第38話 嵐の前のグラウンド!

 グラウンドには活気が漲っている。

 球技大会といういつもとは違うイベント事にみんな浮足立っている。レクリエーションの一環とはいえ、本気で楽しんでいる人達がほとんどだろう。熱気に包まれる学校全体とは裏腹に、僕はスマホ片手に暇つぶしをしていた。

 僕はどこか冷めていた。

 喧騒が実際の距離よりも遠く聞こえる。

 球技大会がまるで他人事のようだ。

 朝見た夢のせいだろう。

 気分がまるで乗らない。

 球技大会は、午前と午後の部で構成されている。僕が参加登録しているバスケの試合があるのは、午後の部だ。まだ午前である今はスマホを見ながら、チラチラと他の参加者の試合を見ていた。

 まあ、午後だってバスケの試合に出場するわけじゃないけど。

「もみじさんっ、こんなところにいらっしゃったんですか」

 白鷺さんが、清々しいまでの笑顔をしながら駆け寄ってくる。

「探しましたよっ」

 体操服姿の白鷺さんは僕の目の前に立ち止まって、どこか僕を批難めいた視線を投射してくる。

 僕のことを探していたってことは、何かクラスの重要な伝達事項でもあるんだろうか。せっかく、あまり交流のない他クラスにどんな人がいるのか知りたかったのに。

「もみじさん。どうして、私と一緒に朝登校してくださらないんですか?」

「えっ?」

 そんな些細なこと? と聞き返したかったけれど、なにか言い知れぬオーラを感じ、言葉を引っ込める。

「どうしてって言われても……やっぱり、時間を合わせて登校するとなると、白鷺さんに負担がかかるんじゃないかと思ったんですけど」

「なんだ、そんなことで気に病んでいたんですか。私はてっきり……」

「てっきり? どうしたんですか?」

「いえ、お恥ずかしい話です。くだらない噂に私が翻弄されただけなので、もみじさんは気になさらないでください」

「……噂? どんな噂なんですか。気になるんですけど」

 噂か。

 最近目立つことばかりしている気がするからな。

 どんな悪い噂を流布されているか分かったものじゃない。

 払拭するためには尽力しなきゃ。

 僕という存在は、どこから亀裂が入るか分からない虚構なのだ。常に綱渡りで、女子だと偽っている僕にとって、石橋はどれだけ叩いても無駄ではない。

「そう……ですか? ……実はもみじさんが綾城先輩と、何か如何わしい関係になってしまったっていう他愛もない噂を耳にしたんです。だから、もみじさんが私と一緒に登校してくださらないのだと勘違いしておりました。申し訳ありません。そんなことあるはずないのに、疑うようなことを言ってしまって」

「う、う……ん。そ、そんなことあるわけないですよ」

 胸の内で冷や汗をかいていると、白鷺さんが怪訝な顔をする。

「……どうしてそんなに歯切れが悪いんでしょうか? ……もしかして藪蛇だったわけじゃありませんよね?」

「ま、ま、ま、まさか、そんなことあるわけないですよ」

 茅さんとは、べつに疚しいことはなにもない。彼女はなんだかんだ冗談をいいながらも、僕の意見を尊重してくれるいい人だ。軽口を叩きながらも、無理やりベッドに連れ込んだりするとか強硬手段に徹することはない。

 半眼で見据える白鷺さんは、いまや限りなく僕の心証は黒に傾いているだろう。だけど、どうにかしてしくじらずに、茅さんと僕との関係性の健全さを説明しなければならない。

「男の人が何かを強く否定なさるのは、後ろめたいことがある時だと、この前雑誌で読んだのですが……」

 ぐはぁ。

 た、確かに年上にしか醸し出すことの出来ない色香に多少なりとも屈し、彼女の前に立たされている時はいつも冷静さを欠いている。

 だけどそれは、男の本能であって、ロリコンでない限り逆らえるはずもない。

「そ、そんな雑誌なんて当てにならないですよ。僕と茅さんに特別な関係だなんて――」

「茅……さん? どうして名前で呼んでいらっしゃるんですか? 私のことをお呼びになる時は、『白鷺さん』と名字ですよね!? こんな不公平、耐えることができません。今すぐ私のことも名前で呼んでくださいますか?」

「……えぇ!?」

 どうも最近の白鷺さんの暴走っぷりは、僕の手に余る傾向にある。

 どうしようか。

 ここで名前で呼べば、彼女は一時は納得するだろう。だけどまたいつの日か錯乱状態になった時に、ここで彼女の要求を甘受したことを必ず悔やむだろう。一度だけでもエゴを許してしまえば、もっと途方もない願望を突きつけてくる。そんなタイプの人間に思える。

「いきなり名前で呼べと言われても、その、ちょっと……。あっ、そういえば、白鷺さんに言わないといけないことがありました」

「なん……ですか?」

「すいません。今日も体調悪くて、一緒に球技大会出ることはできなくなりました」

「…………え?」

 絶句。

 僕の言葉に思いのほか衝撃を受けた白鷺さんは、足元がおぼつかない様子で見ていて危なっかしい。軽い気持ちで、どうにかして意識を逸らそうという心積もりだったのだけれど、こんなにもショックな表情をされたのは不可解だ。

「どう……して……ですか?」

 青ざめた顔を、両手で覆う。そのまま僕の顔を見たくないかのように、地面を見つめ出した。どうしよう。それほどまでに、楽しみにしてくれていたのだろうか。そんなにもイベントごとが好きなのだろうか。

 白鷺さんには、正体がばれない為に、体育をサボってきたという事実を話しておいたほうがいいだろうか。彼女に余計な気を回させるわけにはいかないと、何も言っていなかったのがここにきて裏目に出てしまった。

 彼女は傷ついてしまっていて、ここで下手に言い訳しても事態が好転するわけでもない。

 こうなってしまったら、謝り倒すしかない。

「その、白鷺さん……ってわぁ!!」

 蹲っている白鷺に、優しく手を触れようとすると、突然がばっと起き上がる。

 彼女の顔には、すこぶる晴れ晴れとした笑顔が貼り付いている。白い頬には涙の兆候も、痕跡も見られない。

「……そういえば、もみじさん。どうしてそんな恰好をしていらっしゃるのですか?」

 声の調子がいつもと違う気がしたけれど、たまたまだろうか。

 それから、そんな恰好といわれても……。

 いつものごとく、霊堂学園の可愛らしい制服だ。なにかおかしいことなんて、あるんだろうか。

「たとえ試合に出場なさらないにしても、体操着に着替えないといけないですよね」

 なるほど、そういうことか。

 女子更衣室には、気恥ずかしくて今まで一度も入ったことない。男だとバレる以前に、女子が着替えている最中に、堂々と着替えられるほど僕の神経は太いわけじゃないからだ。

「……いいから、今すぐ着替えましょうか。………どうせ、もみじさんは試合にお出になるのですから」

「えっ? ごめん。白鷺さん、最後の方が聞きとれなかったんですが。もしかして強引に、試合をやらせようとしている!? あと、この強引に僕の手を掴んでいるのはどうしてなんですか? ちょっと!! そっちは更衣室なんですけど!?」

 そうして僕は反論を挟むよりもなく、白鷺さんに連行されていった。

 彼女に掴まれた手は、なぜか尋常でないほどの熱を帯びていた。紅潮していて、それを指摘するともっと火照った。……もしかして、体調でも悪いのかな?

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