第30話 保健室はデット・オア・アライブ!(中)

 布擦れの音が、微かに聞こえる。

 どうやら何か中で動きがあったようだ。あれほど密室から漏れていた、欲情し切った動物のような妙に生々しい喘ぎ声が、ぱったりと聞こえなくなってしまった。

 僕は視界に人影がいないことを視認した後に、恐る恐るドア際まで接近する。

 毒を食らわば皿まで。

 ここまできたら、好奇心丸出しで盗み聞きするしかない。

 藪から蛇がでるか、鬼がでるか。

 もしかしたら、引き返しできない道に自分が進んでいるかもしれない。

 けれど、このまま何もせずに引き下がってしまったら、今日の夜は、この保健室で行われた内容が気になって眠れない。

 僕はぴたりと耳を扉にくっつける。

「ひぃふぁあああ、ひゃあ」

「もうっ、どれだけ言っても可愛く囀るんだから。私があなたの声を抑えさせてあげる。世話がかかる子ほど可愛いっていうけど、本当ね」

 舌足らずの声が、僕の鼓膜を震わす。脳内がお花畑になるような、魅惑的な美声を僕は振りはらうかのように、一歩後方へ退く。

 後輩の喋りきれない口調と、先輩らしき人の言い分から、恐らくは女の子の口内に何かを突っ込んでいるようだ。聞き触りがいいとは言えない、執拗に掻き回すような「くちゅくちゅ」と、なぜか不快に感じる音が聞こえてきたから間違いない。

 気が付いたら、壁にもたれつつそのままずるずると床に腰を下ろしていた。一瞬、そのまま座ったら汚いのではないかという思考が過ったが、どうでもいい。ワックス掛けされた廊下はツルピカだし、なにより立ち上がれるほどの気力を、今は持ちあわせていない。

 僕はぽん、と自己暗示をかけるかのように、わざとらしく掌に握り拳を押し付ける。

 ――そうか、歯磨きかっ!!

 時間帯的にも昼食後でぴったりだし、先輩が後輩に対してそこまで甲斐甲斐しくお世話をしてあげるのは、僕にとってあまり考えられないことだけれど、歯磨きのやり方だって人それぞれなんだ!

 ……そこらへんが、憶測の落としどころだろう。

 僕の思考回路が焼ききれないように、ぐぐっーと力を込めて両耳を塞ぐ。

 これ以上、余計な情報を与えられたら擁護しきれない。

 体育座りをしながら、事態の推移が改善されるのをじっと待ちつづけていると、呆気なく眼前のドアが開かれる。もっと長期戦だと覚悟していた僕は、異様な恰好のままで、傍から見たら恐らくは不審者そのものだ。

「えっと……」

 どうやってこうなったことを説明しようか逡巡していると、なぜか服や髪に乱れが見られない、その子の眼が見開かれる。

「……えっ? もみじ様!? どうしてこんなところに!?」

 ――もみじ……様?

 見る間に顔色を変えて走り去っていく女の子。僕は彼女が迂回して見えなくなるまで、なんとなく見送りながらやおら立ち上がる。

「あ・ら・ら? 本当にもみじちゃんじゃない!? どうしたの、今日も体育サボり? 見かけによらず不真面目なのね」

 扉に寄りかかりながら、豊満な胸を強調するかのように腕組みをしている。遁走した少女が先輩と呼称していたから、てっきり上級生だと勝手に思い込んでいた。

 だけどそこにいたのは、どんな相手だろうと陥落させてしまいそうな容貌の持ち主。僕と同じクラスで、ひとつ屋根の下に住んでいる――

「りょ、寮長さん!?」

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