第25話 さようなら

「別に見送りなんていらなかったのに……」

「……暇なだけだよ。まだ、アリサ先輩との待ち合わせ時間まで時間があるからな」

 腫れている口元を動かすたびに激痛が入るから、できればそっちのほうを気にしてほしいんだけどな。

 駅の乗車場所には、電車を待つ専用の椅子が列が並んでいる。そこに、俺たち二人は、帰りの電車が到着するには時間がありすぎたので、座っていた。

「ねえ、今日はアリサ先輩と会うのよね」

「……ああ、そうだよ」

「そう、よね……」

 なんだか歯切れが悪い綾城。

 なんだ。なにかアリサ先輩に思うところでもあるのだろうか。

「……実は、ずっとあんたに言いたかったことがあったの」

 ゴクリと、唾を飲み込む。

 真に迫ったこいつの表情。

 まるでこれから説教でも始まりそうな、緊迫した雰囲気。

 一体何を言われるんだろうかと、身構えていた。

「ごめんね」

 なぜか。

 発されたのは、綾城に最も似つかわしくない言葉。

 訳が分からなくて、俺はただ黙ったまま綾城の続きの言葉を促す。

「……最初は、あんたのこと誤解してたの。どうせこいつは口だけで、ずっと近くで監視しなきゃ、私の秘密をばらすような、最低な人間だと思ってた……」

 ………おい、こいつ謝る気あるのかよ。

 貶しているようにしか聞こえないぞ。

「でもそれは、私の思い違いで。……ほんとうはそんなヤツじゃなかった。どんな時でも強くて、いつも私は助けられた」

「……なんだよ、いきなり。そんなこと言われても……」

「いきなりなんかじゃなくて、ずっとずっと言いたかったのよ。……ほんとうはね」

 嬉しいのか、悲しいのか。

 判別しにくいような瞳の色をしている綾城。

 もしかしたら、そのどちらもが混ざり合って一緒くたになっているのかも知れない。

「電車で痴漢にあった時、私の言うことを信じて守ってくれた。味付けに失敗した私の手料理を『美味しい』って言って、へこんでいた私を慰めてくれた。自転車で引かれそうになったとき、身を挺して庇ってくれた。――そして、」

 ただ綾城は、何かを堪えるように、堰を切ったように言った。


「今、こうして私の傍にいてくれている」


 頭がまっさらになった。

 ただ綾城の顔を馬鹿みたいに眺めることしかできなくて。

 何も考えることができなくて。

 どうやって返答するかも分からなくなって。

 結局、何も言えないまま。

『まもなく、電車が到着します。……』

 機械的なアナウンスがスピーカーから発せられる。

 それとともに、綾城は立ち上がる。 

「あんたと少しの間過ごして、それでこんなにもいいやつだって知れた。だから、幼なじみのアリサ先輩だって、あんたのいいところはちゃんと伝わってるわよ。……だから、もっと自分に自信を持ったほうがいいわよ」

 綾城は電車に乗り込むと、 

「さようなら」

 決別の言葉を吐く。

 それは、また明日なんてニュアンスの響きではなくて。

 もう、こうして寄り添うことを断ち切るような言葉。

 だって、元々こうして一緒にいた理由はなんだだった。それは、綾城が俺のことを疑ってかかっていたから。でも、俺たちの間には、いつの間にか、妙な信頼関係が生まれてしまった。だからもう、俺と綾城はこれ以上一緒にいる意味はない。

 でもそんなの……そんなことでいいのか。

「もうひとつだけ、前からあんたに言いたかったことが――」 

 無言で俺は、何かをつかむように手をさし伸ばそうと、プシューと電車のドアは固く閉ざされた。

 眼前の綾城は、苦笑するとじゃあ、と手を振ってくる。

 俺はそんなことしたくなかった。物わかりのいい振りして、ああこれはこれでいいんだって、手を振ってしまえば、本当にもうお別れな気がした。

 それでいいのか。このまま、本当に終わっていいのか。

 いいんだって、思いもある。だって、それが自然なことだから。ただ、ちょっと前の、綾城と出会う前の俺に戻るだけだ。

 二つの相反する思いが独自に動き出しそうになって、体を引き千切りそうになる。

 どうすればいいかわからなかったけれど、たった一言。たった一言でいいから、ただお前に何かを伝えたかった。

 だけど。

 どれだけ言葉を荒げても、目の前のたった一枚の壁に阻まれた。

 綾城には、俺の気持ちは何も届きはしない。

「――俺は、お――が――」

 自分でも何を言っているのかわからなくて。

 ただがむしゃらに叫んで。

 そして、結局俺たちは最後の最後に。

 本当に大切なことを伝えることもできずに、別れた――。

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