第20話 駄目だな、全然駄目だ

「落ち込む暇すらない……か」

 放課後。

 野球が終わって、なんとなく家に帰る気にもなれずに、図書館で仮眠をとっていると。

 スマホに呼び出しのメールが送られてきた。文面はというと、たったの一言だけ。

『今すぐプールにきなさい』

 どこぞのお嬢様は、今日も元気そうでなによりだ。

 凝り固まった首をコキコキ鳴らして、ヒリヒリする額を上げる。枕替わりにしていたせいで両腕が痺れながら、椅子から立ち上がろうとすると、

「い、板垣さんっ!?」

 図書の棚を背景にしながら、分厚い辞典を持っていた御島と目が合う。

 わっ、と俺を見て驚いた御島は、辞典を落とす。

「……いっ……」

 しかも、角を足に当てて。

 苦悶の表情を浮かべながらも、声を漏らさないようにと必死だ。

「う、う、う~」

 瞳は潤みながらも、御島は頬を震わせながら唇を引き締めている。

 耐えている感じが、あまりにも痛そうで。

「だ、大丈夫か……?」

「し、心配には及びません。ほ、ほとんど当たってませんでしたから」

 御島はなんとか笑顔を作ると。

 なんとも答えづらい質問を飛ばしてきた。

「……そういえば、なんで板垣さんここにいるんですか?」

「そ、それは……」

 俺は包み隠さず先刻の出来事を、御島に洗いざらいぶちまけた。あらぶった感情を鎮めたいがために、捌け口として御島を利用してしまった。

 一言いってしまったら、もう塞き止めることなんてできなくて。

 そんな罪悪感から逃れるために、俺は尚更早口で、小梶との一件を愚痴っぽく話した。こんなこと話したって、相手が不愉快になることなんて承知の上で。

 そうしたら案の定、御島は浮かない顔をする。

「そうだったんですか……」

 御島は俺ではなく、机にある参考書に目を落とす。

 気まずくしてしまって、俺は申し訳ない気持ちになる。自分の気持ちに整理をつけるためなんて、もっともに聞こえる言い訳なんてしたくない。

「……悪い。愚痴るつもりじゃなかったんだよ」

 こうやって言うのも、自分が悪人になりたくないから。

 それはきっと甘えで。

 それから付け足して言うならば、誰かに慰めて欲しかっただけだ。

「でも俺は、ショックだったんだよ、やっぱりな。よりにもよって小梶に、親友にあそこまで言われるなんて」

 きっと赤の他人に言われたら、こいつウゼェなで終わっていた。

 だけど、親友に冷たく突き放されるのはほんとうに辛い。

 大切な人間だからこそ、手を振りほどかれた時に、その手の温もりがどれほどのものだったかって、気がつくんだ。もう、冷たくなってしまった手を、俺は握り締める。

 だけど、御島はそうですか? と首をかしげる。

「……私は羨ましいです。そんなこと言ってくれる方が、板垣さんの周りにはいて」

「羨ましい?」

 こんな俺が?

 その、私なんかが差し出がましいようですが、と御島は前置きして、

「だって、もしも小梶さんが、板垣さんに期待してなかったら。……きっと、そんな厳しいことなんて……言えるわけないですよ」

 俺はそんなことあるわけないと思いながらも、聞き返してしまう。

「期待……?」

「そうですよ。本当に板垣さんに成長する見込みがなかったら、言う気持ちだってなくなってしまいます。誰かに厳しいことを言うのって、みんなに嫌われるじゃないですか。……でも、そんなリスクを背負ってでも、板垣さんのことを思って、小梶さんは言ってくれたんだって……私は、思いますよ」

 小梶はいつだって、言葉足らずだ。どんな時も言いたいことを言えずに、ずっと我慢していて。誤解を招くような行動ばかりしている。

 そういうやつだってことは分かっていたのに。

 分かってやることが、親友だったはずなのに。

 勝手にこっちがあいつのことを侮って。

 それで勝手に失望して。

 親友を信じることができなかったのは、俺の方だったんだ……。

「俺、ほんとにだめだよな……」

「そんなことないです!」

 御島の声が図書館に響く。

 あまり聞かない彼女の大きな声に、俺は瞠目する。

 ゴホン、ゴホンと図書委員の人が咎めるような咳払いをすると、

「す、すいません……」

 御島は消え入るような声で席に着く。

 そして、周りにいた勉強や読書に勤しんでいた人も、視線を戻して、自分の作業に没頭し始める。

「板垣さん……自分のことをそんな風に傷つけたら、傷つけられた自分が可愛そうですよ。……それに、私は板垣さんのことをそんな風に思ってません。……むしろ、すごいなって思うんです」

