第23話 ペルソナ

 普段は、テニスコートとして使われている場所。

 プールの隣に位置する所。

 そこを特別に貸し切って、水泳部はバーベキューを執り行っていた。部員以外にも親や部員の家族、教職員達も参加していて、ちょっとした規模になっている。

 そのせいで、部外者である俺が浮いてしまっている。

 なぜなら、こうして。なんで水泳部じゃない生徒がここにいるの、みたいな感じの目線を頂戴してしまっているわけで。

「これのせいもあるよな、きっと」

 そこには。

 部員の区別がついていない、世話焼きのおばちゃんが盛ってくれた紙皿を持ち。

 簡易的な椅子に座り。

 タダ飯を食べてしまっている俺がいた。

 これじゃあ、なんのためにここに来たのかわからない。ちなみに、唯一の知り合いである綾城はというと、まだ着替え終わっていないようで更衣室からでてきていないらしく。

 なんだか疎外されている感を、ひしひしと感じている。

 まさか、また下着忘れたんじゃないだろうな、と思っていると、

「ま……待たせたわね」

「……おい、遅い――ぞ?」

 遅れてきた綾城は、その、なんというか、重症患者のようだった。

 目元には、はっきりとクマの刻印。

 セットしきれていない髪型は、ところどころ横に飛び跳ねている。

 はぁはぁ、とマラソン後のような過呼吸をしながら、肩を上下運動させていて、これから告白するというのに、その前から満身創痍だ。

「ちょ、ちょ、ちょちょっと着替えに手間取っただけよ」

 もしかして、こいつ緊張しているんじゃないのか。

 しかも、虚ろなこの瞳、一睡もしていないんじゃ。

「お前、それじゃあ、告白どころじゃないだろ。帰って寝たほうがいいと思うぞ」

「ふん、なにが? 私はいたって普通よ、普通。……それに、私は今日告げるって決めたもの。なにがあろうと、ここで逃げるわけにいかないわ」

「でもお前、そんな状態で……」 

「絶対に、今日じゃないとだめなのよ。……だって、今日ぐらいしか先輩と会えないかも知れないもの。あとは大学受験一直線で、忙しくなって……もう、水泳部に顔出せなくなるんだから」

 そして、綾城は俺の隣の椅子に座ったかと思いきや、プラスチックの机に突っ伏す。

 やっぱり、慢性的な睡眠不足のようだ。

 あー、もう。どうしよう、どうしよう。またあんなことになったら、私、私……。と伏せている状態から弱音を吐いていて。

 なんかもう、命すらかけているような気概。

「おい、相沢おせーぞ! さっさと来いよ!」

「……悪い。……ちょっと用事があってな」

 網で牛肉を焼いていた先輩らしき人が、こっちにこいと相沢先輩を呼んで。

 そして、軽いノリで談笑し始めた。

 うわあ、先輩どうしの、しかも男同士で会話がスタートしてしまった。これは……女である綾城は、きっと話しかけづらいだろうな。

「おい、先輩きたぞ」

 ピクンと、一瞬綾城の頭は動くが、それだけ。

 頭が起き上がる気配はない。

「……わかってるわよ」

 そんな綾城が可哀想で、助太刀くらいはしてやろうと思う。

 そのぐらいしないと、ここに。

 綾城の隣に居る意味がない。

「俺が相沢先輩に話しかけるよ。水泳部の関係者じゃないですけど、綾城さんに誘われて……みたいに話を切り出せばいけるだろ」

 俺が立ち上がると、むくりと綾城も憔悴しきった顔を見せる。

「でも……みんなが聞いてたら」

「二人きりになればいいだろ。水泳について教えて欲しいことがあります、とか言って」

「……わかったわ」

 おとなしくなってしまった綾城。

 なにやら黙考したまま俺のあとについてくるのが、ちょっと可愛くて。何とかしてやりたいって思った。

「あの、相沢先輩ですよね?」

「え、っと……」

 この人は誰だったかな、と逡巡している先輩。これはちょっと、安請け合いしたが、厳しいかも。と、後ろにいる綾城を見やると、フォローを入れてくれる余裕はなさそうだ。

 俺は予定通り、自分はこういう人間です。みたいな説明から入ろうとすると、


「おっそーい! 相沢いつまで泳いでんのー?」

 

