第40話 絶体絶命の更衣室!(下)

 僕は覗き込んでいた顔を引っ込めて、後頭部をロッカーの隅にくっつける。

 開き直って一緒に着替えるのならまだしも、隠れてこそこそ覗くなんて真似は僕にはできない。 

「だいたい、先輩達は実力無いくせに色々口うるさすぎなのよ。……まあでも、今日であの人達も黙り込むことになるわ」

「どうして?」

「私達一年生チームに負けたら面子丸潰れでしょ? あの厚かましい先輩達も、流石にでかい顔ができなくなるわよ。これで、私も自由にバスケができるようになれる」

 直接本人達に抗議を呈さないだろうか。薫子さんだったら、積極的に高圧的な態度をとるのが常なのに、こんな裏で影口を言うような印象はなかった。

 いや、もう既に手段を尽くしているのかも知れない。

 バスケ部の先輩方は、徒党を組んで薫子さんを詰っていた。薫子さんはそれでも我を通していたが、聞く耳を持っていなかったように見えた。だから実力行使で分からせようという腹なのかも知れない。

 だけど。

「……でも、やっぱり先輩達に勝つのは無理なんじゃないのかな」

 大人しめの彼女は、引き気味で快く加担するつもりではないようだ。

 当たり前だ。

 郷に入っては郷に従えを、地で行くのが大衆だ。

 誰もが薫子さんのように、自分を貫き通すことを美徳だとは考えていない。長いものに巻かれて身動きがとれなくとも、調和を望んでいるのが自然だと言える。

「大丈夫よ。午前で競技が終わったクラスのみんなには、もう声をかけているわ。実力のある人間にはバスケに出場するように頼んでおいたから」

「えっ? でも、球技大会は、他の球技試合には途中参加できないんじゃないの?」

「……いいのよ。先生たちだって、見てみぬふりしてる暗黙のルールなんだから」

 なるほど。

 生徒に不干渉の対応しているのは、全ての教員に共通する。

 お金持ちである生徒の親に、頭が上がらないのだろう。先生達の将来を握れるぐらいの、財産を保有している親御さんばかりなのだ。そんな相手に強く主張できないのは、自明の理だ。

 それにしても……薫子さんは勝利を手にする為には手段を選ばないタイプみたいだ。腹に据えかねるというよりは、少しばかり心配だ。周囲に目を配ることを忘れて、とんでもないことを仕出かしそうで恐い。

「だから、二回戦で当たるDクラスなんて眼中にないわ」

「そう……なんだ。あっ。それじゃあ、着替えたから先に行ってるよ」

 蛍光灯の光が差し込む隙間から覗き込むと、眼鏡の人が出て行くのが分かった。こうして見ると、彼女はやっぱり薫子さんに全幅の信頼を置いているようには見えない。薫子さんがこれほど素直に心情を述べる人間にも関わらず、だ……。

 僕が気に悩む必要はない。だけどふと思った。薫子さんに、心の底から腹を割って話せる人間がいるのだろうかということを……。

 それにしても、どうして薫子さんは嘘をついたんだろう。

 Dクラスに関心を持っていなかったとしたら、どうしてBクラスとかち合うことを知っていた。しかも対戦するのがいつかも、正確に。気になる観点がなければ、そこまで断言できないだろうに。

 ぎぃと、目の前から人工的な光が広がる。

「えっ……な、なんで!?」

「あ、あははは」

 ど、どうしよう、これはもう笑うしかない。薫子さんにいとも簡単に見つかってしまった。

「わっ!!」

 しかも着替え途中だったのか、薫子さんはランジェリー姿。しかも、普段強気な薫子さんにしては、意外に可愛らしい装飾で驚く。

 彼女の張りのある肌に、しな垂れかかっている下着から、際どく見えるか見えないかの艶のある肢体がチラリズムしていて、思わず顔を背けようとする。

 けれど、性別が同じな筈の僕が、ここで目を逸らした方が不自然極まりない。下手をしたら薫子さんに、茅さんのような同性愛者だと勘違いされかねない。ここは凝視するのが正解なのかな……と思っていたら、

