第28話 迷いの廊下!(下)

 ようやく見覚えのある風景。

 デジャヴュでなければ、次の角を曲がれば、保健室だったはずだ。

 生来持って生まれた、方向音痴はそうそう治るものじゃない。

 事前に体育教師には、保健室で休むと連絡をいれているから体育を休むのは問題ない。問題なのは、ここまで来るのに大分遠回りしてしまったことだ。

 廊下の突き当りを直角に曲がると、視角に突如写りこんだのは女子生徒。咄嗟に横へと方向転換を試みるが、完全には避けきることができず、どんと二人は衝突する。

「うわわっ、すいません」

「ああ? わるいな、前をちゃんと見てなかった」

 ぶつかった肩を押さえながら、焦点を相手に合わせると、胸の上にぶら下がっている十字架のペンダントが、ユラユラ揺れている。振り子のように動く十字架が癪にさわったのか、指で押さえる。人差し指と中指の根本には、ずっぽりとスカルリングがはまっている。

「誰かと思えば秋月もみじじゃねぇか。こんなところで何やってんだ、てめぇは?」

 がに股で仁王立ちしているのは、不良な咲さんだった。

 わざとなのか、それとも性分なのか、着崩した制服が、妙にこの人の口の悪さとマッチしている。

「ちょっと体調が悪くて保健室に――」

「はっ、やるじゃねぇか、体育の授業をサボるなんて。流石は俺の見込んだ女だぜ」

「ヴォッフォ!!」

 小気味いい音でばぁん、と咲さんに不意打ちのように背中を叩かれ、激しくせき込む。

 咲さんの獰猛な瞳孔は開き、牙のような尖った八重歯が見える。

「まさかお前が、学年代表にも関わらず、始業式でスピーチをしないサボりの上級者だったとは思わなかったぜ。てめぇ、中々見どころあるじゃねぇか!!」

「……あの……僕、は……体調が悪くてですね」

「なにぃ、大丈夫か? 体調管理もまともにできないようじゃ、立派なサボり魔になれねぇぞ」

 思いのほか真面目に心配してくれるのは、そこはかとなく意外なのだが、まともに返答できなくしたのは咲さん自身なのだけれど……。

 それから、立派なサボり魔ってなんなんだろうか。ここは律儀にツッコミを入れる場面なのだろうか。

「咲さん、あのー、出会った時から誤解されているようなんですけど、僕、好きで授業に出席しないわけじゃないんですよ」

「へええ。それじゃあ、次の体育に出席しない、正当な理由でもあるのか?」

「……うーんと、特にないですね」

「くはは。無理すんじゃねぇよ。サボりにだって美学はあるんだ。サボリの初心者は認めたがらないもんだが、一度認めちまえば楽になるぜ」

 サボりに初心者とか上級者とかあるのかな? 中学の時は無遅刻無欠席が当然だったから、サボりに誇りなんて持てそうもない。

「まっ、お前がこのままサボり続けたら、嫌でもいつかは俺の言ったことが分かる時が来るだろうな。落伍者だと周囲にレッテルを貼られた人間は、どんなに足掻いたって骨折り損。一度クズの烙印を押されたら、もう元通りにはならねぇんだからよ……」

「え?」

「ああ、なんでもねぇよ」

 咲さんは首根を気怠そうに掻きながら、口の端を強引に曲げる。伏し目になっていた事実を、忘却するように首を振る。

 たぶん、ここは咲さんにとって触れられたくない話題のようだ。

 でも、やっぱり――。

「……どうかしたんですか?」

 くはは、と渇いた笑いが、僕ら以外誰もいない廊下に木霊する。

 咲さんは眉を顰めがら、愉快そうに表情を歪める。

「そこで聞くか普通? そこら辺の奴らなら、『厄介事じゃなぇのかな』って敏感に感じ取ったら、尻尾を巻いて逃げだすだろ。なんでてめぇは、そこまで踏み込んでこれるんだ?」

「――僕は、そこら辺の奴じゃないので」

 他人とは違う感性を持っていることは、とっくの昔に諦めている。どれだけ他人に揶揄されようが、僕の個性を変えることなんて誰にもできない。

 ――それは、僕自身であってもだ。

 今の自分を作っているのは、過去の自分。他人からみたら、ちっぽけな存在なのだろうけれど、僕は僕なりに歴史があるんだ。その積み重ねが僕を、咲さんが引いている線に一歩踏み込ませた。溝は深いのかも知れないけど、それでも僕は歩まずにはいられなかった。

 だって、そうして欲しそうな顔を彼女がしていたから。

「人間の本質を一つ知っているか?」

 ぽつり、ぽつりと独りごちるように、咲さんは僕と視線を合わしていない。ただ地面に向かって言葉を吐き続ける。その言い方はまるで、過去を追想しているかのようだ。歯を食いしばりながら、忌まわしげに言っているさまは、あまりいい過去を思い出しているとは思えないが。

「人って奴はな、他人の不幸を糧に生きてるんだ。他人の弱いところを血眼になって探して、見つけてからようやく安心する。なあ、そうだろう? 自分自身の幸福を求めるってことは、誰かが不幸になることを心の奥底で願っているのと……同じことなんだ」

 寂寥感を孕んだ視線は、ふらふらとどこか虚空を眺めていて危なかっしい。

「咲さん?」

 僕の言葉にはっと、忘我状態から精神を取り戻したようだ。

 恥ずかしげな表情で、ポケットに手を入れて、「ちっ、どうも調子狂うぜ」とそっぽを向きながら外へ通じる扉に手をかける。

「ああ、そういや一つ忠告しておいてやる。保健室に行くのは辞めときな。……先客がいるからな」

 じゃあな、と咲さんは振り向かずに、ぶらぶらと明後日の方向に手を振り、そのまま何事もなかったかのように行ってしまう。

 うっすら透き通りそうな、その後ろ姿はどこか悲しかった。

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