第26話 迷える羊飼い

 路地から外れた公園。

 道を通るのは野良犬ぐらいで、静まり返っている。

 ブランコを椅子がわりにして、ギィギィと虚空に寂しく響かる。膝に腕を押し付け、じっと痛みを我慢するかのように、俺は頭を下げている。

 どうすれば、いいんだ。

 できることなら、今の俺の心をなんの曲折なく真っ直ぐに、包み隠すことなく大っぴらに、誤認ないよう正確に、認識して欲しい。

 俺の、心の底から湧き上がるこの思いを。

 きっと、言い訳じみた言葉しかでない。綾城との関係性についての否定。それはメールだけじゃ、あまりに伝わらないものだった。だからこうして、会うことになったのだけど、自信がないんだ。

「……っ俺は、」

 今まで俺はアリサ先輩に一度でも本心をぶつけたことがあるのか。なんの鎧も纏わずに、剥き出しの心を晒したことがあるのか。

 それは、

「……多分、ないんだ」

 アリサ先輩にだけじゃなくて。

 他の誰かに、本気で何かを伝えようとしたことは無いのかもしれない。

「だって……」

 馬鹿にされるのが、他の何より怖いから。

 そんなこと『ありえない』って嗤われるのオチだから。

 だから、嗤われる前に、俺が先に嗤ってやるんだ。そんなの本気で思ってるわけないって。いや、そんなことできないって、無理無理。さっき言ったことなんて、全部ただの冗談だから。

 そうやって、ずっと自分を守ってきた。

 そうすれば……仮に失敗して体がバラバラになりそうでも、夢破れて心が引きちぎられそうになっても、恋叶わず片思いに終わって、胸が八つ裂きになりそうになっても。

 それでも、『俺はまだ本気なんかじゃない』って、言い訳できるから。

「……だけど、あいつは、綾城は――」

 タッ、と地面を蹴る音が、闇夜に刻まれる。

 俺が、ばっと顔を上げると、

「ご……めんねっ、バイトが長引いちゃってっ……」

 アリサ先輩がそこにはいた。

 肩で息をしながら、少し曲げた膝に手を当てていて。どこから走ってきたのか分からないぐらい発汗していた。

「……今、来たところですから」

 それがあまりに嬉しくて、若干声が震える。

 そして、どうやって切り出せばいいのか分からず、俺は黙っていた。少しでも齟齬が発生すれば、人間関係なんてものは、簡単に瓦解するものだから。

 そうして、肌を切り裂くような沈黙が長続きしていると。

 見かねたように、アリサ先輩が声をかけてきた。

「ねえ、この場所のこと覚えてる?」

 ふぅーと、大きく息を吐いて息を整えると、シャキンと背筋を伸ばす。それから、周りを見渡してアリサ先輩は、公園の景観に目を細める。

「……ここは、私と板垣くんが初めて会った場所なんだよ?」

 いつからアリサ先輩とこういった関係になったのかなんか覚えていなかった。いつであったのかなんて、重要なことじゃないと思って、ずっと忘れていた。

 それは大切な思い出じゃないから。……なんて理由なんかじゃなくて。

 ただ、あまりにも当たり前になっていたから。

 アリサ先輩と一緒にいることが、俺の心の中を占めていることが。

 でも、もうずっと一緒っていうわけにもいかなくってしまったから。だから俺は、こんなにも焦ってしまっている。

 アリサ先輩は、くるりと振り返ると、

「この街に引っ越してきて、誰一人として知り合いはいなくて、寂しくて。……でも、そんな時。板垣くんは私に言ってくれたよね」

 ――なにやってんだよ、お前。暇なら、一緒に遊ぼうぜ。

「……あっ、」

「思い出してくれた?」

 そうだ、あの時。公園で見かけた物凄く綺麗な女の子がいて。どうしても話しかけたくて、声をかけたんだ。

 どうやって接すればいいのか分からなかった俺は、乱暴に。ぶっきらぼうな物言いで、その女の子と話したんだ。

 ほんと……今思い出せば、恥ずかしい思い出だ。

 好きな女の子に、うまく話しかけられないただの餓鬼。そうすることでしか、話しかけることしかできなかった。

「すいませんでした、あの時は……」

「……ううん、私は嬉しかったよ。子どもの頃って、男も女も年齢も関係ない。なんのしがらみもなく、ただただ純粋な気持ちでいられる。そういうのが、孤独だった私にとっては、とっても、とっても救いになることだったんだ。でも、板垣くん。……今は私のこと、『先輩』って呼んじゃうんだね」

「そ、それはっ。そのっ、失礼かなって思っているので」

 アリサ先輩は、むっとする。

「ほら、そうやって敬語だし。……それに、あの子のことはタメ口で話しているのに、私だけ仰々しいよ。せめて、先輩は辞めて欲しいな。うん、やっぱり、敬語とか先輩って呼ばれるのは、板垣くんと他人っぽくて嫌。……だから、今から先輩禁止ね」

「あ、え、じゃあ……アリサ……さん」

「………………」

 アリサ先輩は、無言でただこっちをふーんと見ているだけで。

 何も言ってくれなくて、どこか腑に落ちていないことは明らかだった。

 俺は、ぐっと腹に力を込める。

「アリサ。…………で、いいですか」

「うん!」

 アリサは子どものように、なんの憂いもなく笑顔を弾けさせる。

 それを見て俺は、ああ、俺はやっぱりこの人のことが――って思ったんだ。この人を見ていると、どうしようもなく、胸が締め付けられる。心臓が今にも体を突き破りそうになるぐらいに鼓動を速めて、制御できない。

「ねえ、板垣くん」

 アリサは俺の方へと近づいてきて、横に並んでいるブランコの鎖にジャラッと手を掛ける。  

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