第33話 食堂は貸切状態!(中)
「小っちゃい頃の話でね。もう、相手の顔も名前もうろ覚え。だからもし間近で目にしても、お互い分からないかもねえ。綺麗になって見返してやろうと思ったのに、ざーんねーん」
「は、はあ……」
あっけらかんとして言っているが、辛くないわけがない。
答えあぐねていると、不満そうに寮長さんは頬を膨らます。
「もう、ちゃんと聞いてくれてる?」
「も、もちろんです。どうしてその人はその、寮長さんを、」
「振ったかって?」
僕はおずおずと首肯する。
寮長さんは背伸びしながら力いっぱい後ろにのけぞり、吐息を吐くとともに一気に脱力する。
「わっかんないんだー、未だに。だから今でも引きずってんのかなあ、私……」
物憂げに人差し指で長髪をくるくる、まるでスパゲティのように巻き上げている。
何かがいきなり足にぶつかる。
「なんか、ごめんね。いきなり」と彼女は素直に謝ってきた。
どうやら伸ばした足が、僕の足に当たったらしい。
僕は「気にしないで下さい」と首を振るが、寮長さんは物思いにふけっていて、それどころじゃないみたいだ。
「その子とは毎日のように遊んでてね、ある時約束したの。二人の思い出の場所で待ち合わせで会おうって。だけど彼は、私がいくら待っても――」
来なかったんだ。
言葉にされずとも、寮長さんの俯いている様子で分かってしまった。
こんな美人な人の約束をすっぽかすなんて、のっぴきならない事情がその男の子にはあったんじゃないだろうか。
そんな僕の心情を見破ったのか、ふん、と鼻息を荒くしながらまくし立てる。
「それゃねえ、私だってなにかしらの事情があって来れなくなったのかなって思ったわよ。だけど、彼はその時以来、私になんの連絡もくれなかったの。それに、私はちゃんと彼に告白するから来てねって、念を押して言った。それなのに、彼は私の告白すら聞いてくれなかった……」
カァン、カラカラカラン。
寮長さんの放り投げたスプーンが、皿の中で狂ったように踊る。
「あの時、私は気が付いたのよ。……本気で生きることが、どれだけ不毛なのかってね」
彼女の自嘲ともとてる冷笑が、驚くほどに綺麗で僕は言葉を失った。
「だから私は、どんなことにだって手を抜くことにしたの。勉強も、恋愛も、人生も。どんなことだって、適度にするのが一番なのよ。全身全霊で何かに挑んだって、いいことなんて一つたりともない。痛いしっぺ返しをもらうだけ」
そうなのかもしれない。
だって、どれだけ過程で努力していても、結果が伴わなければコミュニティから弾かれる。周囲から認められなければ、死んでしまっているのと同義だ。
そんな世の中だから、惰性を重ね、その場しのぎで生きるのが一番楽なんだ。
「……それから男って生き物は、女の期待をすぐに裏切るって分かったしねえ。どうせ楽しく恋愛できるのは高校生までなんだから、今は子猫ちゃんたちと戯れないと」
「……どういう意味ですか?」
「私にはね、高校卒業と同時に結婚しないといけない許嫁がいるのよ。政略結婚ってやつ!?」
「……えっ?」
ドラマや漫画でよくあるような突飛な設定に、僕は目を丸くする。
僕をからかうために冗談でも言っているのかと思ったのだが、寮長さんの表情は真剣そのもので、とても嘘をついているようには見えなかった。
「そんな話がほんとにあるんですか?」
「それがあるのよね、面倒くさいことにさ。事実は小説よりも奇なりっていうけど、まさか自分の身に降り掛かるなんてね」
「でも……そんなの」
「おかしいって? でもね、そんな不条理がまかり通るのが、お金持ちってやつなんじゃないの? 霊堂学園に出資しているのも、ほとんどがウチだしね。まあ、そのおかげで私はどんなことをしても、大概はお咎めなしなんだけどね」
そういえば、あの口うるさい担任の先生の前でも、平気で寝息を立てたもんなこの人……。
それにしてもどこか他の人とはオーラの圧力が違うと思ったら、お嬢様の中のお嬢様だったんだ。
「でも、それって子どもの合意とかって?」
「別にいいわよ。誰と結婚しようが、子ども作ってやれば私だってお払い箱なんだし」
僕は口をぱくぱくさせるのが精一杯だった。
二人の料理を食べる手は、完全に止まっていた。
「私の将来安泰よー。その人の家に嫁いで、何も考えないでいい傀儡になって、パーティの時に微笑んでいるだけで、人並み以上の幸せは約束されているんだから」
「それでいいんですか、寮長さんは?」
「……ねえ、その寮長さんっていうのやめてくれない? 呼び慣れてないせいか、くすぐったいのよ。どうもね」
僕の言葉を無視して、寮長さんは僕を哀愁に満ちた深い色の瞳を向ける。小指で髪の毛を、邪魔くさそうに耳の上に押し上げて、僕の返答を待っている。
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