第15話 さくら色に染まる坂!



 桜並木。

 校門へと登る緩やかな坂から、立派で年期のある校舎まで、長く長く続いている。

 春の日差しはほんのり暖か。

 落ちた桜の花びらは、カーペットのように僕が行く道を示してくれている。

 敷き詰められている桜の花びらを、僕の足が掻き分けると、隠れていたアスファルトが姿を現し、履きなれない通学靴の足音を助長させる。

 新たな門出の日に相応しく、晴れ晴れとした太陽は眩しい。

 眼球を乾かす程の熱量でもない太陽光に、僕はえくぼを作りながら、ひっそりと睫毛を重ね合わせる。

 目を閉じると、視覚が光の残滓を拾い上げながら、切れかかった水銀灯のように、チカチカと深い闇を、頼りにならない光量が明滅を繰り返す。

 いっそう鋭敏となった聴覚は期待に胸膨らみ、浮足立っている彼女たちの声を集音する。

 どうやら、このめでたい日に特別な感情を抱いているのは、僕だけじゃないようだ。

 瞼をそっと開く。

 女の子たちはみんなこぞって、ぽつぽつと拡散するかのように集団で固まっていて、優雅におしゃべりをしながら歩いている。

 胸の奥に巣食っていた適度な緊張感の糸は、姦しいながらも華やかな彼女たちの登校風景によって、ほどよく結び目が解かれる。

 なんか、いいなこういうの。

 先の見えない未来に対する不安も、こうあって欲しいという希望的観測も、尽き果てることなく螺旋のように捩じれて交わり、いつかは一つの真実へと集結する。

 うまく言えないけど、なんとなく、こういう曖昧で輪郭がぼやけているような時間が、僕は好きだ。ぼーっと、なにも考えなくていいこの時間。みんなそういう時間を無駄だというけれど、僕にとっては至福そのものだ。

 一人で歩いているのは僕ぐらいなもので、それが目新しいのか、周囲の女の子たちは、ちらちら遠慮がちな視線を僕に浴びせていた。

 男だと一目で見抜かれたのかと、僕は戦々恐々としながら、耳を大きくして、彼女たちの囁き声に集中すると、どうやら違うらしい。

 むしろ、「あの綺麗な人誰?」「見ない顔ですわね?」「お近づきになりたいです」だとか、女性としての容姿を称賛されている。悪い印象でなかったことは、喜ばしいことだけれど……。

 ――それはそれで複雑な心境になるんだけどなあ。

 それにしても、周囲から関心を持たれているこの状況は、あまりいい傾向だとはいえない。

 あの学園長から「中学から高校までエスカレート式。だから高校から飛び入りで編入した人間は目立つから覚悟しなさい」と、再三に渡って注意は受けていたけれど、登校しているだけで、ここまで人目につくなんて思いもしなかった。

 よし、こうなったら。

 これ以上は衆目を集めないように、僕は今からひたすら何もしないことにしよう。そうすれば、この好奇の目も収まるだろう。

 好奇心で膨らんだ気持ちなんて、時が経てば空気の抜けた風船のように萎んでしまう。僕は足を早めることも、足を休ませることもせずに、意識していつものような速度で歩く。

 ある程度の覚悟をしてきたつもりだったけど、後ろめたいことがあると、朝からこんなにも肩のこるものか。

 穏やかな風は、履きなれない僕のスカートを撫で上げ、その度に無防備な素足を見せる。脛毛は生えない体質だったから良かったものの、なによりパンツが恥ずかしい。

 どうして女の人は、こんなにも頼りにならないスカートで、街中を闊歩できるのかが分からない。今にも捲れてしまいそうで、春風が初めて恨めしいものだと知った。

「女の子って、大変だなあ」

 ぽつりと、空を仰ぎながら呟く。

 そして、このパンツは例によって、茜義姉さんの所有物だ。昨晩の内にコンビニで自分のパンツぐらい購入しようとも考えたのだが、羞恥心ゆえに、どうしても行動に移すことができなかった。

「――――ん」

 筆記用具とルーズリーフ。最低限の物しか入っていない鞄を持ちながら歩く。僕にとっては軽いはず だが、心なしか重い。

 まるで後ろ髪を引かれているかのように――それは物質の重さではなく――心の重しがどっしりとのりかかっているかのようだ。

「――き――ん」

 昨日快適に眠れなかったせいか、疲弊がここにきて露わになる。なぜか聞き知ったような空耳が聞こえてくる。

 無視して歩いていると、

「秋月くん!」

「えっ? あっ、はい! なんでしょう!?」

 僕はいきなり眼前に学園長が現れたから、びっくりした。思わずそのまま指と背筋をきっちり伸ばし、起立姿勢。

 そして、周囲の雑多からワッ、と一瞬歓声が沸く。

 な、なんだ、いきなりと、みんなの様子をみると、どうも悪い方向に騒いでいるようではないようだ。

 この人、そんなに人気なんだ。

 確かに、進路で困っていた僕を平然と女子高に通学させたり、喘息で苦しんでいた白鷺さんの前に、 颯爽と現れ、瞬時に難境を打破したのだから、それは慕われて当然の帰結。……なのだが、特にこれといった理屈もないが、どうも僕はこの人が苦手なようだ。

「……秋月くん。この私のことを無視するとは、いったい何事ですか? いくら呼びかけても返答しなかったので、どうしたものかと思いましたよ」

「すいません! 気が付かなかったので」

 堂に入る校長先生は、尊敬に値すると同時に、どこか距離を置きたいという想いもあった。高嶺の花というか、どこか遠くのほうで僕は学園長を眺めていたい。

 というかあんまり関わり合いたくないのだが、どうもこの人は、土足で人の心に踏み込んでくる気がする。

「……まあ、そのことはこの際どうでもいいです。秋月くん、あなたに大事な用件があるので、とにかくちょっと私についてきなさい」

 有無を言わせず、強引に手を引かれた僕と、しっかりと手を繋ぐ学園長は、固まっていた一つの女子集団を視界に入れていないかのごとく、その真ん中を突っ切る。茫然としながらも、彼女たちは僕たちのために道をあけてくれた。

「ごめんね」と、ウインクしながら彼女たちに軽く頭を垂れると、一人残らず赤面しながら俯きだした。

 なんだ、なんなんだこの反応は。

 僕も彼女たちつられて頬を赤らめると、突然機嫌が悪くなったように学園長は僕を、鋭い視線で一瞥し、歩く速度は競歩のように速くなった。

 ど、どうしたんだろう。

 あれよあれよというままに、僕はひと気のない体育館裏まで連れられる。

 もしかして、また告白されたりすんだろうか。

 男に告白されたという不名誉な記憶が蘇り、悪寒が体の震えを誘う。

 が、全てを破壊する校長先生の、くっきりとした大音声。

「いい、今日の始業式はサボりなさい!」 

「…………はい? どうしてですか?」

 まさか、学校で一番偉い人にサボりを強要されるとは思わなかった。

 冗談の類かどうか表情を探るが、言葉の裏を読み切れない。ということは、本心から言っているのだろうか。

「あなたが、霊堂学園の生徒代表として挨拶しなきゃいけないからよ! まさか入学試験で、満点近い点数を叩き出した成績最優秀者として、壇上に上がらないといけないなんて……」

 はぁーと、学園長は手のひらを額に当てながらため息をつく。

「どうして自分は一番になるかもしれないって、懸念材料を言ってくれなかったの? それが嫌なら、だめじゃない! 入学試験は手を抜かないと!?」

「えええええ!?」

 この人、言ってること滅茶苦茶だ。

 確かに、入学試験は志望校でもなんでもなかったから、いつもより肩の力を抜いて挑めた。それがまさか、学年で一番をとれるとは思っていなかった。

 棚から牡丹餅とはこのことだ。

「……えへへ。一番だったんだー、嬉しいなー」

「えへへじゃないわよ! ふざけてるの!? あなた!! ……とにかく、目立たないためにも保健室かどこかに避難しなさい。他の先生方は、私が言いくるめておくから。いい、あなたと私は一蓮托生。あなたが学校の注目の的になったら、それだけ妙なやっかみや、しがらみを抱えることになるの。だから、今は逃げなさい。……じゃあ!!」

「ちょっ――」

 僕の制止も聞かずに、ゆるふわカールを大きく揺らして走り去る。

 最初に会ったときはカッコいいと、尊敬さえしたのに、会うたびにあの人の印象が悪くなっている気がする。

 学園長に言いたいことは――とにかく、人の話を聞いて欲しい。ただそれだけだ。

 だけど、すぐに行ってしまって、ほっとしまったこともある。

 それは、「あなた、男だってばれていないでしょうね?」と詰問されなかったことだ。まさか、始業式が始まる前から男だと気づかれたのだと打ち明けられるはずもない。


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