第29話 まずは、その壁をぶち壊す

 唾を駅の床に吐き捨てたいぐらいの全力疾走中、疑問に思ったことは、

「……で、綾城は……どこに……いるんだっけ……」

 ギュギュギュと、床と靴が擦れる音をたたせながら、失速して立ち止まる。そして、切符売り場の上に設置してある、路線図を見上げながら途方にくれる。

 なんの手がかかりもなしに、動く訳にもいかない。

 だけど、どこか分からないのなら、しらみつぶしに探していくしか他ならない。綾城には一応連絡を取ってみたが、やっぱり応答はない。

『――電源が切られているか、電波が届かないところ――』

 ……なんて機械音しか返ってこなくて、余計に苛立った。綾城、お前いったい今どこにいるんだよ。

 だから俺は走り出そうとすると――ようやくスマホが――

「綾城か!?」

 即座に耳元に近づける。

 受話器から発せられた声は、

『――なっんだよ、いきなり大声で。なにかあったのか?』

 いつも空気を読まないニワトリのもので。

 はぁ、と落胆に満ちたため息をつく。

『……なんだか、とてつもなくタイミングが悪かったみたいだなあ。というか、露骨にため息つくなよ!! ……あーあ、せっかくお前に耳よりの情報を教えてやろうと思ったのによお』

 自信あり気な顔をしているニワトリが、頭に浮かぶ。

 そういえば、小梶は連絡網とそれから電話帳を駆使しながら、しらみつぶしに電話を掛けていた。だから、綾城について何かしらの情報を掴んでことを俺に知らせてきたのか。

「おい! なんだよ。それを先に言えよ! こっちだって必死なんだからよ!」

『あ、ああ……。なんだよ、そんなに言わなくてもいいだろ。お前がそんなに知りたかったなんて、俺は知らなかったんだからよお』

 ニワトリはフッと偉そうに笑うと、

『でも、そんなに知りたかったのか……。……今宵、俺の嫁がまたコンサートを開いてくれたってことをよお』

「…………は?」

『だっからさー。なんとなんと、お忍びでまたやってくれたんだよ、俺の嫁が! ブログにすら書いてなかったけど、近しい中である俺! この俺だけは事前に知ってたんだぜ』

 こいつ、絶対ストーカーだ。

 こいつ、絶対ストーカーだ。

 こいつ、絶対ストーカーだ。

「……ああ、時間の無駄だったな。もう、切るぞ」

 ニワトリはいつだって蚊帳の外。意図して仲間はずれにしているわけじゃないが、どうしても重要なことを告げられるほど人間とは思えない。その場にいるだけで、笑えてくるような存在っていうことだけは、凄いと賞賛できるのだけど。

 すると、おい! ちょっと待て! と、まだ『待った』をかけてくるニワトリ。

「いい加減にしろ、今俺は――」

『ちょっと待ってくれって。もうちょっとだけ、お前と話がしたいんだよお。こういう自慢聞いてくれる奴、お前しかいないんだよお』

「……残念だったな。俺もお前の話に付き合ってられるほど暇じゃない……」

『……なんだ、お前もかよお……。なんだか小梶にも電話通じないし、綾城も見かけてけど、話しかけるほど仲いいわけじゃないしよお……』

 多分、小梶はニワトリのこと無視してるんだろうな。

 すると、頭上に眠くなるようなメロディが流れる。

 それは次の電車が終電であることを告げるアナウンス。

 ……まずい、もう時間がない。どの駅にいるかも綾城がいるか分からないが、当てずっぽうでどこかの駅に降りるしかない。……って、……ん?

「おい、ニワトリ、綾城がなんだって?」

『はあ、いったいなに――』

「いいから、綾城がどうしたんだよ!?」

『……あ、綾城が、さっき、見たこともないサングラスを掛けた男と歩いてたんだよ。なんでこんな夜更けにいるのかって思って気になって見てたんだよ。最初は見間違いかと思ったけど、あんな美人見間違えるわけないよなあ。まあ、俺の嫁に比べれば――』

「それで、綾城はどこに行ってたんだよ?」

 ビクつきながら話すニワトリには申し訳ないが、そこまで配慮できるほどの時間も余裕も、こちにはない。

『この前、ゆりり――、じゃなくて俺の嫁がゲリラライブした場所辺りだよ。……でも、少し脇道それていったからな。あそこは、学生が溜まるような場所なんてないはずだけどなあ』

