第26話 激動のグラウンド!(下)
「児玉さん、何をやっているの? まだ部活は終わってないわよ」
薫子さんと同じ、バスケのユニフォーム姿の三人組。
その中央にいる人はこの集団のリーダー格なのか、威風堂々とした態度で居丈高な物言いだった。背丈とユニフォームのしっくり具合から、僕らよりは上の学年の人間であることは明白だ。
だけど、なにやら不穏な空気。
薫子さんと、同じ部活の先輩との間で壮絶な火花が散っている。
「すいません。練習メニューが終わったので、自主練をしていました」
「あら? 私には練習をさぼって、その子と楽しそうに談笑しているように見えましたけれど。流石は女子バスのエース様ね」
高慢そうな先輩は、二人の取り巻きと一緒になってクスクス囁くように笑う。
さぞかし怒り狂っているだろうと、薫子さんを一瞥すると、たじろいでしまうぐらい底冷えするような無表情。
……これは、ある意味一番怖いかも知れない。
「先輩たちには迷惑をかけないように、時間を潰していただけです。私はあまり目立ちたくないので」
「どういう意味?」
「そのままの意味です。それともはっきり言ってあげましょうか?」
ぎしぎし軋む空気に、こっちのほうが逆に参ってしまいそうになる。
男子はもっと直接的に悪口か、暴力を交し合うことによって自分の鬱憤を晴らそうとする。激とした口調で見ていて不安にはなるけれど、いつかは解決するという安心感がある。
だけど、女子同士の言い合いは静かに、それでいて遠回しな言い方をするから、なかなか終局が見えない。終わりが見えない戦いほど、部外者で何も手がだせない自分としては辛い。
見ているこっちのほうが、胃が痛くなる。
「調子にのらないことね、一年生の分際で。ちょっとばかり上手いからといって、みんなの輪を乱すような行動は慎みなさい!」
はー、と聞えよがしに、薫子さんは盛大なため息を吐く。
「弱い奴ほど群れたがる」
「な、なんですって!?」
皮肉トリオは青筋を立てて、明らかに興奮状態。
ちょ、ちょっと……薫子さん?
一抹の期待を持って横目で見やるが、やはり薫子さんは言葉の刃を収めるつもりは毛頭ないようだ。
せめて僕の与り知らぬところで口論して欲しい。
そう思うってしまう僕は、薄情なのだろうか。
「傷の舐めあいなら、どこか他所でやってもらえると助かりますね。チームプレイと言いながら、練習もろくにしない。自分が成長できないと見るや、今度は他人の足を引っ張ろうとする。……突出した才能のある人間を排除するような、あなた達みたいに最低な人達とは関わり合いたくないんですよ」
空気は凍りつき、誰も動けない。
氷点下の眼差しで、三人組を射竦め、トドメの一撃を。
「腐ってるやつと一緒にいると、私の精神まで腐敗する」
「言わせておけば……あなた……」
三人組の代表者が、薫子さんに掴み掛るような素振りをみせる。
やばい、頬を張られる。
いや、薫子さんが先にやらかす。
見ると、頭に血が上った先輩の死角から強烈なビンタをお見舞いしようと、薫子さんの手首を反らしている。ギリギリと、ネジ仕掛けの機械のように勢いをつけて頬に狙いを定めている。
その尋常でない腕の震え方が、これからするであろう、張り手の威力の強さを物語っていて、これは洒落にならない。
僕は先輩が怪我しないように、バウンドパスをする。
これで少しは頭を冷やして欲しい!
薫子さんのビンタから先輩を守るためもあるし、それから薫子さんの為でもあるのだ。これ以上問題を起こして先輩から睨まれてしまったら、出る杭は打たれるどころの騒ぎじゃない。
そんな、僕の瞬発的な行動は、逆効果どころどころじゃなかった。
「へ、ぶっ!」と醜く声を上げた、後輩イジリの主犯格の顔面がくしゃくしゃになる。
――あ。
あああああああ。
いくら側面からのパスであっても、バスケ部だから取れるだろうと判断した僕の判断は過大評価だったらしい。
僕の予想は外れ、バスケットボールは、見事に気の強い先輩の顔の真ん中にビンゴしてしまった。呻きながら両手で顔を覆って、今にも慟哭しそうな先輩だ。なんであんなに威圧的だったのに、たった一発でこんなにも被害者みたいな感じなのだろう。
「ちょっと、あなた何様のつもり?」
「なんとか言いなさいよ! はやく有沢に謝りなさい!」
そして、僕を詰る残りの二人組。
それから僕を視界に捉えながら、呆然と佇む薫子さん。
ち、ちがうんですよ。わざとじゃないんです。
……そう弁解しようにも、できそうな雰囲気ではなかった。
冷え切っていた薫子さんの瞳が、今やキラッキラに輝き星屑のよう。
両手の小指と小指を重ね合わせながら、唇の前に持ってき、
「……もしかして、私のために?」
なにやら誤解したまま、感動したまま、自分の世界に引き籠っていらっしゃるっ!!
もしもここで僕が真実を告げれば、薫子さんの好感度はまたゼロへと引き戻されるだろう。
いや、むしろ少しばかり僕らの心の距離が縮まっていたからその反動で、以前よりももっと不仲になってしまうだろう。
それはなんとしても避けたいところだ。
薫子さんは僕の過去を暴く危険性のある、まるで爆弾のようなもの。
今は思い出せなくても、失念していた記憶が、何かの拍子で蘇ってしまったら僕は一巻の終わりだ。
その最悪のケースも考え、今は少しでも味方につくのが最善策といえる。
僕は不敵に笑いながら、先輩方に向き直る。
「これ以上薫子さんに何かするようなら、顔面パスだけじゃ……済みませんよ」
……やっちゃったああああああ。こ、これでもう言い直しは効かない。
リーダー格を潰された影響からか、二、三の負け犬の遠吠えらしき捨て台詞を吐きながら、三人は僕を睨みながらこの場から去って行った。
ふふふ……。あはは……。こ、これからど、ど、どうしよう。
今度は先生たちだけじゃなくて、バスケ部も敵に回してしまったみたいだ。
――羨望に満ちた薫子さんの眼差しだけが、今の僕にとって唯一の心の慰めだった。
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