知る中でゼルミナしかいない。キルキスがいる手前、一々否定していては、より強調することになるので、嫌々無言を貫く。
キルキスは持っている猪をどこに運べばいいかと、踏み入れた足先の方向をどこに向けるか迷っている。
「ほんとっ、気が利かない子どもで嫌になっちゃうわよねぇ~。あっ! そうだだ! キルキスちゃんは、最近おうちの方はどうなの? ほら、キルキスちゃんの親御さんっていつも大変でしょ? 親御さんは忙しすぎて話す機会あまりなさそうだけどどうなの?」
「いえ、普通ですよ、私の親は……」
いつの間にやら完全にゼルミナの話し相手を、キルキスに全て任せる感じになってしまった。目配せで助けを求めてくるキルキスのことは、気が付いてない振りを決め込む。
これ以上ゼルミナから小言を言われる前に、キルキスから猪を奪い取ると台所の辺りに適当に置いて、2人がいるダイニングルームへと戻る。
「あー、もう。この子は相変わらず無愛想なんだから。こんな息子だけど、キルキスちゃんみたいなしっかりした女の子なら任せられるわ」
「いえいえ……そんな……私なんて……。ウーゼニアくんはちょっと他人と話すのが苦手で、集団に馴染めないのに、独りぼっちでいることを誇りにしているだけですから」
「……キルキス。……それ全然フォローになってない」
ウーゼニアは、はしゃぐゼルミナを尻目に、疲弊したような表情でどさっと音を立てて椅子の一つに座る。
さて、と。それじゃあ料理作りましょうかね、とゼルミナは誰に報告したいのか分からない宣言をすると、
「キルキスちゃん何やってるの? さあさあそんなところに立ってないで、座ってちょうだい。今から夕食作るから、食べていってちょうだいな」
「そんな……いいです、私。帰ったら夕食があるので……」
「そんな他人行儀なこと言わずに、ほらほら座りましょ」
有無を言わせずにキルキスの腕をむんずと掴みとると、そのまま椅子に導く。強く逆らうこともできないキルキスを座らせると、満足そうな顔をして、「それじゃあ作ってるからここで待っててね」と言い残し、台所の方へと向かっていく。
ルンルン気分で、自作の鼻歌を歌っているのが痛々しい。
「わるい。うちの母親いつもこういうのだから」
腕を上げると、指を頭の横でくるくると回転させる。
壊れてしまっている感じを表現してみせると、キルキスはぷっと噴き出す。それから、ゼルミナに悪いと思って体裁を整えるようとするが、手遅れであることはキルキス自身がよく分かっているらしい。引き締まりきらない口元をごほんと咳き込んで誤魔化すと、妙にかしこまった感じ話す。
「そう? いいおばさんじゃない。私だったら、ああいう優しくて世話好きで可愛らしいお母さんが良かったな……」
遠い目をしながらそう言うキルキスに、ウーゼニアは押し黙り、椅子にふんぞり返るようにして座り直した。
「……そうかな。俺はお前の家のお母さんの方が良かったけどな。何だか凛としててカッコいいじゃん」
「そうかしら。私にはただ冷たい人にしか思えないけど……。……なんだかこれって、ないものねだりってやつかしらね。そうね。もしも、ウーゼニアがおばさんと今みたいにずっと一緒にいられなくなったりしたら、やっぱり寂しくなるんじゃないの?」
「わからないな、そんなの。ずっとベタベタされるばっかで、あの人は俺を自由にしてくれたことがないから。そういう点では、やっぱりキルキスはいいと思うよ」
「いいって……何が?」
「自由なところが。キルキスのお母さん、放任主義なんだろ。自分の好きな事やれて、それで親からは何の口出しもされない。それって、最高じゃん。俺、そういうのって生まれきて一度もないから、羨ましいし、憧れてるんだよな……」
自分らしく生きたい。
ただそれだけのことなのに、ウーゼニアはこの世に生を受けてから、そんな些細な願いすら叶えたことはない。
いつでもゼルミナ傀儡に成り果てるだけで、自分の意見すらいえない。
ずっと心は停止したまま、ただ体だけ動かしている感覚。ギシギシと関節どころか、脆いハートすら軋む音が響く。
それはまさに、生き地獄というやつで。
あまりに辛すぎるこの感覚を、誰かに理解されるなんて甘っちょろいことは夢見ていない。特に、キルキスのように親の干渉を受けずに生きていける人間には決してわからない。
それなのにキルキスは、ちょっと困ったように、まるでさっきゼルミナと会話していたかのような表情をしながら、
「……そうでもないわよ。誰かの言いなりにならないってことは、誰かのせいにできないってことなんだから」
……誰かのせい?
それは、ウーゼニア自身が誰かのせいにしているってことなのか。
「わっかんねーよ。俺はやっぱりキルキスが羨ましい……」
ゼルミナのことが嫌い。
というよりは、憎い。
そんなこと考えてはいけないって分かっている。けど、ウーゼニアがこんなにも自分を抹殺しながら、生きているのに気付かない。気づこうともしない。
結局は、自分のことしか考えていない。
一瞬たりとも心の底から自分の息子のことを視界に収めたことなんてないのだ。そんな母親に、どうやって心を開くことができるのだろう。どうすればもっと、母親として認めることができるんだろう。
「俺は……あんなやつ――」
「はい、できたわよ~。ゼルミナ特性の超・超・超おいしぃ~~猪鍋が。あんまりやったことがないから、手間取っちゃったけど、食べて行ってね、キルキスちゃん」
バカみたいに愛想を振りまきながら、出掛けた言葉を遮る。
相変わらず、タイミング抜群過ぎて反吐が出そうだった。
ドカッ、と大きめの鍋の水は並々で、考えなしに置いたせいでちょっとだけ溢れた。しかも、ウーゼニア側のテーブルへ、つつっーとあっつい猪汁の熱湯が流れる。
目眩しそうなぐらいに、頭に激痛が走る。わっ、と零した当の本人は驚くだけで、自発的に何かしようとしない。ウーゼニアが何かするのを待ち焦がれているかのように、こちらを一瞥してくる。自分からは決して頼まず、ウーゼニアが拭いてくれるのを待っているかのようだ。
これ以上胸の内がどす黒いもので支配される前に、ウーゼニアは無心で拭き取った。
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