第49話 始まりの教室!
廊下で薫子さんと別れ、自分の教室に入ると茅さんが出迎えてくれた。
「もみじん、お早う」
「お早うございます。でも、あの、いいんですか?」
大勢の女子に取り囲まれ歓談していた茅さんが、いきなり輪の外に飛び出したのだ。自然と話が途切れてしまい、僕のせいでこうなってしまったのかと思うと、申し訳なく思ってしまう。
僕が何を言いたいのか、視線で悟った茅さんは、
「あら、いいのよ。あの子達とは遊びだから」
「そ、そうなんですか」
「あの子達とは、ね」
意味深に言葉を紡ぐ、淡いピンク色の唇は艶かしい。
この人の、絶対的な色香は未だに健在だ。
煌びやかな雰囲気と、濃すぎない薄化粧は彼女の魅力を天井知らずにしてしまっている。光り輝く金髪の髪をいじる、細い指先は普段から手入れしているのか、綺麗で美しい。
もしも僕が男だったら、彼女に完全に惚れてしまっているだろう。
……って、僕男じゃん!!
これは非常にまずい。
スポーツはまず形から。まずは、一級選手の技術を模倣することは、スポーツの深淵へと到達する最短ルート。
それと同じように、日頃から女装しているせいで、心がここまで女性に傾いてしまった。
あううう。
たまには男の格好しないと、女の子になろうとしているただの変態になってしまうんじゃないのだろうか。
今度、申請して外出許可をもらおうかな。
手続きが厳しいという噂を小耳に挟んだから、あまり気乗りしていなかった。
けれど、こうなってしまった以上、少しでも早く男の服装をしたい。
「朝っぱらから、うるせぇんだよ。発情するならせめて深夜にしてくれねぇか、この猫かぶり女」
「え? 咲さん、このクラスだったんですか?」
「あほかてめぇ!! この前の球技大会一緒に参加しただろうがあ!!」
「す、すいません。教室でお見かけしたのは初めてだったので」
冗談だったんだけど、通じなかったみたいだ。
無造作にツンツン飛び跳ねている髪の毛は、オシャレなのか寝癖なのか判別しにくい。ただ、ぴょこんと跳ね上がっている前髪と、机に突っ伏していたせいで赤らんだ額は、彼女の隙としか思えない。
拗ねるように唇を尖らせていてる表情が、いつものキリリと精悍な雰囲気とはギャップを感じ、凄く可愛く感じてしまう。
これは、可愛いな……。
茅さんが、口に手を当てて笑いをこらえる。
「あ・ら・ら? 確かに、影の薄いことに定評のある黒さ――黒うさぎさんが登校するなんて珍しいわね。どうしたの? 一人ぼっちだと寂しくて死にそうなの?」
「わざわざ言い直すんじゃねぇよ、この年中発情期狂!! 黒うさぎとか、無理あんだろ!! ……まあ、心境の変化ってやつだ。少しはこの学校も楽しくなりそうだと思ったからよ」
「楽しく……ねえ。確かに、もみじんといると退屈しなさそうなのは同意するわ。この学校の人間に片っ端から敵に回していくそのハートは、尊敬に値するわ」
「そ、そんなつまりはないんですけどね。むしろ僕は平穏に生きたいと願ってるんですけど」
「ふ・う・ん。じゃあ、私と熱い情熱に身も心も焼かれて、全身が痺れるような危険な恋はしてみるつもりはないんだあ、ちょっとショックかな」
小さく拳を作りながら、泣いた演技。三文芝居以外の何物でもないのだが、その挙動は僕の心揺さぶるのに十分。なぜか、彼女を庇いだてしてしまう。
「いえ、そ、そういうわけじゃ――」
「ええっ、ほんとに!? じゃあ、今日こそ私と同衾しちゃう? 鍵はまだ持っているわよね? それか、今ここでやっちゃう?」
「ふぇ、ちょ、ちょ、ちょっと」
するりと、後頭部に据えられた掌に固定されて、どこにも逃げられない。どうにかするには、攻撃するしかないだろうけれど、女の子に手を出すのも気が引ける。
「なんでそんな嫌そうな顔するのかなー、もみじんは。そんな反応されたら……こんな私だって傷ついちゃうんだけどな」
一瞬、顔面が陰翳に過ったのが、どうしても演技とは思えなくて体が固まる。そうしている内に、どんどん僕の唇と、茅さんの唇が近づいていく。
だけど、まるで魔法にかかったかのように僕の顔は動かなくて、思考は霧がかっていて、それが嫌だとは思えなくて、そしてそのまま僕は――。
「やめろ」
プラスチックの定規を、咲さんに間に挟まれ、正気に戻った僕は、弾かれたように危険地帯から距離を置く。
心拍数がとんでもないことになっていて、そのまま倒れそうだ。
「ううん、残念。もみじんみたいなタイプは、キスすれば一発なのになー」
悪びれずに、舌をぺろりとだす茅さんを、咲さんは冷徹ながらも、静かに爆ぜる炎を宿した表情で睨みつける。
「てめぇら、俺の前でイチャイチャするんじゃねぇ。不愉快だろうが」
「ふ・う・ん。散々女の子と仲良くする私を否定しておいて、いざ自分が、ってなったら横恋慕するんだあ。そんなんじゃ、馬にけられて死んでも文句は言えないわよねえ」
「はっ。てめぇらが交尾するのは勝手だがなあ、俺の前ではやめろってことだよ。……別に俺はてめぇらがどんな関係になろうが、どうだっていいがな」
「……咲さん、交尾って」
あえて歪曲的な表現を使ったのかもしれないけれど。
「う・わ・あ。逆に卑猥よねぇ。なになに、いつの間にそんなに変態になっちゃったの?」
「てめぇら、ぶっ殺すぞ!!」
茅さんが咲さんに突っかかるのは、何かしら込み入った事情があるのかと思ったが、どうやら違うみたいだ。
咲さんをからかうと、その、なんていうか、凄く楽しいし、凄く魅力的な人に思えてしまう。
教室の引き戸が、ガラガラと空く音を聞いて、三人一斉に振り返る。
「もみじさん、聞きましたよ!!」
「……白鷺さん、体調良くなったんですね。良かったです」
あの球技大会の後、僕は試合もあったために、付き添うことはできなかった。後から人伝に聞いた話によると、救急車で運ばれる大騒動だったらしい。
それからずっと病院に入院していて、寮でも学校でも見ていなかったから心配していた。だけど、こうして無事な様子を見ることができてほっとした。
「私のことはどうでもいいんです。それよりも、聞きましたよ! どうして私とは登校してくださらないのに、児玉さんとは毎日登校していらっしゃるのですか?」
鬼気迫る剣幕になぜか威圧されながら、僕は後ろに一歩下がる。へたしたら唾でも飛んできそうな勢いだ。
「いや、その、バスケの朝練ついでに、いつの間にか一緒に登校するのが当たり前になっていてですね。そんな、白鷺さんを遠ざけていたという訳じゃないんですよ」
朝は低血圧気味の白鷺さんに、わざわざ僕のペースに合わせてもらうのも気が引けてしまうし。
「毎……日……!? なんて羨ま――じゃなくて、朝一緒になんて、どうしてそんな不埒な行為をしていらっしゃるんですか? これはもう、完全に浮気ですよ」
「ええっ!? いや、浮気ってなに言ってるんですか? し、白鷺さん」
「……ひどい。私に飽きたんですね! お風呂場で気絶した私が抵抗できないことをいいことに、あんなこや、こんなことをなさったのに!! もう、忘れてしまったのですか?」
「な、なに言っちゃってるの、この人は!?」
確かに、貧血で倒れた白鷺さんの介抱をしたのは、他ならぬ僕だ。
目を瞑って着替えさせることなんて不可能。体の隅々までボディタオルで拭くためにも、彼女の肢体を細部に至って眺めたのは、決して邪な感情があったわけじゃないん……ですよ?
