第15話 狼の咆哮

「……はあ」

「これでため息何回目よ。それ聞いていると、こっちまで憂鬱になってくるからやめてよね」

 ガタンガタンと、線路を走る音が響く帰りの電車内。ガランとしている座席に二人は肩を並ばせて、時折揺られている。

「……誰のせいだよ……」

「なにか言ったかしら?」

「……言ってません」

 アリサ先輩に、完全に誤解されたまま別れてしまった。

 あまりのショックに先程まで話す気力すら湧かなかったが、ようやく少しは話せるようになった。

 無視されていたためか、ご立腹な様子の綾城は、ねえ、と言うと、

「もしかして、あんたあの人のこと好きなの?」

 平然と爆弾を投下してきた。

 朝の挨拶のような流れるような口調だったので、あ……は? えぇと……と俺はオロオロしまくり。

「やっぱり……そうなの」

 俺の態度から、確信を得たような瞳の色をしている。

「……なんだよ。それも小梶から聞いたのかよ」

「聞いてないわよ。いくらあんたが相手でも、小梶くんがそこまで突っ込んだ話いうわけないでしょ。さっきのあんたを見てれば、なんとなく察しはつくわよ」

 うわ。

 だったら完全にさっきの俺の言葉は自分の墓穴を掘ったってわけだ。

 ……っていうか、いくらあんたが相手でもって、でもってなんだ。一言多いんだよ、こいつはいつもな。

「……なんだよ。わるいかよ?」

 綾城に嘲弄されているような気がして、半ば逆ギレのように言葉を叩きつけるが、

「ううん、わるくないわよ。わるくないっていうか……。そういうの……いいって思う。うーん、いいって言うのもなんか変だけどね……」

 綾城は俺の言葉を全部呑み込んでくれて、噛み砕いたものを吐露した。

「……やっぱり、人を好きになるのってかけがえのないものだから」

 それは、あまりにまっすぐ過ぎて。

 そのまま鵜呑みにするには、あまりに俺は捻じ曲がっていて。

 それはきっと、生まれ持ったものだった。

 だから、一度折れ曲がった鉄パイプがもう、二度と元には戻せないように。俺は心が屈折しながら、

「それだけじゃ……ないだろ」

「…………どういうこと?」

 詰問というよりは、ただの疑問。

 そのまま俺のことをじぃと黙視したままでいる綾城は、譲る気はなさそうだ。こっちから譲歩するしかなくて、俺は仕方なく曝すしなかった。

 それは、

「アリサ先輩には好きな人がいるんだよ。だから俺は……誰かを好きなるってやつがそんないいことばかりだとは思えないんだよ」

 ――自分の急所ってやつ。

 だって、かなわない想いを持ち続けても辛いだけだから。

 でも、それを。

 こういう話を誰か他人に言ってしまったら、引かれるような気がしていた。

 なんだか普段、みんなこういう真剣な話を意図的に避けている気がする。口には出さないが、暗黙の了解ってやつで頷き合って了解みたいな、そんな気がする。

 もしくは、『そうなの、大変なのね』みたいに流している。

 そんなの全然興味ありません。何かを、自分の心の底まで晒して語るなんてバカがすること、そんな風潮がある。

 だから俺もそれに倣って、いつもその場しのぎで生きていたんだ。

 何かに懸命になればなるほどに、選択を誤ったときのしっぺ返しは大きくなるもので。

 傷つくのが怖いから、俺は何もできずにいた。

 それをみんながやっているから、俺だって安心して立ち止まることができていた。

 でも、

「そっか……そうなんだ……。ねえ、どうしてこんなにうまくいかないのかしらね。勉強も水泳も――それから恋愛も……」

 綾城は、そんな世間の当たり前を撥ね除ける気高さがあった。

 どこまでも自分の気持ちにまっすぐに。

 どれだけ失敗してもへこたれずに、苦しくても立ち向かい続けている。

 そんなお前が、弱音をはくなんてらしくないだろ。

「勉強って、お前学年一位だろ?」

「そうなんだけどね。問題なのは……周りの目かしら」

 綾城は、伏し目がちになりながら、そっと足を組み直す。

「一度高い点数をとったら、それが当たり前になって。どれだけ努力したって、それは才能のおかげだって、みんなは褒めることすらしてくれない。次はどれだけ高い点数をとるのかしらって、みんなが言ってくるのよ。それが……私にとってはすごい……プレッシャー」

 綾城が低い点数をとることは想像できない。

 それぐらい圧倒的な点数ばかり取るこいつが、努力なんてものをしているとは思っていなかった。自分の現状に苦しんで、悩んでいるなんてこと想像もしていなかった。

 今の今まで、俺はそう思っていたんだ……。

 こんなに近くにいたのに、ずっとずっと俺の近くにいたのはこいつだったのに。

 俺は、なんにもこいつが――綾城彩華――という人間という本質を見ることができていなかったんだ。

「それから……勉強ができるならスポーツは? って目で見られて、水泳があまり速くない私は、ああそんなもんなんだって勝手にみんなから失望されて……。ねえ、なによそれって思うわよ。どうしようもなくイライラして。なによ、勝手に期待して、勝手に失望したのはそっちじゃないって……」

 ……恋愛だって……と悲しげに唇を曲げると、

「ねえ……私のことどう思ってるの?」

 髪の毛を耳に掛けると、俺の顔を覗き込む。

「な……え?」

 それはつまり、そういうこと……でいいのか。いきなりこんな、たしかにこの車両には俺達以外いないけれど。

 なにっ、え、っと俺がずっと困惑していると、綾城はやっぱり、その反応は聞いてるのねと、なんだか噛み合ってない。

「私って、男の人と遊んでるって思われるでしょ?」

「……ああ、そういうことっ! そ、そういうことか! よかったよかった」

「私、これでもまじめに訊いてるわよ」

「……すいません。まあ、その、遊んでいると思っているかと言われれば……そうだな」

 ここで下手に嘘をついてもしかたない。

 すると綾城は、ああやっぱり、と自嘲するかのように唇を一文字にする。

「違うの、それ……違うの。なんだか、こうやって言うと、言い訳しているようで嫌なんだけど。……私はただ、自分の意志が弱いだけなのよ」

 そういうと、静かに顔を伏せる。

 重ねている手のひらは真っ青で、ちゃんと血管に血が巡っていないようにも見える。

「男の人と遊んでばかりいるリエに、私は恋に一途でありたい。……なんて言ったら変な物を見るような顔されるのよね。そういうのおかしいわよって反論したら、『なんで』って首を傾げるの。『付き合って、別れることなんて呼吸するのと同じじゃない』って、逆に諭されちゃうの」

 まるで自分が道化かなにかのように、自分を嘲る嗤い。

 そうでもしないと、自分を構成するパズルみたいなものが崩れ落ちてしまうような。

 そのぐらい、見ていて辛い表情だった。

「……でも私にはそれが分からない。しかたなく、付き合いで遊ぶ時もあるわよ。ほんとうは帰りたいのに、帰らせてなんて言い出せない時だってある。……でもね、別にリエが嫌いなワケじゃなくて……ただ、ただ私はっ!」

 綾城は大きく空気を取り込み、

「誰にも左右されることなく、自分の思うがままに行動したいの! ……それって、ただの私の我侭なのよ。……でも、それでも、」

 顔を上げる。その表情は曇ってなどいなくて、むしろ、


「――私は、強くなりたいの」


 晴れ晴れとしていてた。

 俺はそんな綾城に、『なれるだろ』なんて口が裂けても言えなかった。

 それは綾城がなれないから、とかそんなことを思っているからじゃない。

 ……なぜならお前は、お前が考えているよりずっと強いから。

 もうお前はとっくに強いんだよ。

 挫けそうになりながらも、自分の思いを告げたお前が弱いだなんて俺は思わない。

「……お前がそんなやわじゃないことぐらい、俺は知ってるよ。暴力だってふるうしな」

 でも、面と向かってそういうには気恥ずかしくて。

 ちょっとおどけて言ってみた。

 でも、俺のそんな思い。綾城には――

「はあ? 誰が暴力女よ!」

 まったく伝わらなかった。

「ぶっ!!」

 ゴッホッと、俺はつばの飛沫をそこらへんに飛ばす。そのぐらいの威力ある肝臓打ちを喰らわせてくるこいつに、俺は改まって考えた。

 ……やっぱりこいつが弱いなんてありえないだろ。

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