第10話 デート・オア・アライブ
綾城彩華の私服を初めて拝見した。
それはラフで動きやすそうな格好。
ショーパンはすっぽりと長めのパーカーに隠れていて。ブーツとデニムの間には、スラリとした生足が露わになっている。
コンビニとかに陳列されている、どこぞのファッション誌。それの、『たまたま町で歩いているオシャレな少女を特集してみました!』みたいな写真が記事っぽくなっていてもおかしくないぐらいの、似合い具合だった。
「なによ。そんなにジロジロ見ないでくれる? 変態?」
ちょっとばかり底の厚いブーツを履いているため、俺はいつもより目線を高くしながら見惚れていたが、一気に膨らんでいた気持ちが萎んだ。
黙っていれば本当に写真写りが良さそうな容貌をしているのに、綾城はほんとにもったいないな、と思いながら、
「よく、そんな下半身丸出しで歩けるな」
「はあ? 誰が露出狂よ」
「そこまでは、言ってないだろ!」
まるで痴女だなとは思ったが。
「あー、この人ごみめんどくさいわね」
綾城が愚痴るように、駅のホームはがやがやと人で賑わっている。
こうして二人ならんで電車を待っているのだが、どうにも横にいるやつに集まる視線が気になって仕方ない。
新聞を広げているおっさんが、チラリと見てきたりしたりしたりとか、同年代ぐらいの女の子なんかは、凄っ、綺麗……とか、素の声を上げている。
それに比べて、俺は普段通りの格好。よれよれになっているシャツを誤魔化すために上着を羽織って、下は無難にジーパン。
こんなことなら、もっと気合入れた方がよかったかな。……なんてなぜか一瞬考えが浮かんだが、なんで俺がそんなこと考えないといけないんだよ。別に俺たちが他人からどう思われようが、どうだっていいだろ。
「……ん、どうしたんだよ?」
くいっくいっと綾城に服の裾が引っ張るられて何事かと思っていると、
「電車、きたわよ」
キキィイイと黒板を爪で引っ掻くみたいな耳に障る音をたてながら眼前に電車が停車する。その他大勢の人間と共に、狭い出入り口に入り込むが。前の駅からの乗車客もいたので、二人とも座席シートに座ることができなかった。
休日の、しかもお昼時の乗客の人数は予想を遥かに超えていいた。遅れて入ってくる客のせいで車内はすし詰めになり、綾城と密着するような状態になってしまった。
「ちょっ……もうちょっとそっちに行きなさいよ」
「無茶言うなって! これでも、目一杯寄ってるほうだよ」
「ふん、どうだか」
吊り革を確保できなかった綾城は、またもや俺の服の裾を握ってくる。
「だったら、ちょっとだけ借り――わっ!」
電車が横に揺れた反動で、綾城が身体ごとこっちに寄りかかってくる。俺の右腕にぶつかってきた綾城だが、もう少しで倒れそうだった。綾城の肩に手を当てて押し上げてやる。
「おい、大丈夫かよ」
「……このぐらい、一人でも平気よ」
綾城はなぜか憎々しげにジト目。
「そ、そうですか」
なんでそんなに機嫌悪そうなんだよ。
ご機嫌斜めになった綾城から視線を外して、両の手を窮屈なつり革につっこもうとすると、
「ぃやぁっ! ちょっと、なにすんのよ!」
いきなり、綾城がいきり立つ。
俺に向けられた言葉かと思い、戦々恐々としていると。
真後ろに立っていた男の腕を掴んで、叫んだ。
「痴漢なんて止めなさいよね!」
スーツを着込み、いかにも、サラリーマンな風体をしているその男。三十代後半ぐらいの、社会人として貫禄がでている男は、苛立ち混じりに舌打ちをした。
「痴漢……って……。……それは、もしかして私に言っているのかい?」
「はあ? そうに決まってるでしょ!? 何とぼけてんのよ!? あんたが、私のお尻に触ってきたんでしょ!」
「……悪ふざけならもうやめなさい。今なら悪戯の範囲で済むから」
「……なっ、ふざけないでよ。手の甲ならまだしも、ゆ、指先で……。いいからさっさと謝りなさいよ!!」
震える声で羞恥に耐えながら話す綾城は……それでも一旦引くということを知らない。
あんなことをされて、平然としていられる筈がない。
