第32話 食堂は貸切状態!(上)
「いっ、ただきま~す!!」
「……いただきます」
「遠慮しなくていいのよ、もみじちゃん……なーんてね」
ちろりと舌を出す仕草は一歩間違えれば痛い子なのだが、寮長さんにはぶりっ子が似合っている。
「これを作ったのは寮母のババアよ、ババア」
そして、時折この人は顔に似合わず、暴言を吐くな。
それにしても、この夕餉の食卓はどうにも違和感を感じる。
ごろごろ具材が転がっている、いかにも家庭的なカレーに、ワカメなどが入っている少量のサラダ、ボリューム満点の豚カツ、それから市販の牛乳にヨーグルト。
給食のようなラインナップで、なんだかほっとしてしまう庶民の僕。
だけど霊堂学園はお金持ちばかりが通うお嬢様学校。寮長さん含め、ここにいる人達はこんなところで、ほんわかと落ち着いて食べるような人種ではないような気がする。
「あの、こういう食べ物って、寮長さんの口に合わないような気がするんですけど」
「そうでもないわよ。私こういうコテコテな食べ物だーっい好きだしね。むしろ精進料理みたいな、食べるのに肩がこるようなやつは嫌いよ」
スプーンを指揮者のように振りながら返答する寮長さんは、確かに食事のマナーを黙って守るタイプとはかけ離れているようだ。
「だからチマチマしたフルコース料理なんかよりは、日本食。大好きよ、普通の食事。特に納豆は大好きね。ねばねばしてて糸を引いて、お豆がくりっくりっとしてて。口の中で転がすように食べるとすっ――ごく美味しいのよねえ」
……うっ。
恍惚とした表情でいう、寮長さんが凄く――エロいです。
僕は頭によぎった、妙な妄想を振り払う。
「そういえば、他の人たちはどうしてるんですかね?」
「他の人達って?」
「その、他の寮生の方々です」
第一食堂を利用したのは初めてではないけれど、いつも閑散としているので気にはなっていたのだ。
寮長さんに誘われるがまま、ここに来たのはいいけれど、誰もいないとどうも視線のやり場に困るというか、なんの話題をふっていいのか思い浮かばない。
白鷺さんを誘ったのだけれど、例の如く病院だということで、この気まずい二人きり。
「んーまあ、他の寮生って言っても、私ともみじちゃん以外で寮生ってほんとどいないもの。それにみんな、なにかと多忙だから、全員揃って食卓を囲むなんて滅多にないんだから」
「え!? そんなに寮の人たちって少なかったんですか!?」
「んもう、もみじちゃんがずっと部屋に閉じこもって、他の部屋の人と交流しようとしないから、寮生が何人いるかもわからないのよ」
からかいを帯びた瞳に負けじと反論しようと思ったが、事実なので上手く舌が回らなかった。
寮長さんに犯されてしまわないだろうかという懸念が、僕の出入りの少ない一因なのだが、中学のころからあまり積極的に会話をする人間ではなかった。
性別は男子でも、女子のような容姿。
男子の中にも女子の輪にも入れなかった僕は、はっきり言えばコミュニケーション能力が人より欠如しているといっても過言じゃない。
牛乳のストローをがじがじと、鋭利に尖がった歯で噛みながら寮長さんはこちらを見やる。
「それで、何か私に聞きたいことがあるんじゃないの?」
「そっ――れは……」
「この期に及んで尻込み? せっかく、二人きりになれる場所を用意したっていうのに」
「二人きりというか、寮母さんが……」
「ああ、気にしなくていいの。あんのババアは私たちが用事を言わない限り、隣の個室で唯一の趣味のラジオに夢中なんだから。どんな話をしてても、聞いちゃいないわよ」
育ちが悪そうな粗暴な言い方がサマになっているのが、どうも納得ができない。
箸の持ち方や、サラダを咀嚼する姿はどこか気品があって、やっぱりお嬢様なんだと雰囲気で分かるのだが、二重人格かのように、どちらも寮長さんなような気がする。
「そ・れ・で?」
煮え切らない僕に業を煮やしたのか、寮長さんが長机から乗り出してきて、質問の回答を促す。
どうにか話をはぐらかそうと思案していたが、そんな思考はふっとぶ。
彼女は下着同然の服だったからだ。身を乗り出したせいで、より顕著に艷美な体つきが把握できてしまう。大きく開いた胸元から、胸元が見えそうになって僕は慌てて彼女を押し返す。
「わ、わかりました。言います、言いますから」
「そーお? だったらさっさと言ってちょうだい」
どこか釈然としない感じだが、素直に引き下がってくれた寮長さん。もう少し食い下がってくれたら、眼福を拝めたかも知れないと思うと、血涙がでそうだ。
奥歯を噛みしめながら、僕は後悔の念を押し殺す。
「寮長さんって、どうして先輩って呼ばれているんですか?」
保健室の子も、そういえば薫子さんも、寮長さんのことを先輩だと呼称していた。
「うん。ちょっと海外留学したのよ、一年間ね。失恋しちゃったから」
「へえ、海外に行っていたんですか。失恋ですかー。……え?」
「そっ、ふられちゃったの」
どうでもないことのように言い切った寮長さんだったけれど、僕は咄嗟に聞き流せなかった。
だって、彼女にもっとも縁のないことが、ふられることだと思ったから。
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