第44話 僕にはわからない世界!
前半戦が終了して休憩時間が始まった頃に、僕らは体育館に到着した。
バケツを逆さまにしたような土砂降りで、外の球技はまるまる中止になったようだ。
濡鼠になった生徒達がこぞって体育館に身を寄せてきているせいで、人口密度は跳ね上がり窮屈極まりない。そして、避けようもなく肩と肩がぶつかってしまう。彼女達の胸が、肘や背中などに当たってしまう。
それから、体育着を雑巾のように絞っている人はヘソが丸みえになっていたり、雨のせいで下着が透けて見える人がいたり、どうにも目のやり場に困る。
濁流のような人々を掻き分けてなんとか進むと、茅さんが僕の前方を視界に捉え「げっ」と顔を顰める。
「なんで、よりによってあんたがもみじんと一緒に来るのよ!? 黒崎」
そういえば、二人が対面する場に居合わせたのを、僕は見たことがない。険悪な雰囲気を感じ取った周囲の人達は、自然とバリアのような空間を作り出す。
「わっぷっ!」
外側に押し出される流れに逆らえずに、もみくちゃになる。女性の艶かしい肢体が、まるでパズルのピースのように僕の身体にぴったりとくっつく。四方をがっちりと囲まれる状態になり、腕もあげられない状態。
「そっちこそ、ちょっと見ねぇ間にずいぶん化粧が濃くなったみてぇだな。そんなんじゃあ、女漁る胸くそ悪ぃ趣味にも多大な支障をきたしてんじゃねぇのか?」
「はあ? 視力悪すぎなんじゃないの? それともさっさと精神科にでも行けば? あなたみたいな社会不適合者には、学校よりよっぽどお似合いよ」
「複数の同性と同時期に乳繰り合う、お前みたいな人格破綻者の代表に『社会不適合者』なんて言われたくねぇんだよ!! てめぇこそ、学校辞めて夜の街で働いたらどうだ? おっさんが喜びそうな顔してるもんな、お前」
「あ・ら・ら? モテない人の僻みは怖いわねぇ。だいたいあなた、どうしてもみじんと一緒にいるのよ? 私の愛人に手を出さないでくれる?」
「ああ? どういうことだそれは?」
このままじゃあ、試合どころじゃない。
僕は女性達の柔らかい身体を押しのけながら、咲さんと茅さんに近づく。その際に、「押さないでよ!」とか「そこは……だめ……」だとか喘ぐ声が聞こえてきたが、今は気にしていられない。
「ちょ、ちょっと待ってください。仲間割れしてどうするんですか!?」
火花の散っている間を、僕は強引に割り込む。
「誰が、仲間だぁ!」
「誰が、仲間よっ!」
息ぴったりの二人の反論に、あはは、と愛想笑いして誤魔化す。喧嘩するほど仲がいいっていう、典型的な関係なのかも知れない。
僕が黙ったのをいいことに、二人はまた語尾を荒げて言い争う。
この対抗心をどうにかしていい方向に導くことができれば、この戦いで勝利を収める可能性が高まる。
……どうやら全ては、これからの僕の采配にかかっているみたいだ。
茅さんと咲さん以外のクラスメイト達は、悄然としている。健闘したとお互いを慰めあいながらも、その顔に色がない。
ちらりと、僕は点数差を見る。
ダブルスコア以上の点差で突き放されていては、言い訳すらも満足に言えないのは道理だ。心の折れた敗残兵には期待できない。だとしたら、やっぱりBクラスの勝率を引き上げることができるのは、この二人だけだ。
士気をあげる為には、二人が高揚するように画策しなければならない。だけど、何かを得るためには同等の代価が必要だ。もう少し時間の猶予があるのなら、もっと上等な策を練れたのだけれど、どうしようもない。
これは勝つ為に必要な事だ。……南無三っ!!
「茅さん。もしもこの試合に勝てたら、僕を一日だけ自由に使って構いません」
ぴたり、と茅さんは停止し、ゆっくりとこっちに首を向ける。
瞳には狂気を帯びている。
しまったああああ。もう少し無難な提案をすればよかった。でもこれが最善で最高の効果を発揮するのは、茅さんの性格上推し量ることができる。くっ。こうなったら、毒を食わらば皿までだ。
「自由ってことは、なんど命令してもいいってことよね?」
「そう思ってくださって結構です」
「私の命令に、もみじんは抵抗する権利はないわよね?」
「……僕のできる範囲なら、どんなことでもやります」
「できる範囲じゃなくて、私の命令に絶対遵守であるなら、望むところよ」
「…………わかりました。その条件呑みます」
「ふふっ。誇っていいわよ、もみじん。この私に本気を引き出したのは、未だかつてあなただけなんだからね」
不吉な笑いを零しながら、自分の世界に入り込んだ茅さんは「縄は必需品としてぇ、蝋燭はどうしようかしら? 手錠なら確か……」とぶつぶつ呪詛のように呟いている。
……ふぅ、ちょっと僕にはわからない世界のようだ。
こ、こ、こ、これは……早まったかな。
いや今は、切り替えなきゃ。
僕は次に落とすべき標的に、意識を絞る。
「咲さん。人間は他人の不幸を、無意識のうちに望んでいるって言っていましたよね。それは、あなたもなんですか?」
「はっ、もちろんだ。他人の不幸は蜜の味。絶望の淵に立たされた人間を、高みから見下ろすのは愉快以外の何物でもねぇよ」
「だったら、その絶望が色濃いほどに、その快楽は増すという考え方はありませんか?」
特異な考えを持っている人間は、その世界観を真正面から否定してはだめだ。その世界観を崩壊させずに、僕の都合のいい方向へと促してあげればいい。
「勝利を確信している人間に、もしも土をつけることができたなら、どれだけ爽快でしょうか」
Bクラスの人達は、この雨を幸いとばかりに、外で競技していた人間達もチームに引き入れている。これでBクラスは、スポーツ特待生のオールスターと化していた。
上級生と当たる試合はともかく、初戦で、しかも僕らDクラス。それから圧倒的な点数さ。これでBクラスの人達は油断せずにはいられないはず。自分たちが負ける事なんて、想像だにしていないはずだ。
だけど、その慢心こそが命取りであり、咲さんを焚き付けるだけの材料になる。
「くはは。そうか、そういうことか……秋月もみじ。いいぜ、お前の思惑に今から相乗りしてやる。……だが、覚悟しておけよ。期待を裏切ることになれば、今度は俺自ら、お前に土の味を味わせることになるぜ」
「咲さんこそ、僕のプレイについてこれますか?」
「プレイ?」
目を輝かす茅さんを無視する。
挑発こそが、咲さんの心を揺さぶる有効な手段なはずだ。
勝負を戦う前から放棄する人間だからこそ、負けたくないという意思は強い。負けたくないから、勝負そのものをしないのだ。だから、咲さんは学校をサボったりする。人と関わると、心が傷ついてしまうから、誰とも関わらない。
……多分、咲さんはそういう人間だと僕は思う。
確信には至らないまでも、さっきの茅さんとの激とした口論で、勝負そのものを嫌ってはいないのは解った。
だったら、勝つ為の算段はつく。
その敵愾心を僕や茅さんにすら向ける。人は明確な敵がいるからこそ、強くなれるんだ。仲間内にライバルがいるからこそ、その人よりも上に立とうと努力する。
切磋琢磨しながら高め合い、強大な敵に一丸となって戦う。これが僕の立てたシナリオだ。
さてと、ここからが本番だ。
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