本当は声を上げて犯人を指し示すということも怖かったかのように、ただ怯えているように見えた。それを看破したのか、幾分か良識のありそうだった男の顔はぐわっと豹変した。
「……いい加減にしろっ!! こっちは毎日、身を粉にして社会の歯車として貢献しているんだ!! お前みたいに社会のなんたるかも知らない餓鬼が、面白半分でこんなことしていいと思っているのか!! なんなら、名誉毀損で訴えるぞ!!」
男は黙りきっている綾城に、畳み掛けるように口角泡を飛ばす。
「ちょっと、鞄が当たったぐらいでいちいち喚くな! いい加減なことを口走るんじゃない!! ……ことを荒立てた責任をっ……お前みたいな餓鬼がとれるのか!? ったく、親の躾がなってないから、お前みたいな恥知らずな餓鬼が増えるんだ」
ざわざわと周りが騒がしくなる。
うっせなー、もうちょっと静かにしろよ。んなこと、どっちだっていいじゃん。やーね、あの子あんなに肌をだして。なにあいつ? もしかしてあいつから誘ったんじゃないの? 痴漢プレイとかじゃね? だったらウケるって、マジで。
「……あ……」
冷笑すら湧いている周りに、意気消沈する綾城。
そんな彼女を、
「もう二度と、小遣い稼ぎにこんなことするんじゃないっ!!」
奈落に落とすかのような痛烈な一言。
言い切ったとばかりに、フンと鼻を鳴らした男がムカついて、
「おい、あんた!」
掴みかかろうとするが、俯いたままの綾城に止められる。
「……でも、お前……」
綾城はなんども横に振って、必死に俺の腕を掴んでくる。無言のままでいる彼女は唇は噛みながら、苦渋を味わいながら堪えていた。
ここで強く出ても、周り味方なんて一人もいなくて。
俺たちがどれだけ強気で訴えても、綾城と……最低なおっさんの水掛け論。
どっちが嘘をついているのかなんて、誰にも分からない。
やれやれとばかりに、やっと厄介事は終わったかとでも言いたげな乗客達は、興味をなくしたようにそっぽをむいている。
……むしろ、周りの人間達は味方じゃなくて敵に近い。
だれだって、面倒なことが起きないほうがいい。
綾城が何かをされたのが事実でも、他の誰かの証言が必要だ。もしかしたら、この中で目撃した人間がいるのかも知れないが、犯罪をした証人を赤の他人のために買って出る人間なんていない。
だから、むしろこの状況を強引にでも収めてくれたおっさんを、みんな内心応援していたんだ。それはきっと、綾城の見た目の問題もある。
綾城の容姿は他人を惹きつけると同時に、妬み嫉みを買う容姿だった。自分と同じ位置まで落ちてきて欲しいという、ここにいる奴らの仄暗い願いが見え隠れしているような気がする。
しばらく経ってほとぼりが冷めてから、俺は弱々しく声を掛ける。
「綾城……」
大丈夫な……わけないよな。
長い髪を垂らしたまま、顔を上げようとしなくて。
決して俺の腕を離す気配がない、彼女の手がそれを示していた。
「……うっ……」
呻きながらギュッと握ってくる彼女の顔は見えなくても、悔しさの感情が溢れ出しそうだ。
でも、異様に小刻みに震えていて。
なんだか様子がおかしいと思って、綾城の後ろを見ると、男の鞄が動いていた。鞄を盾替わりにして、誰にも見えないように。しかも、こっちからは死角になっていて見えなくて。でも、彼女の様子を見れば何をしているかは明らかで。
「……こっ――の……」
あまりの悔しさに奥歯を噛み締める。
手をだしてしまいたいが、だしてまえばきっとさっきの二の舞。いや、もっと血なまぐさい泥沼が待っている。
だから、
「……え?」
惚けている綾城の肩をこっち側に引き寄せた。そして彼女のいたスペースに俺が潜り込んで、男を睨みつけてやる。
「もうそのへんにしとけよな、おっさん」
ぐっと、一瞬しまったとたじろぐが、どうせこいつらにできることなんてないと言いたげに、気を取り直して、
「……目上の人間に、なんだその口の聞き方は。君達は、そこまでして私を犯人扱いしたいのか。まったく、クズの傍にいるやつも、相当のクズのようだな……」
それを聞いた綾城が、今度はおっさんに手を出しそうになったので、なんとか言葉で先制する。
「……そっちがその気なら、次の駅で降りて駅員さんを呼びましょうか。それで、どっちが正しいかどうか白黒はっきりさせましょうよ」
もういい。どう事態が転ぼうが、このおっさんのへこんだツラを拝めるまでこっちが引く必要なんてない。なるべく本気で言っているように見せるために、顔をなるべく無表情にする。
「……つ……付き合ってられないな」
男は威厳を保つための言葉を吐きすてると、仏頂面のまま視線を引き剥がした。
綾城をそっと見やると、まだ下を向いたままで。
だけど、長い髪に隠れて見えづらいその表情は、さっきより穏やかになっているような気がした。
「うわっ」
急ブレーキぎみに停車した電車に、俺は蹈鞴を踏む。
なんとか重心をつかもうと片足をジタバタさせていると、なにやら肘に柔らかい感触があって、
「ちょ……っ! あ……あんたが、私に痴漢してどうすんのよ……」
綾城は小声で罵りながら、胸元を片手でかくす。
ようやく顔を上げた綾城は、目元を細めて怒りに唇を震わせていた。
「ごめんっ……ほんと。そんなつもりなんかじゃなくて――ぐ、がっ……」
脇腹に捩じ込むように、スクリューブローを入れられて悶絶する。
元気を取り戻したのはいいことだが、もうすこし手加減ってもんを……。
プシューと、停車した電車のドアが開く。
「……あっ、ちょっと……っ待て!!」
痴漢を働いた男は逃げるようして雑多にまぎれた。追おうにも、こうも人の対流があると流れに逆らえない。それでもムリに追いかけようとするが、
「いいわよ、もう。あんなヤツ、関わらないほうがいいわよ」
綾城に諫められる。
振り切ろうにも腕を絡められていて、それもかなわなくて。なにより、綾城の頼りなさげに揺れている瞳が、そうせざるを得なかかった。
……そういえば、電車の中からずっと、俺たち――。
「そろそろ、離してくれよ」
「はあ? ……え」
うわっ、ウソッ、と狼狽しながら、なぜか両手でこっちが突き飛ばされる。俺はガン、と後ろの鉄柱に後頭部をぶつけて、
「うっ、痛ってええええ! つかんでたのはそっちだろ!? なにすんだよっ!?」
「そ、そっちこそ! 気がついていたなら、さっさと言いなさいよ!! いやらしいわね!!」
「なんでだよ! そっちが勝手にやってたことだろ?」
「はあ? だいたい、もともとはあんたが吊り革独占したのが悪いんでしょ!? か弱い私に譲ってれば、あんなセクハラされなくてすんだかも知れないのに!!」
「か弱い? どこにいるんだよ、そんな女」
綾城に喧嘩を売るかのように、キョロキョロと周りを見渡してやる。
と、女の人が駅員さんを引き連れて、こっちに走り寄ってくるのが視界に入った。
痴漢です、あの男がやっているのを見ました! と正義感に満ち溢れたいい人っぽいが、指差す。どうしてそれを電車の中でしてくれなかったとは思うが、こうして一生懸命に俺を指しているだけでもほかのやつらよりはマシだ。
というより、全然いい人なんじゃ……ん? その優しい人の睨みを向けられているのが……俺。なんど見返しても……俺のような、気がする。
まさか違うよな。
そう思ってちょっと場所を移動するが、指弾もまた同じ方向にズレる。……これ、完全にロックオンされてるな。
「逃げるぞ!」
駅員さんたちとは逆方向に足先を向けると、綾城の手首をもって走る。
「ちょっと! ……なんで私まで……」
「――こんなところで、今日一日の時間潰していいのかよ!?」
エスカレーターを猛ダッシュで駆け上がりながら、彼女に問いかけると、
「わ、わかったわよ! ……でも、あんたなんかに引っ張られたくないわ!」
グン、と綾城は走る速度を上げて、俺を追い抜く。
だけど。
まだ人が乗っているエスカレーターで、取っ組み合いをやっている俺たちは完全に邪魔者。なにやってんだ! と叱責されながらも、俺たちは並びながら走るのを止めなかった。スポーツの競技のような熱さが体の中で灯って、敵愾心とは違う爽快さがあった。
お互いにバカみたいだったが、なぜかこいつとバカなことをするのは楽しかったんだ。
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