第14話 アリサ先輩

「……私、知らなかった……」

 躊躇いがちに話す先輩に、どう言い訳していいのかとっさに思いつかなかった。

 さっきまでの綾城と俺たちは、アリサ先輩から見れば、まるで抱き合っているようにも見えたはずだったから。

 先輩はそっと綾城に視線を移すと、

「板垣くんって、お姉さんがいたんだね?」

「違います!」

 どこをどう見たらそんな解釈になるんですか。

 そういえば……今思い出したけど、頭がいいはずの先輩は、こういう天然なところがあったんだった。しかもお姉さんって、そんなに俺は頼りなくみえるのか。雰囲気があるとはいえ、綾城とは同級生なんですが。

 ヘッドホンを首にかけながら、キョトンとしている先輩はカジュアルな服装がよく似合っている。手にはチェーン店で人気のコーヒーを持っていて、肩にかけているのはちょっと大きめのショルダーバッグ。眼鏡を掛けているから、図書館で勉強した帰りだろうか。

 俺は綾城を指差して、

「……実はこいつの好きな人のため――」

「ちょっと! あんた何言おうとしてんのよ!」

「ぐぇ。く、首はやめろ」

 首根っこを掴まれて、アリサ先輩から少し離れた場所に連れて行かされる。先輩はうん? と怪訝な顔をしたので、す、少し待っていてください! となんとか言い放つと先輩は快く肯いてくれた。

 首を絞めるかのように握っていた綾城の手を振り払う。

 そして、先輩と違い、素直さの欠片もないやつに向き直る。

「……なにって、説明するしかないだろ。こうなったら経緯を」

「はあ? そんなの無理に決まってるでしょ。せめて、何か他の言い訳考えなさいよ」

「な、なんでだよ。そんなことしなくても、本当のこと告げればいいだろ」

「…………だ、だって……恥ずかしい……じゃない……」

 好きな人のために、予行練習しているとか。知らない人にそんなこと言えるわけないじゃないとか、綾城はブツブツと、か細い声をだす。

 変なところでセンチメンタルなところあるよな、こいつ。……でも、俺だって同じ立場だったとしたら、晒し者になってしまうのはごめん被る。

「わかった。分かったから、ここは俺の言うとおりにしろよな」

 指示を出すと、少し表情が険しくなっている先輩に、

「待たせてすいません、先輩。あー、そのー、さっきの格好のことなんですが。……実はさっき食べたご飯のせいで、急にお腹痛くなってしまって。それでこいつが心配し――って、痛ったあ!!」

「……それってどう言う意味よ」

 ぐいっと横腹を抓られて、飛び跳ねる。

「お前……少しは……空気読め」

 先輩に聞かれないように、綾城と顔を寄せて内緒話をするような声量で話す。

「そんなことどうでもいいわよ! それより、私が作った料理のせいでお腹壊したですって!? やっぱり、美味しくなかったんじゃない!」

「美味しかったって言ってるだろ! しっつこいな。ここは俺に合わせて話しろよ」

 そう言うと、綾城はふぅんと口角を上げる。

 あー、まずい。なにかスイッチが入ったらしい。

「あーあ、そういうこと言うんだ。だったら言わせてもらうけど、あんた、さっきの映画を観てた時、どさくさに紛れて私の手触ったでしょ? 最悪!!」

「あ、あれは、お前が二人で一つのポップコーン食べようなんて言い出したからだろ? カップル割に飛びついた時といい、お前ちょっとケチなんじゃないのかよ?」

「はあ? なんであんたにそんなこと言われないといけないのよ? 電車では私のあ……あれを触ったくせに……」

 もじもじとうつむくこいつに、ばかっ、それはっ……と俺は言いよどむ。

「それも散々謝っただろ? 今更蒸しかえ――」

 バキッと、なにやら破壊された音に血の気が引く。

 振り向くと、そこにいたのは般若の顔をしたアリサ先輩だった。

「板垣くん良かったわね、こんなに可愛い彼女ができて」

 グシャグシャに握る潰された、憐れなコーヒーカップ。まだ残っていたコーヒーがポタポタと手に溢れているが、そんなものには目もくれていない。

 じっとこっちを凝視してる眼は直視しがたい。なぜなら、口の形とは裏腹に、眼がまったく笑っていなかったから。

「え、いや。その、ア、アリサ先輩……? これは……」

 なんだろう、この違和感は。付き合いが長いにも関わらず、こんなアリサ先輩初めて見るかもしれない。怖い。かなり、怖い。

「じゃあね、板垣くん。隣にいる彼女とお幸せに」

 有無を言わせない彼女の背中姿は、すぐに俺の視界から消えてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る