第47話 嘘にまみれた世界!

 間隙なき雨は容赦なく降り注ぎ、視界を濃霧が覆い尽くす。

 渡り廊下の窓は締め切られているが、豪雨の轟音を完全には遮断できていない。大声で呼び止めるが薫子さんは振り向かない。聞こえないのか、それともただ単に無視しているのか。

「まって、ください」

 なんとか追いついた薫子さんの腕は、室内にまで俄かに侵入する冷気のせいか、色白くなっている。

 掴んだ手を振りほどかれるかと思ったが、それすらできないほどに力を使い果たしたのか、なにもしようとしない。

 薫子さんは無理やり笑顔を作ろうとして、失敗してしまったような顔で振り返った。

「最後のブザービーターは、貫録ものでしたよ。……あのシュートがくると頭で分かっていても、止められる人間なんて、同世代ではいないかも知れません」

「そうでもないですよ。もう少しで薫子さんに止められるところでしたから」

 きめることができたのは、まさに僥倖だった。あそこまで食い下がられるとは、試合前には全く予想できなかった。

「私が反応できたのは、あなたのシュートがあまりにもあの人のシュートに似通っていたから。夢にまででててきた、私の理想のシュートだったから。だから止められるはずだった。……私の予想を超えたプレイを、あなたがしなければ、確実に」

 試合で一度たりとも成功しなかったあのシュートを、引退した今になって成功させるなんて皮肉以外の何ものでもない。バスケへの執着を一度捨てたからこそ、あの境地にまで辿り着けたのかも知れないけど、腑に落ちない。

「どうしてあなたは私に勝ってしまったんですか? 私はただ、あの傲慢な先輩達に一泡吹かせたかっただけだったんですよ。あの人達に、私という存在を認めさせたかっただけ。……それなのに、どうしてあなたは邪魔したんですか? これで、私の居場所は完全になくなってしまいました」

 勝利するということは、こういうことだ。

 誰かに恨まれ、必然的に敵意の矛先の標的になる。

 正しいか、正しくないかは関係ない。

 スポットライトを浴びた人間は、少なからず影で野次を受けるのは必然なんだ。その覚悟はできていた。

 だから、

「薫子さんは、自分が馬鹿にしている人たちに認められたいんですか?」

 とことん僕は悪であろう。

 責め立てるだけ責めて、薫子さんが何の反論もできなくなるまで追い詰める。そこまでしなければ、薫子さんは誰を傷つけたのかに気づけない。

 そして変われない。

 彼女のために、僕は彼女の敵になる。

「あなたは協調性がなくて、孤独でいるのが嫌なだけだ。本当は誰かと居場所を共有したいのに、それを素直に言い出せないだけじゃないんですか?」

 薫子さんと僕はよく似ている。

 だから、自分が指摘されて痛いところをただ述べているだけだ。

 僕もずっと学校で孤立していた。

 どれだけ周囲が手をさし伸ばしてくれたとしても、それに縋るだけの勇気がなくて、自ら孤独を選んだんだ。それを他人のせいにする。

 自分を幸せにするのも、不幸にするのも自分自身でしかないのに。

 だから、僕はあなたを否定する。過去の自分を否定する。

 突き放して、彼女自身が自ら手を伸ばすのを僕は待つしかない。

「私はただ正当な評価を受けたかっただけです。凡人が、天才であるこの私を敬うのは当然ですよね? だからこそ私は、一敗することも許されなかったのに……」

「あなたは天才なんかじゃない!! ただ自分が天才であると信じたがっているただの凡人です!! 天才なのは僕です」

 僕は天才なんかじゃない。

 だけど、ここで彼女を納得させるためなら、どんな嘘でも平気で付かなければならない。

「違う!! 私は全国でもトップクラスの実力を誇る天才なんです。私にはバスケしかありません。だからこそ、誰にも負けないように影で努力していたんですよ!!」

 薫子さんは、紛れもなく天才だ。

 そして周りの怠惰に流されないように、徹底して自分を追い込んでいる。

 それができるのは、本当に尊敬する。

「圧倒的点差だったあの試合。追い詰められた原因は、ほとんどボールを持っていた人間にあると思いませんか?」

「私のせいなんかじゃない。他の連中がもっと真面目にパス回しをしなかったから」

「薫子さんがあの人たちを選抜したんですよね。ルールに乗っ取らずに、卑怯な手段を使ってまで」

「……それは」

「薫子さんはただの凡人なんです。だから努力しなくちゃいけない。これまで以上に」

「違う。違う。違う。私は、私は!!」

 狂ったように髪をかき揚げ。かぶりを振る薫子さん。

 全てを否定され、何を指針に生きていけばいいのか分からなくなっている。

 そんなあなたに、僕は間違ったことを言おうとしているのかも知れない。

「聞いてください」

 両手で肩をつかむ。

 恐怖をにじませる表情は、多分更に傷つくことへの恐れだ。

「あなたは天才なんかじゃない。だから負けてもいいんです。もう必要以上に片意地を張らなくてもいいんです」

 孤独であり続けるのは、きっとどんな人間でも辛い。それに耐えられる忍耐力は凄いけれど、それが普通だと思い込み、他人にすらその厳しさを押し付けてしまったら――ずっと独りのままだ。

 だから、少しでも他人に頼ることを覚えなければならない。 

 誰かが傍に入れば、それだけで心にゆとりが生まれる。そうして心が温まれば、他人に優しくなれるんだ。冷徹に身を置くだけじゃ、弱者の気持ちは理解できない。誰かと一緒にいて、人間の弱さを知って、人は初めて強くなれるんだ。

 それが、あの最後のシュートを決められた理由だと、僕は思う。

 薫子さんは、僕の言葉を聞いて呆然としている。

 僕は彼女を謀った。

 僕のスマホのメモ帳には、読んだ人間が引くぐらい、びっしりと文字が埋まっている。それは、一回戦で薫子さんのプレイの癖を細部まで書き込んだものだ。その努力があったからこそ、彼女の行動の一歩先を予測して追い詰めることができた。

 それに、体格と体力のアドバンテージもある。

 僕は男だ。

 だから、どれだけ女性の運動神経が優れていても、歴然と存在するハンディキャップが埋まることはそうそうない。薫子さんを騙しているのは罪悪感を覚えるけれど、もしも僕が彼女と同性だったら、勝てなかっただろう。

 二人向かい合いながら話していると、茅さんが

「もみじん、取り込み中悪いけど、もうすぐ試合始まるわよ」

「……えっ?」

 そういえば、勝ってしまったせいで準決勝に駒をすすめることになったんだ。

 目先の勝利だけを念頭においていたから、次の試合のことなんて考えていなかった。

 しかも次は因縁深いバスケ部の先輩達なのではないだろうか。僕に恥をかかわされたという噂が、校内を駆け回っている状態、恨みに思っていないはずがない。

「えっと、じゃあ次の試合はきけ――」

「……もしかして、今までのことは全部、私のために? ありがとうございます。……私、勘違いしていました。さっき私を責めたのも、私のことを思って言ったんですね。そして、次の試合でも、私の手を汚さないようにと、自分から……」

 な、な、なんか凄い尊敬の目で見られているぅううう。

 ここで、別に薫子さんの為に汗を流したわけじゃないです。次の試合は面倒だから棄権したいです。……なんて言い出したら、今までの説得が水の泡になる。

 中空に視線を移しながら、数瞬熟考する。

「……僕に全部まかせて下さい。次の試合も勿論勝ってみせますよ」

「あ、あの、師匠と呼んでもいいですか?」

「ふっ、いいですよ」

 もう、好きに呼んでください!!

 ――そして僕達Dクラスは、順調に勝ち進んで結局は優勝してしまった。そして、色々な人から今以上に目をつけられてしまいました。

 どうやら僕への試練は、始まったばかりのようだ。

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