「いや……俺なんか」

「ほら。そんな風に言っちゃだめですってば」

 プンスカと、御島はリスのように頬を膨らませる。

「……あっ、わるい」

 でも、やっぱり思ってしまうんだ。

 こんなふうにフォローしてくれるんじゃないかって。そうやって切望していたから、同情してくれるような言葉を無意識に選んで、御島に話してしまったんじゃないかって。どうしても。

 そんな自分が一番嫌いなんだ。 

「謝らなくていいです。……だって、そういう風に自分の欠点を見つめることができるだけでも、すごいことですよ。……絶対」

 だけど俺は、なにもできないんだ。

 どれだけ自分の悪いところを挙げられても、たったそれだけ。

 いつも同じような過ちを犯してしまう。

 でも、御島はそんな俺の胸中を見透かすように滔々と話す。その語り方はリズムがゆっくりで、それでいて聞き心地良いものだった。

「みんな自分が傷つくのが怖くて、傷つけられる前に誰かを傷つけて……。私だって、いつも他人に不快な思いをさせてしまって……。そのせいで、こうやって独りぼっちなんです。みんなは誰かを傷つけても見て見ぬフリをして、いつでも平気な顔をしていますけど、そうやって思い悩んでいる板垣さんは、きっといい人ですよ」

「不快って、そんなこと……」

「いいえ。私こそ、なにもできない人間なんです。ドジして、みなさんに迷惑をかけて。……それでも、なんとか皆さんに好かれようって、自分の頑張れることから頑張ってみたんですけど。……なんだか、結局変わることなんてできなくて……」

 なんだ。

 慰めてもらってるつもりが、いつの間にかこっちが慰めないといけないぐらいあっちが落ち込んでいる。それがちょっとおかしくて。

 だから、だからなのか。

 なんだか胸のつっかえがとれたようで。

「自分を卑下するなよ、御島。……お前だって、充分いいやつだって」

「え、あっ、そ、そうですよね。私が自分を否定したら、板垣さんに偉そうなこと言う資格なんてありませんよね。あっ、偉そうって、調子に乗ってるわけじゃありませんから。言葉の綾ってやつで――って、あっ、と、わ、私って、い、いいやつですか? ……って、そんな……私は……」

 あわ、あわわと見ているこっちが、心配になるぐらい慌てている御島。その言葉の語尾は、次第に尻すぼみになっていく。

「……う、うれしいです。……そんなこと、誰かに言われたの初めてですから」

 そして、うなだれるように下を向き。

 それから御島は、決意したように、

「板垣さん、私とお、お友達になってくれませんか!」

 勢いでやってしまったのか、あっ、す、すいませんと頬を紅潮させながら、ガタンとでかい音を立たせて御島は席に座る。

 図書委員の人がイライラしながら、貧乏ゆすりをしている。どうやら長居は無用らしい。

「わるい。それはちょっと……」

 やっぱり、無理かな。

 だってそれって、今すぐここでお友達になりましょうって意味だろうから。

 だったらそれは、俺にとって不可能なことだ。

 そう思っていると、

「で、ですよね。私と友達になんて……」

 御島は勝手に落ち込んでしまっている。

 だから俺は、自分の思いを白状するだけだ。

 ……少し、いや、かなり照れくさいけれど。

「何度もこうして会って、話して、心の中を打ち明けて。……これってもう友達でいいと思うんだけど、それって……違うのかよ」

 じんわりと、何かが染み渡るように。

 ゆっくりと、御島の表情は変わっていき、

「……あ、はい! 友達です!」

 俺の手を両手で握ってくる。

 ガッチリと、今の気持ちを反映しているかのようなその握り方で。

 立ち上がった拍子にガッと、椅子は後ろに倒れるけれど、そんなものはお構いなし。

「嬉しいです!」

 そう言う御島の笑顔は、まばゆいばかりで。

 今まで見てきた千変万化な彼女の顔の中でも、見ていて最も心が洗われる顔だった。

 相談する相手が、御島で良かったって思えるぐらい。

 だからこそ、あんまり水を刺したくはなかったけど、そうも言ってられない。

「じゃあ、そろそろでようか……」

 痺れを切らした図書委員の方が、立ち上がってこちらを睨んでいる。

 そして、しばらくの時間。

 図書委員の方に、廊下で二人ともこってりと絞られた。

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