 ポン、と親し気に相沢先輩の肩に手を当てる人がいた。

 それは、ショートカットの髪型をした女の先輩で。そのさり気ないたった一つの動作は、何かを雄弁に語っていた。

「久しぶりに泳いだら、楽しくてな。亜純も泳げばよかったのに」

「もーう、いいじゃん。私たちが志望してる大学って、水泳のサークルないんでしょー。だったらもう泳がなくていいのにー」

「だからこそだろ。もう泳がないんだから、記念にさ」

 相沢先輩とその女の人は、じゃれあうように笑い合っていて。

 それを周りの先輩たちは、リア充だ、リア充。なんだよー、最後っていうのにイチャつくなって。お似合いのカップルだな。

 とか歓談していて、それはみんなみんな周知の事実のようで。

 でも、綾城は。

 綾城はこのことを知らなかったはず。

 そうだ、綾城は。

 あいつは、これを強制的に見せられているわけで。

「綾城?」

 振り返ると、綾城は瞳を見開いてフリーズ状態。

 何も受けられない。耳を閉じることすらできないぐらいの、ショックの受けようで。なんて声をかけてやればいいのか分からず。

 俺はただ見ていることしかできなくて。

 そしたら、

「……あれ、綾城? いたのか?」

 死人にムチを打つようなことを、無自覚でしてくる相沢先輩。

 それは、なんていうか。

 俺なんかが批難していいことなんかじゃない。そう思って、何も言葉を割り込ませることができなかった。

「さっきから探してたんだけど、見つからなくて困ってたんだよ。実はずっと後輩達にはいえなかったんだが……」

「っぅ――私達、付き合ってまーす! ごっめんねー、彩華ちゃん。ずっとみんなに秘密にしてるのってー、すごく罪悪感あったんだけどー。秘密にしろって相沢が言うからー。ったく、すんごい言いたかったんだからねー」

「だって、こんなの後輩達に見せたら恥ずかしいだろ。それに……こうなるのが嫌だったんだ」

 水泳の後輩たちは、二人の仲をはやし立てる。その中には、相沢先輩にはもったいな人だとか、なんで二人がーだとか非難の声を上げる奴もいたが。

 それは、ただの冗談に過ぎない。誰もが祝福していて、拍手するような奴もいて。誰もがハッピーエンドを迎えているような顔をしていて。そんな、最高に幸せな風景の中に、カップルは溶け込んでいた。その中心にいた。

 そこにいる誰もが、雰囲気に酔っていた。

 たった一人をのぞいて。

 誰もが幸せそうに、その場では笑っていたのに。

「…………? どうしたんだ、綾城?」   

 ずっと黙りこくっている綾城を、不審そうな顔で見つめる相沢先輩。

 なにもかもが真っ逆さまになってしまった。

 今まで持っていたものが、全部腕からこぼれ落ちてしまった。

 そんな綾城は、あ……と声を漏らして。

 体に纏う悪寒を退けるように、腕を自分に回していて。

 ずたずたに傷ついた心のまま、

「そうだったんですね! 私、全然知らなかったです!」

 ただのひとりの後輩として、振舞う。

 見ているこっちの心が砕けそうそうな笑い方で。

 心の奥底に沈んでいる暗さを微塵も感じさせない。そんな簡単に吹っ切れるわけない。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られているはずなのに。

「もう、相沢先輩言ってくださればよかったのに!」

 そう言ってみせたんだ。

「おい、綾城」

 俺は、綾城の肘を掴んでこっちに視線を向くようにしたが。

 綾城は普段通りに接しようとした。顔がくしゃくしゃになりながらも、

「……え、なによ?」

 って、言うだけで。心のダムの決壊は踏みとどまった。仮面を被ったままだった。

 なんでだ。

 好きって、思いが伝わらなくて。

 しゃがみ込んでしまって、持て余した想いの重圧を叫んだこともあって。

 でも、それでもこうやって立ち上がって。

 不器用すぎるこいつは、ただまっすぐ背筋を伸ばして。

 それでも前に進もうとしたんだ。

 それなのに、また躓いて。

 そんな苦しい思いをしているのに、それでもまだこんなに頑張れるのは。

 なんでだよ、綾城……。

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