第2話 親友と少女が修羅場すぎる

 夏季休業も終わりを告げ、新学期が始まった。

 例年通り、最終日ギリギリまで宿題を残していたせいで、完全なる徹夜明けだ。

 重い目蓋を瞬かせながら、秋の訪れを感じさせる涼しい風を肌で感じる。朝はこうして過ごしやすいが、日中はまだ暑苦しい。

「ふぁああー、くっ」

 欠伸を噛み殺して、徒歩で高校へと向かう。

 通学路には、秋服を着ている生徒たちでいっぱい。だが、目元をこすってよく見てみると、そんな制服姿でごった返しているはずの道路の真ん中には、ぽっかりと空間が空いていた。

 どうしたのかと人垣の間から、その光景が少しずつ見えてきて、

「……うわっ」

 思わず、曲がり角に立っていた電柱に隠れる。

 そこにいたのは、まさかの朝から修羅場の最中である男女だった。

 しかも一人は既知の仲。

 一人は板垣準一の親友である小梶大樹。

 そしてもう一人の女子高校生は知らない人物だが、様子がおかしい。通学路のアスファルトにポロポロと涙を落としながら、少女はしきりに目を擦っている。そんな彼女を、小梶は俺に見せたことのない優しげな顔で慰めている。

 野次馬根性旺盛な俺は、電柱に身体は隠しながらもそっと顔を突き出す。

 その姿を見て、なにやってんだこいつ? みたいな視線を同じ高校の奴らに浴びせられているが、こっちの気分は探偵だ。

 長髪にストパーをかけている小梶の横顔は見えにくいが、髪の隙間から少しばかり覗かせているのは整っている顔。樹齢何百年と根を張って育ってきた樹木のように、長身でがっしりと筋肉のついている小梶はどっからどう見てもイケメンの部類に入る。

 そんな親友と、少女がこうして並んでいると、まるでドラマのワンシーンのよう。

 それに比べてこっちは、平凡極まりない。

 その辺を歩いていても見向きもされない、完全なるモブキャラ。羊の体毛のような天然パーマはクラスの女子達の間では寝癖と思われていて、オサレポイントには全く加算されない。

 学校の成績は下の下で、熾烈な最下位争いをしている。そこだけは、凡庸でないところが悲しいところだ。

 小梶が軽く手を振って女の子と別れを告げたのを見計らい、

「おはよう、小・梶・く・ん」

 にんまりと笑いながら、ゆっくりと歩み寄る。後ろからいきなり話しかけたので驚いたのか、小梶は一瞬ビクついて振り返る。

「……なんだ、準一か。朝からご機嫌極まりなくて、相変わらずキモイな」

 板垣準一。

 どこにでもありふれていそうな、この平凡な名前。

 面白みはないが、DQNがつけそうなキラキラネームよりは遥かにマシだ。

「そっちこそなんだよ、朝から女の子泣かせやがって。いつからお前はそんなチャラ男に成り果てたんだ。夏休みか? 夏休みがお前の全てを変えてしまったのか」

 おどけながら、軽く殴るような動作をするがひょいと避けられる。

 パシッと拳を受け止めると、小梶はウゼェと呟き、肩をすくめながら無言で歩く。歩きながら話そうぜと誘われているようだったので、そのまま右横の定位置につく。

 周囲にいる生徒たちのように歩き出すと、小梶は気だるげに話し出す。

「そうじゃねぇ。あの女が落し物してたから、一緒に拾ってあげてだけだってぇーの。めんどくせー勘違いすんな、ボケ」

「嘘つけよ。あの女の子泣いてたじゃんかよ」

「……違ぇって。落としたのはコンタクト。コンタクトがズレて、目が痛くてあの女がクソうるさく泣いてた。それがオチってだけだっつーの。チッ、余計な詮索すんなよな」

「……なーんだ、それだけのことかよ。小梶についに先に越されたかと思ってハラハラした。あー、よかった、よかった」

 クラスにいる時の小梶は、何故か黙っていても異性にモテている。

 毒舌を吐くのは俺とか、男子生徒のいる時で、女子と接しているときはさっきみたいに、紳士的な態度をとる。というか、緊張していて、暴言を吐けないように俺は見えるんだけど。

 そういうところがギャップで、可愛いっ! っていうのがクラスの女子のご意見らしく、俺に小梶の彼女がいるかどうかを訊いてくる女子もたまにいる。

 小梶の親友というポジションについているいるからこその、思わぬ副産物なのだが、素直にやったー! とか思えるわけもない。どうしてこいつだけ女子にモテるんだ、という嫉妬心がメラメラと燃え上がるのみだ。