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。あ、あの、違うんです」

 薫子さんは手をバタバタさせながら、顔は赤面状態。

 今にも落涙しそうな涙目で、子犬のような可愛さがある。ずっとそっぽを向いていたのに、ようやく尻尾を振ってくれたような、そんな感じ。

「その、あなたの陰口は、あの、口が滑っただけというか……悪気はなかったんです」

 ロッカーに潜んでいたことを咎められたら、どう繕うか決めかねていたのでほっとした。 

 いつもの能面は見る影もなくて、表情豊か。その変化がどこかくすぐったくて、それは多分全然嫌な気分じゃなくなくて、なんだかとても嬉しかった。いつもの張り詰めた空気を纏っている彼女よりも、今のほうがずっとずっと魅力的だった。

「大丈夫ですよ。僕が薫子さんに嫌われているのは、初めて会ったときから分かり切っていたことですから」

「ち、ちがっ。わ……忘れてください!! 違うんです、違うんです……」

 首を振りながら、必死で弁解する薫子さんが段々可哀そうになってきた。

「……あれ? そういえば、なんでこんなところに? Dクラスの人は、教室で着替えるんじゃありませんでしたか?」

 そうだったのか。

 どうせ球技大会に出る予定なんてなかったから、クラスごとに着替える場所が違うなんて知らなかった。よくよく考えれば、この更衣室に全員分の着替えを置くという考えのほうが突飛なのか。

 だいたい、担任の先生が事前に注意してくれればよかったものの、なぜか今日は学校を休んでいた。そんなにも、こういう行事が嫌いなのだろうか。

「そ、そのですね。白鷺さんにここを使うように言われまして」 

「白鷺……さん? どうしてあの人が……。仲がいいんですか?」

 なぜか、ただならぬ雰囲気になってきた。

 白鷺さんの名前をここで出すのは迂闊だったけれど、本当の事だからしかたない。もう少し時間の猶予をもらえれば、もっとそれらしい言い逃れができたのに。

 ごめん、白鷺さん。これで変な恨みを被せる形にならなければいいけれど……。

「ま、まあ。この高校じゃあ一番仲がいいと思いますね」

 やばい、とにかく話題を変えないと、どんどん白鷺さんのイメージが悪くなってしまう。おべっかだろうが、ご機嫌どりだろうが、とにかくここは薫子さん自身を誉めて白鷺さんの悪い印象を払拭してもらうしかない。

「その、薫子さんとも仲良くなりたいなって思ってるんですよ。僕って、みんなから避けられているような節があるので……」

「私とですか。光栄ですっ!! ……って何を言っているんだろ、私っ!? すいませんっ!!」

 なにやら勝手に自爆していく薫子さんは、急いで着替えを済ませ、ドタバタ音を立てながら、更衣室から退出していく。

「いったいなんだったんだろう……」

 ようやく静かになった更衣室で、独りごちる。

「そうだ……僕もそろそろ着替えないと」

 狭苦しいロッカーからようやく解放され、身を乗り出そうとすると、ドアノブがガチャと開く。僕は慌てて密室に逃げ出すと、足音が淀み無くこちらに向かって止まる。

 さっき出て行った薫子さん……じゃないよな。

「……もみじん、もしかしてようやく?」

「は、はい? な、なんで?」

 茅さんが……。

 というより、僕がここにいても全然驚かないのはなんでだろう。茅さんの表情は驚きというよりは、得心いったという感じ。

 なんだか嫌な予感が……。

「この奥のロッカーは、私を愛してくれる子と密会する場所よ。ここに潜り込んでいるってことは、もみじんもようやく私のものになると決心してくれたのね、嬉しいわ」

 恍惚とした表情で、僕を見つめる茅さんに貞操の危機を感じる。

「違うんです! 知らなかったんです!!」

「そうやって焦らしプレイで私を屈服させるつもりなら、覚悟しておいたほうがいいわよ。中途半端なSじゃあ、私を満足させることなんて不可能なんだからね」

「僕は至ってノーマルです!! ……ってなにやってるんですか?」

「なにって、どうせ脱ぐんでしょ? だったらさっさと脱がせてあげようかと思って」

 まるで日課のような手慣れた脱がせ技術で、僕の制服を剥ぎ取ろうとした茅さんに度肝を抜かれた。

「脱ぐって、球技大会のためですよね? それだったら自分で着替えるので心配しないでください」

 んふ、と機嫌よさそうに茅さんは微笑みを漏らす。

「心配なのは、もみじんがどれだけ耐えられるかってことかな?」

「ちょ、待ってくださいっ!! そこは、本当にシャレになりませ――きゃ、きゃああああああ!!」

 助けを求める女のような叫び声は、更衣室中に木霊した。

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