第25話 激動のグラウンド!(中)
「それ、女バスのなんですけど」
以前邂逅したよりも、格段に険しい双眸で睨みつけてくる。憎々し気なその形相には、なにか怨念じみたものを感じる。
同じ学年で同じ寮だから時折見かけているのだが、いつものジャージ姿でもなく、女バスのユニフォーム姿を見るのは初めてかもしれない。
「どうぞ、薫子さん」
僕は薫子さんの胸に向けて、チェストパスでボールを返す。
謝罪すればこの前の二の舞になりそうだったので、僕はそのまま無言で出方を窺うが、相手はボールを呆けたまま持ったままだ。
僕は彼女の鋭い視線に耐えられなくなり、踵を返す。
「ちょっと」
「え――ちょ!」
僕が振り返ると、強烈な勢いでボールが飛んでくる。風を切るようなパスを、咄嗟に勢いを殺して掴み取る。
薫子さんは片眉だけを上げて、まだ僕を見つめている。
「なにをするんですか? あなたの言われた通り――」
「もしかして、バスケ経験者なんですか、あなたは?」
「……そ、そうですけど」
文句を叩き付けてやろう!
という意気込みだったが、思ったよりも凄みがあったので萎縮してしまった。
「今のシュート、まるであの人みたいでした……」
も、もしかして僕がバスケをしていた頃のことを知っている?
話題をそらすことも一案としてあるが、ここでもたついても、答えがでるのが遅延するだけだ。
だったら、回りくどい腹の探り合いよりは、正面切って訊いたほうが、後々のことを考慮に入れると気が楽だ。
「あ、あの人って誰ですか?」
「……私にもわかりません」
瞳に翳を落としながら、所在なさげな両手をぶらん、と力なく揺らす。
力強く何者をも断絶するような気概さは、なりを潜め、そこにいたのは、どこか儚げでありながら弱弱しい年相応の少女だった。
「あの人のことを、私は遠くで見ていただけなんです」
悲哀を帯びた瞳をブラインドするかのように、睫毛を数度重ね合わせる。今にも切ない感情が零れ落ちそうだ。いったい何が、彼女の魂を揺さぶるのだろうか。
恐らく原因の一ピースに、僕が絡んでいるようだけど……。
「あの……もしかしてその人、僕の知り合いかも知れませんよ。何か知っていることがあったら言ってみてください」
地雷原に踏み出しているのは自覚できている。
初対面で、あれほど打ちのめされていたのも記憶している。
だけど、何かをため込めている彼女を、僕は見捨てることなんてできない。
「……えっ、いいの?」
薫子さんも虚を突かれたように、眼をしばたたかせる。無意識だろうけれど、他人行儀な丁寧口調は崩れ、ため口になっている。
僕はこくりと、ボールを持ったまま軽く頷く。
あらゆる人間を助けるなんて、大それた台詞を吐けるほど僕は人間ができていない。喘息で倒れた白鷺さんを、救おうと動いたことを後悔してしまう。
……そんなちっぽけな人間なんだ。
もしもこれが、赤の他人だったら僕はこれほどに親身になることはなかったと思う。
だけど、既に僕と薫子さんは知り合いだ。
たとえそれが、悪口しか言い合わない間柄だったとしても、何かを抱えている人間を見捨てることなんてできっこない。
――なーんて、嘘だ。
薫子さんが第二食堂で激怒したように、僕はいい人間を演じているだけだ。
必死で白鷺さんを助けようとしたのは、僕の目の前で倒れられたから。もしも何もしなかったら、目覚めが悪いでしょ?
そして今、薫子さんから話を聞きだしているのは、僕の正体がばれそうな危険のある芽を、今のうちに摘み取ろうとする打算。
だから僕は、無償で人助けを買って出るような正義の味方じゃない。
滅私の精神で、ボランティアを率先してやってのける人格者でもない。
自分のリスクも顧みずに、渦中の栗を拾える聖人君子でもない。
――僕は要領よく生きようと計算する、ただの狡賢い人間なんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます