第14話 妄想浴場!

 なんだかすっきりしないまま、僕は食事を終えた。

 そして、タッパーを洗う。

 ネームプレートに寮長さんの名前が書かれている郵便ポストに、空のタッパーを返却しておく。使い方間違っているっぽいけど、みんなタッパーを入れているので意外に慣れたら違和感がなくなるかもしれない。

「さて、と!」

 僕にはもう一仕事しなければならないことがある。

 それは風呂掃除だ。

 変則的な時間にお風呂を使わせてもらう代わりに、毎日一人で風呂掃除をしなければならない。寮母さんには、あの学園長からの事前説明があったようで、なんとか納得してもらえた。

 それにしても――

「うわー、広いなー」

 この風呂場の広さを、一人で掃除するのは骨が折れる。

 大浴場とはいわないが、僕の部屋よりはどう見ても広い。シャワーも四個ほど設置されていて、浴槽は大きくて、女の子数人が足を伸ばしても平気そうだ。

 これは貸切で入浴するとなると、疲れを癒すにはもってこいのようだ。

 今日は身の回りの変化が目まぐるしくて、とにかく休みたい。

 プール掃除で使うようなブラシで、タイルをゴシゴシ掃除していく。それが終わると、ちょっとした達成感と満足感に包まれる。

 ちょうどいい感じに汗をかいたし、お風呂に入ろうかな。

 衣服籠に服を入れ、生まれたままの姿で、自分がピカピカにしたタイルを眺める。

 せっかく掃除したのに、汚したくないなあ。

「まあ、しかたないよね」

 明日からはお風呂に入った後に、掃除しようか。

 トイレの窓から見える夜の帳と、月の銀色の輝きは、一日の終わりを彷彿させる。

 ぼぅとしていると、熱気を保っていたタイルが、段々と冷たくなってきた。鳥肌も立ってきたし、早くシャワー浴びないと。

 シャワーヘッドを手にとると、ガラッと勢いよく扉が開く。

 想定外の事態に、僕は石化。

 開けた当人は、見らぬ僕の顔を見て、「あれっ? どなたですか?」と目を丸くし、そして、僕の下半身についている男の勲章に、ゆっくりと視線を移し、絶句する。

 硬直から回復した彼女が、悲鳴を上げそうになったので、咄嗟に、持っていたシャワーヘッドを向け、全力でキュキュと蛇口を回して、勢いよくお湯を噴射する。

 きゃ、と可愛らしい悲鳴を上げた彼女が正気に戻る前に、後ろから回り込んで口を塞ぐ。

 女の子にこんなことするなんて……。

 罪悪感に押し潰され、パニック状態になる。

 こ、これからどうしよう。

 ここは女子寮の浴場。そこに全裸の男がいる。こんな状況下でどう弁解しても、納得してもらえるはずがない。

 それでも僕は、ここで諦めるわけにはいかない。

 もしも僕が、警察に補導されることになれば、高校入を学世話してくれた、学園長も何らかの責任を取らなければならないだろう。……自業自得な気もするけれど。

 そして、面白がって僕をここまで送り出してくれた家族。……やっぱり、あの人達のせいでもあるな。

 僕のことを心の底から案じている人はいないのか。

 いや、愛華と葵ちゃんがいた。

 自分の知り合いが、義兄が、女子高に女装して風呂にまで潜入したという風評が触れ回ったら、彼女達は一生後ろ指を差され、生きることになる。

 彼女達を守れるかどうかは、僕の両肩にかかっているんだ。

「あのー」

 可愛らしい声が僕の思考をかき消す。

 あれ? どうして口を塞いでいるのに話せるんだ? と首を傾げる。そして、さっきの決意した瞬間、奮起するために拳を握ったことを思い出す。

 ……終わった。

 頭上にここまで積み重ねてきた、少ない女装経験がぐるぐる走馬灯のように映し出される。

 茜義姉さんに男より可愛いとからかわれ、肉食系百合科の艶美な美女には貞操を奪われかけ、毒づく体育会系の自己中女には、これでもかと人格を否定された。

 ……いいこと一つもなくて泣きそうだ。

 改竄すべき負の遺産。それを持っている僕を嘲笑うかのように、回顧はまだ見ぬ未来に染まる。在りもしない「もしもの世界」がベールを脱ぐ。

 手首にかけられている冷たい手錠と、顔を隠すための厚手のスーツを体と腕に掛けられながら、屈強な警察官と共に、僕はうざったい報道陣を掻き分けていく。

 網膜には大量のフラッシュが焼き付き、鼓膜には怒声と悲痛の叫びが刻まれる。

 テレビには、モザイクと規制音のかかった人たちが映る。神谷くんが、「どうして一言自分に相談しなかったんですか! 自分なら一緒に登校したのに!」と号泣している。

 うるさい。

 茜義姉さんはテレビに映れると知り、ダブルピースをしながら、「あの子はいつか、こんな許されない罪を犯すと思っていました!」とケラケラ笑っていた。

 ……これが、僕の家族か。

 絶望に打ちのめされ、僕は両手をタイルにつけ、土下座のような態勢になる。

 茜義姉さんなら、あることないことを、本当に言いかねないから怖い。そして、神谷くん……。妄想とはいえ、どうして君は女装しているんだ……。

「あのー、もしかして秋月もみじさん……ですか?」

 え、と顔を見上げる。

 僕の顔色で察したのか、「やっぱり、そうですよね!」とぱっと笑顔になる。朗らかな顔をしている彼女は、どこかで見たような気がする。

 彼女は破顔しながら、両手を合わせる。

「ずっとお会いしたかったです。お礼を言おうにも、やっと落ち着いたと思いましたら、もみじさんは病院にいらっしゃられなかったので……。ああ、もみじさんのお名前はお医者様から聞いたんですけど――」

「……医者? あの、失礼ですけど、あなたはいったいどなたですか?」

 立ち上がろうとすると、「きゃあ」と彼女が退いたので、何が悪いのか黙考すると、自分が全裸であることを思い出す。

 僕は「ご、ごめんなさい」と平謝りしながら、落ちてしまったタオルを拾い上げ、タオルを臀部にしっかり巻き、僕はおずおずと立ち上がる。

 ここまで無様な醜態を晒してしまい、体裁もなにもないが、少なくとも僕が全裸じゃなくなって、彼女も少しはほっとしたようだ。

 しっかりと僕と視線を合わせ、彼女は言った。

「私は白鷺静香です。……以前、あなたに助けていただいた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る