「そーいえば、もみじんとお風呂の時間が被ったことないのよねー。どうせなら、お風呂で3Pしちゃう?」
茅さんの爆弾発言に、僕は思わず吹き出す。しかも3Pということは、考えたくもないが、僕と茅さんと、あと白鷺さんの三人ということなのだろうか。
――なぜか白鷺さんがまんざらでもない顔をしているのには、全力で視線を逸らした。
この、とんでもない変人が集まったメンツだと、異常なほどに頼もしいというか、最後の砦というか、常識人である咲さんが、険しい顔をする。
「きっ――めぇ」
「んもう、仲間外れにされたからって、そんな嫉妬しないでよお。ふん。だったら渋々だけど、黒崎も入れてあげるわよ、特別にね。これで合わせて4Pね」
「んなわけねぇだろうがっ! 俺はただ、てめぇがふざけたことぬかすから、率直な意見を述べただけだっ!!」
「ふ・う・ん。それじゃーあ、やっぱりもみじんを独り占めしたいってことなんだあー。……いやん、黒崎さんってばぁー、ちょー、独占欲強いのねぇー」
「ぶ・ち・殺・す」
喧嘩するほど仲がいい二人を、なんとか宥めさせるために、僕は白鷺さんを出汁に使って状況打破を試みる。
「そ、そういえば白鷺さん登校してくるの遅かったけれど、本当に体調大丈夫なんですか?」
「……はあ。もみじさんに心配されてしまいました。今日は朝から幸先がいいです」
白鷺さんが夢心地に吐息を漏らす。
誰か、助けてください。
「実は新任の先生の道案内をしていました。そうしたら、こんな遅刻ギリギリの時間になってしまったんです。ほら、ここって敷地が広大だから、初めて来た人ってだいたい迷ってしまうみたいです」
「そうだね。僕も今でも迷っちゃうんだけどね……って、新任? 新しい先生? え、担任の先生はどうなったんですか?」
悪口の応酬も出し切ったのか、今度は掴みかかっての取っ組み合いにまで発展しそうだった茅さんが、
「担任だった、あの糞ババアなら産気づいたとかで、退職しちゃったみたいよ。もみじん、ちゃんと先生の話聞いてないとだめよ」
「……授業中居眠りしている茅さんに言われても、説得力に欠けますよ」
ううん、正直自分の興味外のことについての、記憶力はからっきしだからな、僕。勉強や他人の癖なんかを記憶したら、だいたい脳に刻まれているんだけど。
それにしても、あの先生があれだけカリカリしていたのも、退職が決まっていたのも一因かも知れないな。なんでもうすぐ辞めるのに、こんな生徒達に振り回されないといけないんだろうかとか、そういうことを考えていたのかも知れない。
「それで、新任の先生が女の人ってことは当然として、どんな先生だったの?」
「そう……ですね」
茅さんに質問された、白鷺さんはどんな先生なのか正確に思い出そうと、あらぬ方向を見つめる。
「なんだか、今までの先生方と比べると、ちょっと言い方は悪いんですけど変わった先生でしたね」
「変わった先生ですか?」
どんな先生だろう。
「はい。なんだか男らしくて、サバサバしているというか。ちょっと、この学園にはいないタイプの。……そういえば、なぜかやたらともみじさんのことを訊いてきたんですよね。どういう生徒なのかとか、どんな授業態度なのかとか」
「……えっ、僕のことですか?」
なんでだろう。
もしかして、新任の先生にすら、僕の行動が、悪い方向に歪曲されて伝わってしまっているのだろうか。もしも、そうだとしたら最悪の地点から、挽回するのは難題そうだ。
「ええ、そうです。私が先生に、もみじさんがどんな方か申し上げたのを細かくお知りになりたいのでしょうか? それなら――」
