第17話 不良は体育館裏から!(下)
「あんた、名前はなんていうんだ?」
「……え? 秋月もみじといいますけど」
ぱっと、突如として、弄んでいたリボンを放した彼女の問いに、僕は思わず素直に答える。緩んだ腹筋から漏れた声は、少しばかり震えていて情けなかった。
「そうか、秋月もみじ……もみじねえ。成る程、憶えやすいな。あんたにぴったりな名前だ」
「そうですか? 僕はこの名前で得したことなんて一度たりともないんですけどね」
女の子みたいな名前のせいで、幼少期は散々からかわれた。だけど、僕の女っぽい名前が功を奏して、こうやって男だと怪しまれずに、偽らざる本名を言えるというのは、ラッキーだったのかもしれない。
ラフな格好が妙に様になっている彼女は、顎に手を当てながら、僕を観察する。
「いやあ、もみじは色鮮やかに染まったり、色褪せたりと、とっかえひっかえ忙しいだろ? まさに、あんたの顔色みたいじゃねぇか。さっきから、顔面が真っ青になったり、真っ赤になったりしてる。ほらな、ぴったりだろ?」
鼻で笑いながら揶揄されたことで、僕は彼女の思い通りの反応をしてしまった。
僕は憮然とした顔を作り、なんとか、怒りで紅潮した頬を誤魔化そうとする。
「あなたの名前はなんですか?」
僕は遠慮することなく、歪んだ唇を隠さなかった。
「……はあ? 俺が秋月もみじ、お前に名前を名乗る義理なんてねぇだろ?」
「あります」
予測できていた彼女の言葉。一拍置くことなく、きっぱりと言い切ると彼女は眼を見開いた。
不意を突いた今のうちに、僕は畳み掛ける。
「僕はあなたに名前を名乗りました。だから、今度はあなたが名乗る番です。それが、義理ってもんじゃないですか?」
「……なに? ……いや……ああ、確かになあ。言われてみればそれはそうだ。お前の言うとおりだな……くはははは!!」
僕の言動の何に引っ掛かったのかは分からないけれど、どうやら壺にはまったらしい。歯を見せながら、大笑いしている。見かけによらず笑い上戸らしい。
正直、ちょっとばかり引いた。
「黒崎咲。フルネームだと噛みそうになるだろ? ……まあ面白いから、俺は俺の名前を気に入っているんだ。……咲でいいよ。というより、咲以外の名前で呼ぶんじゃねえ。分かったな?」
「は、はあ……」
逆らうとろくなことがなさそうなので、適当に肯定する。すると、面白いぐらいに彼女の表情が綻ぶ。
あ……ちょっと……可愛いかも、って思ってしまったのはギャップのせいだろうか。
「人間が生きていく上で、もっとも必要な要素の一つは『笑えること』だ。ファーストコンタクトでこんなに俺が笑った人間なんて未だかつていねぇかもな。ははっ、どうやら、秋月もみじ。テメェとは長い付き合いになりそうだな」
さっきまでの僕たちの口論のどこに仲良くなるようなフラグがあったんだろう。気分の浮き沈みが激しいところや、この学園に似合わない風貌。
あらゆる要素が不可解だけど、独特なテンポと、掴めない性格に、僕は好意を抱いていた。
「……咲さん。そういえば、僕のことを編入生って言ってましたよね。どうして僕が編入生ってわかったんですか?」
「お前が霊堂学園に高校から入ったことなんてすぐに分かる。うちは中高一貫のエスカレーター式だから、新人が入ると嫌でも目立つからな」
「め、目立ちますか? 僕?」
人目に触れないことこそが、この学園を生き抜いていく上での第一条件だ。男だとばれて、みんなに吊るし首にされるのはごめんだ。
「そりゃあ、目立つよ。高校から入るやつなんて、数えるぐらいしか毎年いないしな。それに、てめぇは相当、顔いいじゃねえか、うん、やっぱ可愛いよ。その顔で目立たなかったら逆にすげえよ」
「そんな、よくないですよ……僕なんて」
むしろ、あなたの方が……なんて言ったら不愉快になるだろうか。
咲さんの中性的な顔は、男女どちらの長所も兼ね備えている。精悍な顔立ちは男らしさ。男のように 骨は角ばらずに、優しく丸い輪郭は女らしさ。
最初に感じた高圧的な態度を改めれば、引く手あまたな気がする。
そんなことは露にも思っていなさそうな咲さんは、気だるげに水を向けてくる。
「お前な、人に褒められたら素直に受け取っておけ。……謙遜なんてくだらないこと続けてたらなあ、本当に大したことのない人間になるぞ」
言っていることはいいことっぽいけれど、僕……男なんだよな。
可愛いと褒められて、そのまま素直に受け取ったら、お気楽な僕の家族のように、精神まで汚染されてしまったってことだ。……なんてことは言えるはずもない。
「……何も言わねぇんだな。分かりましたとも、わかりませんでしたとも。……いいね、その場しのぎで、適当な言葉を並び立てるような半端な奴よりは、よっぽどいい」
昨日第二食堂で、黙っていたら、叱られるように厳しい口調で言われた。今日も同じことをしたのに、受け取る人間によって、こんなにも対応の仕方が違うんだ。
だから、自分がどういう風に行動すれば、みんなにとっての最善かなんて本当は分からないのかも知れない。多々一のコミュニケーションでは、絶対にそうだ。一対一でのコミュニケーションなら、相手の性格をある程度知っていれば、相手に合わせることもできるだろうが。
「じゃあな、秋月もみじ。俺はここ以外で一人になれるところを探すとするよ」
咲さんは、不敵に笑みを浮かべながら、肩で風を切って歩き去っていった。
あまりあの人の言うことは理解はできなかったけど、なんだか咲さんは僕のことをそこまで意識していないような……そんな気がする。
自分は自分。
他人は他人。
そうでなければ、始業式をサボったりしないだろう。
だとしたら、僕は咲さんとは正反対だ。
無言で立ち竦みながら見送った僕に、咲さんは呆れたのか、それともどうでもいいと思ったのか、無性に気になった。
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