第46話 コート上のペテン師!(下)

 怒涛の追い上げにより、点差は一点差まで迫っていた。

 しかし、電光得点表示盤は、この試合の終焉が近いことを示している。

 オフェンス、ディフェンス共に身体を酷使し続けた結果、滝のような汗が全身から噴き出している。僕の戦術もそろそろ種切れで、いよいよ限界が近い。

 チェンジオブペースで、茅さんの猛攻を躱そうとするが、先を読まれて動けない状態。

 肩、足、目線、肘、膝あらゆるフェイントを織り交ぜても、勝利への執念に燃えた天才が、どうしても立ち塞がる。

 パスコースも完璧に読まれていて、どこにも退路はない。

「行かせません」

「……うっ」

 ほとんど僕しかボールに触っていないとはいえ、数十分間という短時間で、ここまで動きを読まれた経験は稀有だ。灰になっていたはずの、バスケへの情熱が不死鳥のように蘇る。

 全身が粟立つのを感じ、全神経が引き締まる。

 バウンドするボールの音がまるで他人事のようによそよそしく響き、それと同時に時間と空間を支配しているかのような全能感に支配される。

 時間を稼がれたせいで、Bクラスのディフェンス勢が集まってくる。ゴールまでの距離が遠く感じながらも、一歩も先に進めずに立ち往生してしまっている。

 絵にかいたような絶体絶命。

 だけど、ここで勝ったらさぞや痛快なんじゃないのかな。……なんて思ってしまうのは、バスケ経験者の性だろうか。

 無理矢理呼吸を整え、ずっと温存していた僕の切り札をここで切る。

 もう、勝負をかけるとしたらここしかない。

 感覚が鋭敏に研ぎ澄まされ、視界に捉えているあらゆる事象は緩慢になり、思考回路だけは数瞬の何倍ものスピードで回転する。

 僕はバックステップで、一先ず薫子さんに気圧されたと思わせる。それは、断じて好転しない状況に焦れて、袋小路に逃げ込んだ鼠の悪あがきなどではない。

 そう、油断だと気が付いた時にはもう遅い。

 一歩引いたのは、僕が最も得意な距離でシュートを打つためだ。3Pシュートの線を足で撫でるように、優雅に僕は退いた。

 放たれたシュートに、触れることはできずに目で追うことになる。体育館に集まった全員が身動ぎもせずに、僕のシュートを呆けたように黙ったまま見続ける。

 そのはずだった。

「くっ!」

 全身のばねを使って、薫子さんだけがシュートコースを防いでくる。

 ……反射だけじゃ、到底追いつけない動きだったのに、いったいどうやって。

 一部の隙もなかったはずの完璧なるフォームでは、確実に勝利をもぎ取ることは叶わない。だったら、僕は不確かで確率の極端に低い方法でも、勝てるかもしれない博打に身を投じる。

 どれだけ鍛錬を積んでも、確実に点を取れるまでは至らなかった。現役時代、一度も成功したことのないシュートを今こそ!! 

 後方に跳びながらのフェイダウェイシュートを、不格好ながらに放つ。

 そのまま勢いを殺しきれずに、僕は尻もちをつく。即座に跳ね上がる余力もなく、上半身だけを力なく持ち上げた僕は、ボールの行方に照準を定める。

 ビィィィィ!!

 停止していた時間。電光得点掲示盤だけが動き出し、試合終了を告げた。機械が金切り声をあげたと同時に、僕の手から離れてしまったボールは、ゴールの奥へ鈍い音を立てて直撃する。

 手首のスナップの力加減を間違えたせいで、威力が強力すぎたようだ。胸中で舌打ちするが、最早僕にはどうすることもできない。

 そのまま斜め手前に跳ね上がったボールは、どこに向かうか誰にも予想できない。視界が真っ白に染まりながらも、ボールの軌道だけはしっかりと色を保っている。

「……入れ」

 入ってくれ。

 これで入らなかったら嘘だ。確かに、この世界にはどれだけ手を伸ばしたとしても、掴めず、中空に無様に手が放置されたままなんてざらだ。届かない奇跡に思いをはせるなんて、無様で滑稽にしか過ぎないかも知れない。

 ――だけど、誰かに対する想いが、そう簡単に足蹴にされていいはずがない。

 白鷺さんみたいに辛い思いをしている弱い人間が、そのまま見過ごされて、記憶の隅で埃をかぶりながら、いずれ忘れ去れられるなんて納得がいかない。

 ただの逆恨みだと嘲弄されてもしかたのない、僕のこの短絡的な行動理念は爪痕を残したいだけ。たった、それだけのことだ。だけど、それすらみんなにとっては唾棄すべきものだ。

 だけど、本当はみんなだって望んでいるはずなんだ。

 ――弱者のいない、都合のいい世界を。

 だけど、弱者に加担した人間は得てして一括りにされて、コミュニティから隔離される。大衆から爪弾きにされて、冷笑を浴びることになる。

 みんなはそうしないと、きっと自分という人格を保つことができないんだ。眩しい人間を直視できずに、それを貶めることで、どうにか心のバランスをとっているに過ぎないのに……。

 みんなが正しいことを否定するから、周囲がそれに合わせている。それが『空気を読むことだ、協調性を重んじることだ』と言い聞かせて。誰もが矢面に立って、汚れ役になることを拒んでいるだけだ。


 だったら、この僕が『悪』になってみせる。


 斜に構えた傍観者に偽善者だと罵られようが、余計な御世話だと救いの手を弾かれようが、後々自分の行動の価値を見出せなくなろうが、そんなことは今の僕に関係ない。

 僕は刹那に生きて、奇跡の呼び水を掬い取りたい。

 ――そして、静寂。

 体育館の床に、数度跳ねるボールの音だけが木霊する。そして、ボールが転がりを終えて、今度こそ本当に誰もが言葉を失ったその瞬間。

 Dクラスの得点に三点が追加され――体育館は、爆ぜた。

 興奮のるつぼと化した体育館には、割れんばかりの拍手と、数えきれない甲高い歓声で埋め尽くされた。

 確かに体育館全体が、大勢の人間の興奮によって揺れた気がした。

「……えっ? ……なんだ……これ?」

 鼓膜が破れんばかりの、怒声のような黄色い声。どうしようもなく、このでき過ぎた試合内容と結果に高揚する。手の震えが止まらなくて、恥ずかしい。

「やっるぅ、もみじん!!」

 飛び跳ねるように、喜びを率直に表現されると僕も満更でもない気がする。

 それにしても、「もみじ様最高ですぅ」「ああ、なんて凛々しいお姿」とかなにやら不穏な声が聞こえて来るのは幻聴なのかな。

「あの、茅さん。……この声援は?」

「あ・ら・ら。その顔は知らないふりをしているわけじゃなさそうね。もみじんのファンよ、ファン。入学当初から隠れファンはいたみたいだけど、どうやら今回の件で表立ってきたみたいね」

 なんですか、その隠れキリシタンみたいなファンは。踏み絵でもやってたら、僕結構ショック受けちゃいますよ。

 茅さんがいうには、僕の入学式騒動以来、熱烈なファンがついていたらしい。人気のない教師や、意地の悪いバレー部の先輩への反抗が、武勇伝としてネジ曲がって触れ回っていたらしく、僕の評価は天井知らずに上がっていたらしい。

 俄には信じられなかったけれど、たまに感じた敵意のない視線や、名前を様づけで呼ばれていたことを思い出し、頭ごなしの全否定はできなかった。

 ……敵が大勢いればいるほどに、味方も増える可能性もそれだけ増えるってことなのかな。

 でも、みんなから遊ばれている気がして、あまりいい気分じゃない。

「まさか、本当にBクラスに勝っちゃうなんてね。……もみじん」

 と茅さんが言うと、

「まあ負けるとは、微塵も俺は考えちゃいなかったがな」

 咲さんが肩をすくめながら答える。

「なによ、勝ったからって、調子のいい事言って。どうせ黒崎は、勝てるなんて思ってなかったでしょ?」

「それはてめぇのほうなんじゃねぇのかよ? どうせ、『いつものように本気じゃなかったから、私負けても当然よね』とかいい訳するんじゃねぇかって俺はハナから睨んでたぜ」

「ばっー―かっじゃないの!? あんたこそ、途中でいつサボり出すのかしらって、私は楽しみにしていたけどね!!」

「どうしようもなく性格悪いな、お前……」

「他人の不幸は蜜の味なんて嘯いている、あんたになんか言われたくないわよ」

「ちょ、ちょっと二人とも。もう挨拶ですよ」

 僕が二人の仲介役になって、ようやく両チームがコートの真ん中に整列し終える。苦々しい表情を浮かべたまま薫子さんは、頭も下げなかった。そして試合終了の合図が審判からされると、即座に逃げ出した。

 僕は唖然となりながらも、彼女の胸中を察して追いかけた。後ろから茅さんの「ちょっと、私との約束は?」と聞かれたが、返事をする余裕が僕にはなかった。

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