「いえ、結構です」
くねくね幸せそうに体を曲げる白鷺さんを、一言で袈裟斬りする。なぜかというと、悪い予感しかしないし、話が長丁場になることが目に見えたからだ。
教室のドアが閉められる。
「はい、はーい。みんな席について~。HR始めるよ~」
新任教師によるパンパン、と出席簿を叩く小気味よい音で、みんなが一斉に自分の席に着いていく。
――そう、僕というたった一人の人間を除いて。
なんで……こんなところで……。
信じたくはなかったが、どうも聞き覚えのある声。
僕は恐る恐る事実を確かめると、残酷な現実を突きつけられた。
「やっほー、もみじちゃん。相変わらずモテモテみたいでお義姉ちゃん安心したよ」
「あ、あ、あ、茜義姉さん。どうして……ここに?」
僕の抱いた動揺と同じぐらいの衝撃が、クラス中に走った。わぁ! と一気にクラスのみんなから憶測や噂話が飛び交う。
なんなんだ、この悪夢は……。
はい、といち早く挙手したのは茅さんだ。
「あのー、おねえさんってことわー、もみじんのおねえさんなんですか?」
「ん? そうだよ。まあ、もみじちゃんとは義理だけど、一応姉妹関係。私はもみじちゃんの下着も見慣れている関係だよっ」
「ちょ、ちょっと!!」
嬌声の音量が爆発的に上がっていく。
確かに茜義姉さんの下着を着用しているわけだから、その通りなんだけど、変な噂が飛び交う懸念がある発言は謹んで欲しい。ただでさえ、目立ってはいけない不遇な状況下にいるのに。
「そ、それよりもなんでここにいるの? 就職先決まってなかったんじゃないの?」
「元々私は教師希望だったからね。受け入れてくれる学校がなかっただけで、それ以外の教職課程はとっくに済ませての。そんな私にとって、あの校長先生の要望は渡りに船だったってわけ。んん? もみじちゃんには、メールで全部説明しておいたはずなんだけどな」
「メール? メールなんてもらってないですけど」
「ええ? 確かに送っといたよ。結構前の…………あれだ! もみじちゃんが入寮した日ぐらいに」
「そんなのもらって――あっ」
そういえば、引越しの疲労もあって確認できなかったけど、確かにメールが送信されていた。宛名も見ずに疲れ果ててベッドに伏してしまったんだけど、まさかそんなことになってるなんて。
「もみじちゃんが、実家に連絡よこさないから、母さんや葵が寂しがってたよ。電話ぐらいは一回しといたほうがいいんじゃない?」
「は……はい……」
あの二人に連絡するのは、あまり気乗りしない。からかわれたり、無駄に心配をかけそうだし。
それに、茜義姉さんの就職が決まったことは喜ばしいことなんだろうけれど、よりによって霊堂学園の、しかも僕と同じクラスの担任になるなんて。……一体、あの学園長は何を考えているんだ。
「くははっ!! いいぜ、最高だ。お前のその苦痛に歪んだ顔が、他人の不幸が、この俺の生きる糧になる。どうやらくだらねー学校生活も、俺の見込み通り面白くなりそうだな」
「う・ふ・ん。まあ、もみじんを落とすためには外堀が埋めていった方がいいみたいだし、これは私にとってもチャンスよね」
「もみじさんのお、お、お義姉さんなんですか。ふ、ふ、不束者ですが、これからよろしくお願いします」
咲さん、茅さん、白鷺さんが三者三様の反応を示す中、僕は言葉を返す気力もなく、静かに自分の席に着いた。
どうやら僕の学校生活の波乱は、まだまだ始まったばかりのようだ。
偽悪者な僕は男の娘!? 魔桜 @maou
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