 そこだ。多分、あのアクセサリーを売っていた男と一緒に。なんで、あいつと一緒にいるのかはわからないが、これでようやくあいつの許に行ける。

「ありがとな……ニワトリ」

『まあ、なんだか分からないけどよ。礼には及ばないって。……って、だれがニワトリ――』

 一方的に通話を遮断すると、俺は風のように駆ける。まだ少しばかりいる人が、全速力で走る俺を見て、唖然と見ていようともだ。

 ただ、俺は、あいつの――

「うわっ!」

 バン、と自動改札機が、行く手を邪魔する。

 それは、まるで道をふさぐ門番。

 危うくこけそうだった。なんだ、ふざけんな、こんなもので俺は、と俺は乗り越える。片手を改札機に乗せて、思う存分足のバネを活かして、飛翔するかのように勢いよく。

「君、何をしているんだ!」

 だけど、当然の如く、改札口の横にいた駅員さんの叱責を受けるわけで。

 振り切ろうとするも、疲労のせいかスピードがでずに、ちょっと走ったところで腕を掴まれて、あえなく御用。

「ちょっと君、事務室に来なさい!」

「待ってください、ちょっと、俺は――」

「……君、どこかで見た顔かと思ったら、この前痴漢をした男じゃないのか?」

 うげっ。

 なんでよりによってこんな時に、この人がいるんだ。

「ち、違うんです。あれは誤解というか、事故というか」

「君が犯罪者かどうかはゆっくり事務室で話を聞くから、早く来なさい」

「………………今はそれどころじゃないんだよ」

「なんだって?」

 事情の知らない駅員さんに八つ当たりしたくはないが、あまりにもこちらの意思を汲んでくれない相手に、歯軋りすらする。

 今にも終電が発車するのかもしれないそんな時に。ようやく綾城の居場所が割れたそんな時に。どうして、こんなことになるんだ。

「……行かなきゃいけないんだよ……」

「なに?」

 ほとんど肘で駅員さんの胸を叩くように、掴まれていた腕を振り切ると、


「今、あいつの傍には、誰かがいないとだめなんだよ!!」

 

 たじろいでいる駅員に財布を投げると、俺は階段を駆け下りる。三段、四段飛ばしをして、そして、五段飛ばししようとすると、着地に失敗してグキッと足首が鳴る。

 体が若干斜めになりながら、前にぶっ倒れる。

 うわっ、と言う前にガン、と顎を階段の角部分にぶつける。咄嗟に掌を階段に当てるが、それが間違いだった。勢い止まらず、そのまま皮がズル剥ける。

 それどころか、前のめりに倒れたせいで、叩きつけられ、それから擦れるように滑ったので、体のあちこちがめちゃくちゃ痛い。泣きそうなぐらいの激痛。もう、このまま何もかも投げたしたいぐらい。

「いっ――って……」

 立ちあがろうとするが、ガクンと膝が折れる。見ると、倒れた際に擦れてしまったのか、綿パンの膝辺りから血が滲んでいる。

「何やってんだ……俺……」

 洒落になってないって、この痛さは。ほんとに、なんでこんなことやってんだか。もう、どうだっていいだろ。俺ってこんなに頑張ってしまう、馬鹿な奴だったのか。

 なんだかんだ言い訳しながら、目の前に立ちはだかる壁にぶつかったことなんてなかったんじゃないのか。何度か叩いただけで、本当はもっと頑張れたはずなのに。言い訳を重ねて、壁の周りを迂回してばかりいた。

 それなのに、どうしてだろうな……。

「今は――」

 発車する合図がホームに鳴り響く。

 強固に締まっていく電車のドアに俺は――


「ここで壁をぶち破らなきゃ、一生後悔するような気がするんだ」

 

 体ごとぶつけるように、ドアの隙間に滑らせる。ガァン、と両ドアに脇腹が挟まれて、嗚咽するかのように呻く。そのまま、床を転がり込むようにして電車内に入り込む。

 また深手を負いながらも。

 でも、それでも、なんとか俺は間に合った。

「……なんだ、やればできるみたいだな……俺」

 駆け込み乗車を避難するアナウンスが流れて、電車は走り出す。無様な格好をした羊飼いを乗せて、ただ黙々と走り出した。――天敵であるはずの、狼の傍へと。

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