第41話 傍観者の居座る場所!

 僕らバスケの試合も始まった。

 くじ引きの結果、僕らは一回戦不戦勝。

 シードとなった。

 そのお蔭で何の苦も無く二回戦に駒を進めた。その代償とばかりに、今のバスケの試合状況はあまりにも悲惨だ。これじゃあ、Dクラスは試合を盛り上げる為の当て馬だ。

 戦局は極めて不利。

 というよりは、圧倒的としか形容しようのない戦力差。

 お互いのチームの攻撃力の違いはもとより、Dクラスの穴だらけのディフェンスには覇気を感じない。見ている限り、勝利を渇望しているのは、生まれつきハンデを負った一人の人間だけだ。このまま状況に変化がなければ、ダブルスコアで辛酸を舐めるであろうことは、火を見るより明らかだ。

「ねえねえ、もみじん。もっとそっちに寄ってもいい?」

「だめです。この線の内と外が、僕とあなたの境界線です」

 体育館に塗られているペンキの上を、指でなぞっていく。子どもっぽい理屈だけれど、こうでもしないとロッカーでの惨劇が再び起こらないとも限らない。体中を弄られて、もう少しで男の勲章を辱められるところだった。

 憮然としながらも、「はーい」と素直に従う茅さんは、どこか僕をからかっているようで釈然としない。

「もみじん、言っておくけど。うちのクラスには期待しない方がいいわよ。平気で学校をサボるような問題児ばかり集めたのが、このDクラスなんだから」

「……だと思いましたよ」

 パンフレットに、このDクラスだけ何の説明も書かれていなかった時点で、何かしらの落とし穴はあると予見出来ていた。

 普通に考えて、うちのクラスは手のかかる生徒を一挙に集めたという気がする。

 入学式をサボった僕に、女漁りが趣味の茅さん、それから病院通いの白鷺さん。

 悪い言い方だが、先生にとってはどれも手に余る生徒だろう。もしかしたらこのクラスは、曲者の精鋭ぞろいなんじゃないだろうか。

「ちょ、ちょっとなにしてるんですか!?」

「なにって、いいことよ?」

 茅さんが、体育座りを崩して、耳たぶを突然擦るように揉み始めた。的確に耳の壺を押さえているせいで、思わずため息を溢しそうなぐらい気持ちいい。

 もみもみ。もみもみもみ。もみもみもみもみ。

 な、なにがしたいんだ、この人。

 執拗で妙に洗練された技巧は、スキンシップという名の侵攻だろうか。思わずこのままずっと揉まれていたいという欲望が首をもたげるが、もう片方の魔の手が僕に迫るのを見て取って、我に返る。

 なんとか正気に戻ると、チョップで墜落させる。

「そうはさせませんよ。というか、線からはみ出さないって口約束してくれましたよね」

「でも侵略したのはこの領土でしょう? でも、私が侵入したのはあくまで領空。だったらノープロブレムでしょ?」

「この線からは、体育館の床だろうと、空中だろうと僕の絶対領域だってさっき試合前に言いましたよね?」

「不可侵条約は、破るためにあるのよ?」

 思わず噴き出す。

「違法ですよね完全に。なんですか、いきなりのその自分ルールは?」

「もみじん、違法も法だよ」

 ばたぁん!!

 床に何かを思いっきり叩き付けたような音が響き、僕は即座に首を向ける。審判が直ぐさまファールの宣告をする。非公式試合で、学校のイベントなので何回ファールをとろうが、退場にはならないのだが、一応形式上といったところだろう。審判の言葉には、力がこもっていなかった。

 いったり誰がと視線を漂わし、見つけた。ファールをやった本人は、ボールを持ったまま動かない。被害を受けた人間は、ぐったりと倒れ伏している。

「し……白鷺さん」

 茅さんが何かを言った気がするが、僕は構わず彼女に駆け寄る。

 抱き寄せると、白鷺さんは過呼吸の症状を起こしていた。僕は夢中で彼女のポケットを弄り、出てきた器械を彼女の口に押し付ける。

 ――そうしてようやく、症状が和らぐ。

 体育館は一時、騒然となっていた。けれど、すぐさま囁きは止んだ。……まるで、今起きたことを、誰もが見て見ぬふりをするように。

「白鷺さん、立てますか?」

「……は……い……」

 健気に頷きつつも、まだ息が荒い。苦言を呈さないのは、せめてものプライド? それとも、他人に心配をかけさせないようにとの配慮? 

 きゅっ、と体育シューズが体育館に反響する。ゆっくりと見上げると、表情の引き攣った薫子さんが立ち尽くしていた。

「どうして……ですか? 白鷺さんの体のこと、知らなかったわけじゃなかったんですよね? ……それなのに……どうしてそこまでラフなプレイができるんですか?」

 びくんと、一瞬僕の顔を見た薫子さんはすくんだが、気を取り直したかのように言葉を絞り出す。

「邪魔だったからよ」

 邪魔だったから? たったそれだけの理由で、体の弱い彼女から強引にボールを強奪したのか? 

 僕が睨みつけると、薫子さんは憎々しげに渋面をつくる。

「だって、ウザいだけでしょ? 無駄な努力を積み重ねている人間なんて。……どうせ、『私はこれだけ頑張ってる。だから、ここで試合に負けても、勝負には勝った』とか言い出したかったんでしょうけど、残念だったわね。そんな見え見えの魂胆に私が引っかかるとでも思った? 負け犬の遠吠えなんて、聞きたくもないわよ」

「白鷺さんは、そんなこと考えていませんでしたよ」

「ちょっと、肘でついただけですぐに倒れるんだから、ほんといい迷惑よね。なによこれ? まるで私が悪人みたいじゃない。そうやって、被害者ぶるのだけは妙に上手いわよね。弱い人間って、だから嫌いなのよ」

「白鷺さんは、弱くなんてないですよ」

「どうせ、誰かが助けてくるのを計算に入れたうえで、派手に倒れたんでしょ? 負けると悟ったから、もう諦めたんでしょ? ああ、イヤになるわよね。そういうことされると、本当にイライラする。胃に穴があいたら、それこそ私が被害者よ。まったく、自分の卑怯さを認めなさいよ。あんたみたいな奴がいるから、私がこんな辛い想いをしないといけなくなるのよ」

 怒りのあまり、視界が定まらない。

 立ち上がろうとすると、白鷺さんに手で制される。

「もみじさん、申し訳ありません。私を保健室まで連れてっていってくださいませんか?」

 苦悶の表情。

 しゅるしゅると、膨れ上がっていた感情が萎む。

 僕は顔を強張らせている薫子さんを一瞥すると、ほとんど白鷺さんに抱きついているような格好で、彼女に肩を貸す。

 体育館から出ようとする僕らを、誰もが目をそらした。

 二人三脚のように歩き出した僕らの前は、ざざっと空しい音を響かせ、統率された兵隊のように、一斉に道をあける。

 誰も僕らに手を貸そうとしない。遠いところから、「あれ大丈夫なの?」とか、「大変そーう」とか、傍観者の声だけがざわめいていた。


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