 自分がどれだけ幸運な人間かも分かっていない我が親友はこちらを見て、

「そういえば、有坂先輩とはどうだったんだ? どうせ夏休みに会ったんじゃねぇのか?」

「…………うっ」

 言葉につまる。

 有坂美尋先輩。

 長い付き合いがあるので、アリサ先輩という愛称でよばさせてもらっている。

 あまり触れて欲しくはなかった話題だが、こちらが質問を返すまで黙っていようという意志が横から伝わってきたので、小梶に道すがら説明することにした。

「……実はこの前アリサ先輩に会った時に約束したんだよ。城王大学の文化祭に行きますって」

「……へぇ。いつ行くんだ?」

「――三年後に。俺が城王大学に合格してから」

 恐らくは、『いつ、アリサ先輩のところに遊びに行くのか』という意図で訊いただろう小梶は、心底驚愕したように口を半開きにしていた。

「城王大学って、あの城王大学にか?」

 お前が? と言いたげな顔をしている小梶に悪意はない。なにしろ一浪は当たり前で、二浪してでも受験を志願してもおかしくないぐらいの有名大学だ。

 それを目指すなんていう奴がいたら、以前までの俺だって同じように聞き返したはずだ。だけど、アリサ先輩と約束をしたいまの俺は、ひと味もふた味も違う。

「ああ、そうだよ。だから俺は城王目指して、今から猛勉強しみせるからな」

「……チッ、またか」

 ガッツポーズをとりながら奮起している俺に、小梶は冷水を浴びせる。普段はあまり口出ししてこない小梶だったが、心が許せる相手となると容赦ない。

「お前いつもそうやって調子のいいこと言って、三日ともったことねぇ、根性なしだっただろうが。野球部だって自分から誘ったくせに、いつの間にか来なくなったじゃねぇーか」

 中学時代から、今もずっと野球を続けていて実直な性格の小梶。

 だからこそ、途中で退部した俺を未だに許せていない。

 中学の野球部が異常に練習に厳しく、俺はずっと筋トレとマラソンとボール拾いばかりをやらされ続けていた。

 でも、それだけが退部の原因じゃなかった。自分には野球の才能がないってことを身をもって味わったから、それで辞めてしまった。そんな弱音を吐けば吐くほどに、小梶のような才能ある人間は嫌悪の表情をする。

 最後の最後まで努力しなければ、結果はわからないとか。結果が全てじゃないとか。そんなお決まりでお綺麗な常套句を並べて、ドヤ顔するんだ。

 でもそんな上から意見は負け犬の胸に響くはずがない。勝ち組だからこそ宣うことができる、汚れなき戯言なんだ。

 だけどまあ、そんなこと言ったら衝突することは目に見えているから、俺は道化になるしかない。

「ふふん、大丈夫だって。今度こそ絶対に俺は諦めない。なんたって、これは俺の夢だからな。……先輩の傍にいるってことが」

 なにやら恥ずかしいセリフをポンポン言ってしまって、胸中で『やべえ』と俺は頭を抱えながら、もうひとりの自分が、『実はいまの俺かっこいんじゃないか』と自画自賛している。

 だけど小梶はそんな浮き足立った俺を引きずり下ろすような、そんな冷たい目でこっちを見てきて、

「……ふーん、それで?」

「それでって?」

「塾に行くとか、家庭教師つけるとかだ。大学受験の勉強、なるべくなら、早めにやっておいたほうがいいんじゃねぇのか?」

 小梶の意見はご尤もで、それについては昨晩自分なりにずっと考えて答えを出した。

 ……課題をやる手を止めて。そのせいで余計に睡眠時間が削れてしまったが、俺は後ろめたい過去はあまり振り返らない主義だ。

「御島さんに、勉強を教えてもらおうと思ってるよ」

「……御島さん、御島さん、ああ、あの人か」

 少しばかり逡巡した顔をしたが、思い出したようだ。

「御島さんなら同じクラスだから色々と質問しやすいし、それにあの人頭いいだろ?」

 御島友紀とは全く面識がないというわけでもない。

 生れつき身体の弱い御島は、欠席回数が多い。そのせいで夏季休業中の補習にでていたが、校内ではトップクラスの成績。

 勉強を教わるにはうってつけの相手だ。

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