第8話 狼と羊飼い
翌日。
あれから一日経った。
そう、あいつが告白していたのをバッタリと目撃してしまったあの日からだ。授業内容なんて覚えていない。
いつの間にか昼休みになってしまって、小梶と一緒に飯を買いに来ていた。今に至るまで、あいつからは何のコンタクトもない。ひっそりと静かなものだった。もっと俺に何か問い詰めるアクションがあると思ったが、そんなそぶりは一切なかった。
やっぱり俺如きに見られても何も問題もないってことか?
「……それにしても、今度の夢は、城王大学に入学か。どっちにしろ難しんじゃねぇーのか? 高校野球の最高峰に到達するのと、日本でも指折りの大学に入学するのとじゃ」
「おい、小梶! もうちょっと声抑えろよ」
昼休みのパン売り場前は、混雑していて人が多い。誰が耳を傾けているのかも分からないのに、こんなところでそんな大声で言うようなことじゃない。
それに、スラリと背の高い小梶と一緒に並んでいると、ただでさえ人目を引く。
だけど、小梶はどうでもよさそうな顔をして、
「べつにいいんじゃねぇの。このぐれぇはさ」
「お前はな! 俺は平気じゃないんだよ。ただでさえ、『甲子園に行く』なんて言ってた俺の恥ずかしい過去は抹消したいくらいなのに……」
「中学時代のことはいいが、今はどうなんだよ。準一は準一なりに勉強してんだろーな?」
「ああ! なにせ、昨日買った問題集を一ページもやったからな」
「……受かるといいな」
「だいじょうぶ! 明日から本気出すか――ら?」
いきなり、トントンと肩を叩かたので、いきなり誰だよと振り返ると、
「たしか名前は、板垣準一……だったわよね?」
サーと、一気に顔の血の気が引く。
なぜなら、どう見ても偽物の笑顔を浮かべて俺の肩をぐぐぐっ、と持って力を入れていて。さらには、目力による無言の圧力、肩を握っている手の握力で俺に『余計なことは口走るな』というメッセージを送っているその方は、
「綾城……さん」
ただそこに綾城がいるというだけで、衆目を集めている。
そして、それは声をかけられた俺にもとばっちりを受けている。
購買のパンを買いに並んでいる連中から、グサグサッと複数の視線が突き刺さる。そいつらからは、誰だあのクルクルパーマ。綾城さんに馴れ馴れしいだろとか、どうしてそんな奴と。……みたいな、お門違いな憎しみに満ちた声が囁かれている。
どうやら美少女フィルターがかかっている奴らには、きっと見えていない。
目元が笑っていない彼女から、強烈な敵意が孕んでいるってことを。
「ちょっと話があるんだけど、時間いいわよね?」
こちらがガクガクと頭を縦に振る前に、ガシッと腕を掴まれる。
「行くわよ」
妙に明るく歩き出すのが、怖くてしょうがない。ここまで恐怖心を抱いているのは昨日の、綾城の知らない側面を見てしまったから。
だから、今まで知っていたこいつのイメージ像が崩れてしまって、どんなやつなのか、どんなことをするやってしまうやつなのか、今の俺にはさっぱり分からない。
綾城は小梶に顔を向けると、
「小梶くん。わるいけど、この板垣借りてくね」
「……ああ。行ってらっしゃい」
小梶はどうやって知り合ったんだ、みたいな顔をしながら、この状況についてこれないように小さく手を振る。
この女止めてくれよ、とは綾城の手前言えず、そのままこちらの意思は汲まれることなく、集団の真ん中を突っ切っていく。色めきだつみんなに綾城は目もくれず、迷いなき足取りでどこかに進んでいく。
バアン、と眼前に見えてきた扉を勢いよく開いて、そのまま後ろ手で、俺をこのままここに閉じ込めるかのように鍵を閉める。
「……ここなら、誰の邪魔も入らないわね」
立ち入り禁止の非常階段。
たしかにここなら、滅多なことがない限り誰も立ち入ることがない。
綾城はふふっと、悪党の女幹部みたいな笑いを漏らすと、
「呼び出された理由は……わかるわよね?」
「……わかりません」
余裕綽々といった感じだった、綾城の顔色が次第に悪くなっていく。
「だから……わかっているわよね? ……もしかして、知らばくれているわけじゃないわよね?」
「すいません。ぜんぜん心当たりがないんです……」
それを聞いた綾城の肩が次第に下がってきて、そして、
「……私が……プールで……あの……」
視線をそらしながら言いよどむ。
そんな綾城が、昨日の綾城の姿とダブった。
いつもと威風堂々としている綾城とは違う、あのどうしようもなく泥臭くても、どこまでもひたむきだった綾城と。
……もしかして、
「……昨日の告白の――」
「うわー、わー、わー、わー!」
綾城は甲高い声で絶叫しながら、俺の口を押さえてきた。押し付けられる彼女の手は、思いのほか柔らかい。俺が黙ったのを見て取ると、綾城は手を振り降りして、
「ちょっと! 大声で告白なんて言わないでよ! 誰かに聞かれでもしたらどうするのよ!?」
赤い頬をプルプルさせながら激昂される。
だけど。
思いっきり自爆してしまっていることには、気がついていない様子。
「……あー、もう。ほんとはあんなタイミングで告白するつもりなんてなかったのに……どうして、あの時告白しちゃったのよ、私……」
綾城は頭を抱えこんで、その場にしゃがみ込んで、
「どうして私って、いつもこうなの……。どうして、いつも先走ったりするの……」
上唇と下唇を軽く重ね合わせて思い悩んでいる綾城は、俺なんかの言葉は期待していない。そのぐらい自分の中だけで思いを巡らせていて、かける言葉が見つからない。
あーあ、と呟きながら綾城は髪の毛を片手でかき揚げる。
そして膝に顔を乗せた、拗ねたように見上げてくる。
「……どうせ、全部聞いちゃったんでしょ?」
童女のように頬を膨らませながら、こっちに向けられるのは澄んだ瞳。眼球は、黒水晶みたいに綺麗すぎる色をしていて。
綾城の実年齢とはズレている瞳の色と、子どもっぽい仕草との差に、たじろいでしまう。
「聞いてないって。俺はあの場にいただけで――」
「それじゃあ、どうして告白なんて単語がでてくるのよ?」
つぐんだ口を見やって、ああ、聞いてたとおりね……と綾城は独りごちるとすくっと立ち上がる。
「……あんたって、童話にでてくる狼少年みたいね」
やっぱり、あんたなんて信用なんてできない、と綾城は吐息とともに告げると、
「これから、私はあんたを監視することにするわ。いつ私の……あの……こ、こ、告白を、バラされるかわかったものじゃないもの!」
「……そんなこと言うわけないだろ」
「そんなことってなによ! 私には……私にとっては……勇気のいることだったんだから」
消え入りそうなのは声だけじゃなくて。そのままでいると、落ち込んでいる綾城の存在が希薄になっていくようだった。
それがなんだか可哀想で、
「ごめん、口が滑った」
俺は珍しく素直に謝ることができた。
今のは、俺の方が悪いと思うから。いつも考えなしに言葉を発してしまって、誰かを傷つけてしまうことが多くて。
でも、どうすればいいか分からないばかりだから、いつも後悔ばかりしている。過ぎた言葉をなかったことにできないのなら、俺にはこうして謝ることしかできない。
綾城はへぇと、睫毛をパチクリとさせる。
「……意外。小梶くんに聞いてた話と少しだけ違うみたい」
小梶が俺のことを……。
そうか。
なんだか親友とはいえ、照れてしまう。
影でどれだけ褒められているのか分からないけど、こうしてあいつの本音を聴けるとなると。
それが人づてであっても、誰かから褒められるのはやっぱり――
「小梶くんからは、いつも作り笑いしてて、真剣味が足りない。口先だけのやつだって聞いてたのに」
「あ、あのヤロォ」
俺がいないところで何好き勝手言ってくれてんだ。確かにヘラヘラ笑ってる時もあるけど、それにだってちゃんとした理由があるんだよ。
綾城はなにかを斜め上を見て、何かを思い出すように一瞬考えると、言おうとしたことを思い出したように、
「そういえば、あんた城王大学に行くつもりなんでしょ?」
「悪いかよ……」
なんだか話の流れからして、『口先だのやつ』ってことを遠まわしに指摘されたみたいで、あんまりいい気分にはならない。
しかも、ファーストコンタクトの綾城が俺の事情を知っているってことは、チクった奴は一人しか思いつかない。
「そんなことまで、小梶が言ったのかよ! ……あいつ最低だな……」
なんの相談もなしに、よりにもよって女である綾城に色々と話すなんて。
なんというか、口が滑ったにしろ、せめてそれは男同士だけの間だけでとどめて欲しかった。
女子の噂拡散能力は凄まじく、面白おかしく話を脚色して、影で笑っていてもおかしくない。ただでさえ、俺の見据える先は途方もないことなのに。
「――どうして?」
綾城は硬質な声で聞き返す。
「誰かの口を完全に塞ぐことなんてできっこないわよ。自分にとって本当に大事なことは、胸に秘めておくものでしょ。……まあ、私はあんたに聞かれちゃったから、あまり説得力ないかしら」
クスリと笑うと綾城は、ここからが本題なんだけどと、目の色を変えると、
「……でも、あんたのその大いなる目標がクラスの連中に知れたら、ちょっとした赤っ恥よね。クラスどころから、学年でビリ級の学力のあんたがそれを目指しているあんたが、城王大学……か。ふふん、もしかしたら、私の口からポロッと出ちゃうかも知れないわね」
戸惑っている俺を見て、冗談よ、なんて余裕見せているが、獰猛に光る眼は潜めきれていない。チラリと見える尖った歯は、凶悪な肉食獣のそれ。
獲物を逃さないように、じっくりと舐ぶるように視線を俺の体に這わせる。
その挙動が妙に綾城にはまり役で、ぐいっと少しだけ上げる口角はまるで――
「あなたが妙なことを周りに言いふらさないように、この私が見張らせてもらうわ。……どれだけあなたが拒絶しても、ね」
――狼のようだった。
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