第19話 ため息の絶えない浴場!(中)

 白鷺さんの落胆する姿は、今や脅迫と同様の効果を発揮しているのを、本人は自覚しているのだろうか。

 僕が彼女の魅力に屈すると、「……はい」とリスのような小動物的な可愛さで、小首をちょこっと傾げながら、不思議と嬉しそうに頬をほころばせる。

 なにか、楽しいことでもあったのかな?

「白鷺さん、どうかしたんですか?」

「……え? どうしてでしょうか? 特にこれといってありませんよ。……でも、強いて申し上げるのならば、もみじさんとこうして普通にお話できることが、なにより今は嬉しいです」

「あっ……う、うん、あ、ありがと……」

 は、恥ずかしいセリフ禁止!!

 なにより驚嘆に値すべきなのは、恥ずかしながらも、純朴な性格を素で徹しているところだろうか。

 ある意味、毒舌ジャージの女の人よりも破壊力があり、意識していない分、性質が悪い。

 まだお風呂を堪能していなのにも関わらず、『白鷺さんとの混浴』という異常なシチュエーションにのぼせ上がりそうにながら、そそくさと、バスタブのふちに腰掛ける。

「それじゃあ、もみじさん。ちょっとだけ待っていてくださいね」

 そう言って彼女は、体を清め始めた。

 楽しげにボディソープをスポンジでぱふぱふと泡立て、丁寧に揉みあげている姿を見て、この風呂は長期戦になることが予測できた。

 逃げることのできない密閉空間で、男女二人きりというだけでもそわそわしてしまう。

 でも、その動揺を悟られたくないが為に、何か楽しい話題でも白鷺さんに振ろうとするが何も思いつかない。

 僕はしかたなく妥協して、とってつけたようなありきたりの質問でこの気まずい状況を打開することにする。

「白鷺さん、もしかして今日も病院だったんですか?」

 僕にとっては気軽に、昨日話してくれた彼女の事情を踏まえながら質問したのだが、言った瞬間しまったと思った。

 彼女にとってはあまり触れてほしくなかったようだ。

 さっ、と瞬時に表情が翳り、言葉尻を濁す。

「ああ……はい。久しぶりの学校だったので、ちょっとはしゃぎすぎたみたいで、体調が崩れてしまったみたいですね。……あっ、でも病院に行ってみましたら、全然大したことはなかったんですよ」

 僕の自戒する気持ちが、そのままだだ漏れだったのか、白鷺さんは逆に僕を気を使うように、空元気で振る舞った。その姿がとても痛々しかった。

「そっか! でも、体調悪くなったらすぐに僕に言っていいよ! やっぱり、白鷺さんのことが心配だから!」

「……へ? あ……は、はい……」

 僕がわざとらしく彼女と調子を合わせたのを、見て取ったのか、消え入りそうな声で彼女はぱっと、体ごと、鏡が正面になるように回れ右をする。

 僕は弁解の余地があるのか、鏡越しに白鷺さんの顔を窺う。

 だが、彼女の顔は赤く染まっていて、相当腹に据えかねているようだ。

 しかも、僕の凝視の視線に感づいたのか、お互いの視線が絡み合うと、彼女の瞳孔が開き、ぱっと横顔を向ける。

 どう転んでも、墓穴を掘る展開しか見えてこなかったので、沈黙を保ったままでいると、ちらちら白鷺さんがこちらの様子をのぞき見ている。

「……あの、そこまで熱い視線で見られていますと、流石に、は、恥ずかしいのですが」

「あっ、ご、ごめん!」

 僕は、慌てて視線をお湯に戻す。

 そんなつもりじゃなかったんだけど……。

 でも、最初にあった時より元気そうでなによりだ。どこかで見覚えがある少女だと、昨日は思いめぐらしたが、会話してようやく疑問が氷解した。

 白鷺さんは喘息で倒れた女の子だった。

 僕の名前を最初から知っていたのは、病院の人に訊いていたから。そして、ずっと僕のことを探していたらしい。

 だとしたら、僕はこの高校に来ると決意した時から彼女に、正体を晒すことは決定事項だったってことだ。

 流石に女物の服を着ただけで、僕の男の姿を知っている人間を騙すことはできないだろう。

 ようは、早いか遅いかだけの話だったんだ。

 昨日、自分の状況を説明すると、白鷺さんは僕の手伝いをしてくれると志願してくれた。

 僕は「赤の他人である白鷺さんに、迷惑をかけたくないから」と断ったのだけれど、正義感の強い彼女は、僕に恩を返すと言ってきかなかった。

 というより、僕の提案を呑みながらも、「……あ、赤の他人」と呻きながら落ち込んでいる顔を見たら、諸手を挙げて降参するよりなかったといったほうが正しいだろうか。

 でも、正直救われた気持ちだ。

 秘密を長時間抱えていると、やっぱりそれは知らず知らずの内に、風船のように膨張していき、重荷になる。

 悩み事ってやつは厄介なもので、それに気がつくのは大概が手遅れで、自分の手に余るぐらいに大きくなってから気がつくことが多い。だけど今回は打ち明けることができた。ひた隠しにしていることを、他人に話すだけで、こんなにも心は軽くなるものなんだ。

 だけど、そう簡単に事は運ばなかった。白鷺さんは、秘密を守る代わりにと、交換条件を提示してきたのだ。

 それは、白鷺さん限定の、お風呂の深夜開放だ。

 彼女はほとんど毎日病院に通っているらしく、帰宅する時間はいつもこの位の深夜。

 お互い、風呂に入る時間帯は重なっている。

「だったら、一緒に入りましょうよ!」ということらしい。

 安直すぎる申し出だけど、秘密を握られている身としては、どっちみち、白鷺さんと入浴するしか選択肢はない。

 それに、女の子と一緒にお風呂に入るのは、心臓が爆発するぐらいどきまぎするけれど、正直悪い気はしなかった。

 だけど、白鷺さんが「一緒に入ってもいい」って言うことはそれだけ、僕を男だと認識していないということで……。

 それはやっぱり、僕が男らしくないってことなんだ……。

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