第13話 狼の気まぐれ
映画の内容はベタな恋愛モノだった。
相思相愛の男女が、終始すれ違い続ける物語。
そんなありきたりなストーリーでも、エンドロールでは女性客のすすり泣く声が漏れていたりして。かくいう俺も結構感動した。
「……私も、あんな風に先輩となれたらいいな」
ずっと、綾城が観てみたかった映画だったらしく。それもあってか、感無量といった様子。映画館からでてくる人間の誰よりも、穏やかな顔をしていた。
「……なあ。どうして相沢先輩なんだ?」
ずっと疑問に思っていた。だって、こいつはあれほど無情に振られたのに。それでも諦めていない。その源泉を知りたかった。
「そうね」
うん、きっとこういうことよねと綾城は自分に問いかけるように呟くと、
「さっきの映画の台詞を少し拝借すると……『そもそも誰かを好きになるきっかけって、振り返って見れば大したことはない』……私は、そんな気がするわ」
映画の余韻に浸っているのか、饒舌に、熱い感情を込めて語る。
「ありふれた日常の中で、いつの間にかその人のことを目で追うようになって。その人のことを一日中思って、夜も眠れなくなって。その人と少しでも長い時間、話がしたくなって」
……そして、ある日気がついたのよと、綾城は目元を緩めて、
「――私は……あの人に恋をしているんだって」
恋をしている彼女の顔はあまりにも眩しかった。でもすぐにその光は陰る。
「だけど……私の言っていることなんて……きっと間違ってるわ」
どうしてそんなに苦しそうな顔をするのか訊きだそうとすると、
「ありゃりゃ。彩華ちゃん。もしかして、そういうこと?」
歩道に風呂敷を広げて、アスファルトに座りこんでいる男が話しかけてきた。
眼全体を、黒く覆う大きめなサングラス。銀のブローチを身につけていて、上から下まで黒ずくめでコーディネートされている服を着こなしている。
「あれだけ俺がラブコールしても、連絡一つ返さなかったのにさあ。こんな男とはデートしたりするんだあ。傷ついちゃうなあ」
そいつは、綾城と一緒にバイク登校したやつだった。
へらへらしているから、どう見たって傷ついてるようには見えない。
「……なんであんたがここにいるのよ?」
「なんでって。見ればわかるっしょ? 路上販売。俺が売ってるのは雑貨とかそういうやつだけど。ほら、他にも売ってるヤツいるっしょ?」
たしかに、ずらっとお店が一列に並んでいて、ちょっとしたものになっている。
「何か買ってく? 彩華ちゃんならサービスしてもいいよ」
「いいわよ、サービスなんてしなくても。……それに私は、あんたとは関わり合いたくないわ」
なーんだ、と男はサングラスを外す。
「もしかして。まだあの時、キスしようとしたこと根に持ってたりする? いいじゃん、別に。あんなのに目くじら立てるのって、小学生ぐらいなもんでしょ?」
「私がムカつくのは……そうやって、あんたが、軽はずみな気持ちで、私の逆鱗に触れることよッ!」
うわっ、こっわ、と男は肩をすくめて火に油を注ぐ。
「彩華ちゃんさあ、ほんともったいよね。そんな、すっげー綺麗な顔してるのにさあ。……あのさあ、どれだけ顔がよくても、性格ブスとか終わってるよ? そのうち、周りに誰もいなくなるんじゃないの?」
それを聞いた綾城は、私は……と言ったきり言い返せない。笑えていない。
「お前が……綾城の何を知ってるんだよ」
だから、おもわず割って入ってしまった。
「あれ? もしかして彼氏さん、怒っちゃった? ごめん、ごめん。そんなつもりなんてなかったんだけどさあ。ただの忠告だよ、忠告。綾城がもっと女の子らしい性格してれば――」
「……俺は彼氏なんかじゃない」
サングラスの男はぽかんと一瞬口ごもると、
「え? そうなの。なーんだ。だったら、外野は黙っててよ。……なんだ、そういうことか」
「どういう意味だよ」
勝手知った風にうんうん肯かれて、はいそうですかって流せるほど、俺は温厚じゃない。咎めるように見据えると、男はせせら嗤う。
「――あんただって内心……彩華ちゃんに遊ばれてるちゃってることに、気がついていないわけじゃないんしょ?」
遊ばれてるって。
俺は綾城を見やるが。
彼女は陳列している商品を黙視したままだった。
「見たところ、あんたはそういうの我慢できるタイプじゃないっしょ。……だけど、俺は遊ばれてもいいんだよ。女の子とテキトーに遊んで、テキトーに人生楽しんでさ。それで試しに付き合って、性格が合わなかったら……別れればいいだけじゃん」
「人を好きになるってのは、そういうことじゃ……ないだろ」
俺の想い人に対する気持ちすらも、全否定されているような気がした。
だから、俺は引くつもりなんてなかった。
はあ? 人を好きになる? なに餓鬼みたいな台詞吐いてんの? と、男は詰る。
「なんども付き合わなきゃ、それこそ恋愛がどんなものかなんて分からないっしょ? 経験少ない人間がどれだけ言っても、それはすんげー説得力に欠けた薄っぺらい言葉になると思うけど。……だいたい、人の恋路を邪魔しておいて、自分の価値観いきなり押し付けられてもなあ」
「……ッ。あんただって、好きって言葉を言ってるだけだろ」
そう、反駁することしかできなかった。
俺は何が何だかわからなくなっていた。
男の言うことは絶対に納得できないことだけど、俺が綾城にただ遊ばれていたのかって、そう思うと。その事実がズシリと身体に重くのしかかっている。
二人で街を練り歩いていて、妙にはしゃいだ気持ちになっていた。カフェテラスや映画館で共有した二人の時間は、やっぱりかけがえのない楽しいものだったから。
でもそれは、ぜんぶ狼の気まぐれで。
目先の獲物をつまみ食いして、飽きたらすぐにポイ。そうするのが綾城だってことは分かってはいたことだけど、他人から唐突につきつけられたら、どうやって心の整理をつけていいのかわからなくなって。
答えが欲しくて綾城にそっと視線を寄越すと、彼女はそっと商品の一つを手にとっていた。
「……これって、防水?」
シリアスをぶち壊す、あまりに真摯な口調。どうやら集中しすぎていて、俺たちの問答は眼中に無しだったらしい。
男は、ははは。さすが彩華ちゃん、一筋縄じゃないかないなあ、と言って、
「そうだよ。気に入ってくれた?」
「うーん、そうね……。これを頂戴」
代金を手渡すと、さっさとこの場から離れようと綾城は脇目もふらずに歩きだす。
いいのかよ、何も言わなくて。まあ、正直俺もこいつとは関わり合いたくないから、いいんだけどな。
綾城を追いかけようとすると、
「あー、こことはもう一本違う。もっと狭い道路にさ。俺の知り合いが経営してるバーがあるんだよね。暇だったら、彩華ちゃんきてよ。歓迎するからさ」
男は懲りもせずに、無視する綾城の背中に大声を浴びせる。
振り返ると、男はそっぽを向いていて女性に声をかけていた。
客引きなのだろうけど、さっきまで険悪だった雰囲気なんて、すっかり忘れてしまったかのような顔。その何も考えていなさそうな軽薄さが、思い悩むタイプの俺には羨ましかった。
「プレゼント、それでいいのかよ?」
瑣末なことだったと思い込むために、殊更明るい声を投げかける。
「うん。……先輩、時計が欲しいって言ってたもの」
紙袋に包んでもらったものを、嬉しそうに抱きすくめる。
さっきまで激怒していたと人間とは思えない。
「そろそろ帰るか」
「…………え?」
意外だった。
仕方なしに今まで俺を連れ回していたような雰囲気を醸し出していたから。
だから。
心底そんなこと、今は考えていなかった。……みたいに、綾城が聞き返すなんて思わなかった。それとも、相沢先輩のことに熱中していただけか。
「だって、用事済んだろ。目的である時計は、こうして買ったしな」
「……そうね」
声のトーンがあまりにも張りがない。
だから、なるべく元気づけさせるように、
「そのプレゼントで大丈夫だろ。正直、今日はあんまり俺は役にたてなかったけど、その時計でいいと思うよ」
一応チェックは入れていたが、過度な装飾はないシックな見た目。
防水かどうか訊いたのは、多分、水泳中でも身につけられるように。
流石に練習ではつけないだろうが、それは気持ちの問題。
いつでも身につけて役に立つ時計を贈られて、嫌な顔をする人間なんてきっといない。だから、そんなに自信喪失しなくていいのに。
それとも。
――だけど……私の言っていることなんて……きっと間違ってるわ。
映画館から出たときに、思いつめた顔で吐露した彼女。その時の、哀しげだった表情が頭の中でチラつく。もしかしたら、あの時のやつが原因で……?
「あれぇ~? 彩華が、こっちに曲がっていったと思うのに~? おっかしいな~。さっきの映画館でも彩華っぽい子見たんだけどぉ~。もう、遅いからだよ~」
思案していると、堀江さんが大きくて通る声で、彼氏を叱咤しているのが俺の耳にも届いた。
はあはあと疲弊している男の方は、両手に紙袋いっぱい持っていてどうにかこうにか、堀江さんに追いついたといった様子。
あっちのデートは、男の方が大変そうだな……。
「うっわ。まさか、リエがこんなとこにまでっ……」
「お、おい」
「いいから、ちょっと身体貸しなさいよ!」
やはり会うのは気まずいのか、俺の体を壁にして綾城は身を縮める。俺もできる限りのことは加勢しようと、腕を広げてブラインドを作る。
綾城はしゃがみ込むようにしながらシャツを無遠慮に掴んでいて、このままじゃ服が伸びそうだ。だけど、その隠れ方が功を奏したのか、
「……よし、やり過ごしみたいね」
チラリと俺の脇の間から盗み見た綾城は言って、
「あれ、でも……」
なぜか困惑した顔をしてこちらを見上げる。
なんだ、どうしたんだよと思っていると、背中越しに、
「……板垣くん?」
聞こえてきたのは、なんだか会っていなかった月日以上に懐かしく響く声。残響が頭蓋骨にまで鳴り響いてかのように、ガンガン内側から頭痛がする。
どう……して。俺は背中しか見せていないのに。顔が見えないのに、どうして気づくことができたんですか。
信じられない思いで、俺はその人と顔を合わせる。
「……あ……先……輩」
だけど俺も、目を合わせるその前から、その透き通るような声で分かっていた。
振り向いた先に立っていたのは、アリサ先輩だっていうことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます