08 おいしい?

 こうして、自宅にもどったのが午後六時半。今日もまたずっと外にいたから、体が冷えてしまった。


「千葉、どこ行ってたの?」


「あ、お姉ちゃん、……ただいま」


「一日中、外にいたの?」


「うん」


「なにしてたの?」


「白猫といっしょに……ペンギン集めてた」


「ペンギン?」


「ジェンツーペンギン」


「その、手にさげてるコンビニ袋は?」


「猫缶とちゅーる」


 パジャマの格好にバスタオルを肩にかけたお姉ちゃんは、頭のうえにはてなマークを浮かべながら「お風呂沸いてるから、さきに温まってから晩ごはん食べなよ」と言って、二階へと上がっていった。



 湯船ゆぶねに浸かりながら、今日起きたことを冷静に考えてみる。


 あらためて不思議なことだと思う。あの池の水面が、この世界と、もう一つの世界の扉になっていて、その扉を通り抜けるためにたくさんのペンギンが必要で、ペンギンを集めるために白猫に協力してもらって、その白猫は日本語をしゃべる。英語も。


 うん、いろいろとおかしい。


 どこから考えてみたらいいかわからない。ひとつだけわかるのは、明日、ペンギンたちの力を借りて、あの扉を通り抜けて、ゼニガメを連れ戻すということだ。けど、ゼニガメを迎えに行って、ちゃんといっしょに戻ってきてくれるんだろうか。白猫といっしょに行ってしまったのは、わたしに愛想をつかしたからじゃないだろうか。それだったら――


 頭のなかが不安でいっぱいになり、湯船でぶくぶくしてしまった。


 お風呂から上がっても、晩ごはんを食べても、気分は晴れない。早く迎えに行きたいから、早く明日になるよう布団に入ったけど、どうしようもない不安が、今日歩いたペンギンたちの通り道のようにぐるぐる渦巻いて、とても眠れるものじゃなかった。結局、一時間布団のなかでぐるぐるしたあと、観念して跳ね起きて、ホットミルクを作ろうと食卓へと向かった。



 食卓のテーブルには、パジャマのお姉ちゃんがいた。


 湯気の上がるマグカップを、両手で持ち上げてすすっていた。


「あ、千葉」


「お姉ちゃんもホットミルク?」


「ううん、ゆず茶だよ。千葉も飲む?」


「うん」


 お姉ちゃんは、食器棚からカメとスズメの絵の入った、わたし愛用のマグカップを取り出した。ゆず茶のびんからスプーンでひとさじ入れて、ポットのお湯を注いだ。


「はい、どうぞ。スプーンでちゃんとかまして(6)


「ありがとう」


 ひとくちすすってみる。うん、甘い。ホッとする。


「おいしい?」


「うん、おいしい」


 そうだ。いまあるぐるぐる、お姉ちゃんに相談してみよう。


「お姉ちゃん……あのね――」


 わたしのゼニガメに対する不安を、お姉ちゃんは聞いてくれた。ゼニガメに愛想あいそをつかされちゃったんじゃないか、ゼニガメはわたしを嫌いになっちゃったんじゃないか、家に帰ろうとしないんじゃないか……。話しているうちに悲しくなって、わたしは涙が止まらなくなってしまった。


 お姉ちゃんは、わたしの頭を撫でてくれた。そして、「そんなに大事に思ってるんだから、ゼニガメも千葉のこと、悪く思ってないと思うよ」と言った。


「本当に?」


「うん」


「なんでわかるの?」


「千葉、例えば千葉が家出いえでしちゃったら、お姉ちゃんどうすると思う?」


「探して……くれる?」


「うん、千葉のこと大事だから探すと思うよ。じゃあ、探しても探しても千葉が見つからなくて、お姉ちゃん泣いちゃったら、千葉はどう思う?」


「……泣いてくれるの?」


「うん。千葉いなくなっちゃったら、二度と会えなくなったら、お姉ちゃん悲しくて泣いちゃうと思うよ。どう思う?」


「うれしい。大事に思ってくれて」


「ゼニガメもね、そう思うはずだよ」


 あっ、そうか。お姉ちゃんの言うとおり、わたしがゼニガメだったら、一生懸命探してくれて、泣いてもくれるなんて、とても、うれしい。


 お姉ちゃんは、もう一度頭を撫でてくれて、微笑みながら言ってくれた。


「ゼニガメは、きっといっしょに帰ってきてくれる。だから、安心して迎えにいってあげなさい」


 わたしはうなずいた。さめてしまったゆず茶の残りを飲んで、お姉ちゃんに「ありがとう」とお礼を言うと、マグカップを洗ってから部屋に戻った。布団に入ったあと、歯磨きを忘れていたのを思い出して、洗面所に行った。



 翌朝、猫缶とちゅーるの残り一本をリュックに入れて、……ちょっと不安だったから、カメのエサも入れた。


 玄関でパジャマのお姉ちゃんに会った。


「千葉、今日も早いね」


「うん。ゼニガメを迎えに行くから」


「がんばってね」


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 お姉ちゃんに見送られて、わたしは家を出た。




(6)かます。東北・北海道の方言。かきまわすの意。

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