第12話 食堂は修羅場!(中)

「――わ――い」

「は、はい?」

 瞳をキラッキラと無邪気に光らせて、僕の手をぎゅっと握る。細く柔らかな指先は、なめらかに僕の指の隙間へと割り込み、ぴったりと合わさった。

 どこか愁いを帯びたような湿っぽい表情は一変し、瑞々しい果実のようなフレッシュさを感じさせた。

「可愛いぃ――! なになに、超ぉおお可愛いじゃない! なぁによ、あんの――ババア。こんなにキュートなら、もっと早く私に知らせなさいよね! すっごいぃ!! へぇぇ、お肌もつるつるね? 洗顔は何を使ってるの?」

「ぅわあ!」

 いきなり頬を撫でられ、僕は慌てて退く。

 なんだ、なんだこの人。いきなり性格変わってないか? こ、こわいいい。

 それから彼女の指先は器用に、僕の抵抗の手をするりするりと躱し、僕の全身を舐めあげるように、丁寧に触れていく。獲物を、前に舌なめずりする肉食獣のように獰猛な視線。

 壮絶な色気に頭がくらくらする。

「バ、ババアって、どなたのことですか?」

「ああ、寮母さんのこと。あのババア、いちいちうるさいから気をつけたほうがいいわよ。婚期逃した 賞味期限切れの女だから、私達みたいなぴちぴちで若い女が嫌いなのよ」

 寮母さんには悪いが、思わず吹き出す。

 寮母さんってもしかして嫌われているのかな?

 腰と同じぐらい、性格が屈折していたような気がする。「私には迷惑をかけるな」だとか、「掃除が大変だから極力汚さないように」だとか、自分本位の言葉ばかりだった。

 僕は何も知らない無垢な奴。

 普通、初対面なのだからそういう奴には嘘でもいいから寮の良さを語って欲しいものだ。ただでさえ新生活に不安を持っているのだから。

 だけど、自分語りしかしなかったので、僕的には第一印象は最悪だったのだが、この人的にもNGだったらしい。

「そんなことより、あなたの名前なんて言ったかしら?」

 男に媚びるように、鼻にかかったような声は僕の脳内を痺らせる。相手が肉食系だと理解できているのに、どうしても圧倒的なオーラの華麗さに屈してしまう。

 むしろ、こうして攻められることに光栄に思い、こうされることに悦びさえ感じられるのが空恐ろしい。

 多分、上に立つのに慣れている。

 人をはべらすことに何の抵抗もなさそうだ。

「秋月。……秋月もみじです」

「もみじちゃんかあ……」

 うふふふ、と焦点の合っていない虚ろな顔。頭が沸騰しそうなくらい熱い吐息が、耳穴を撫であげ、身体を縮ませる。

 この人、あれかな? もしかしてそっち系の人なのかな。

「私は寮長の綾城茅。ち・が・やでいいわよ」

 顎にそっと、ワイングラスを持つように手を触れてくる。もう片方の手は、僕が逃げないように、がしっかりと僕の手を押さえつけている。

 寮長さんは、内に籠っている衝動を、なんどか抑えようと必死になっているかのように、唇を苦しそうに噛んでいる。ハァ、ハァと狂しそうに吐息を溢し、身を捩っている。決壊したダムのように、口からは膨大な涎が溢れてきてもおかしくないぐらいの狂気を感じる。

 かかか、完全に百合だ、この人。

 た、食べられる。

 まさに肌で貞操の危険を感じ、僕は停止していた思考を取り戻す。捕縛されていない手で、押しのけようとするが、距離が近すぎてどこを触っていいのかが分からない。

 まさか胸を触るわけにも――。

 とにかく心理的に落ち着くためにも、距離を取ろうと後ずさる。

「い、いいえ。そんな、僕たち出会ったばかりじゃないですか。いきなり名前で呼ぶのは……ちょっと」

「んふっ。そんなに焦らなくて大丈夫よ。今夜、私の部屋で親密な関係になるから」

 白くて細い指が、僕の冷や汗を潤滑油のように利用しながら、首筋を這って、僕の体のどんどん下に進んでいく。

 茜義姉さんのお古である、下着のようなキャミソールは、防護としては全くの役立たずだった。春に入って、夜でも温暖な気温だからだと適当に着たやつだったが、もっと防護性に特化したものを着用すればよかったと後悔する。

 上に羽織っているグレーのパーカーのジッパーが、ゆっくりジジジと音を立てながら、下へと下降していくのがまるで他人事のようだ。

 僕は女の子にやっかみを受けることはあれど、好意を受けたことなんて一度もない。だからこんなシチュエーションは、今まで一度も夢想したことがない。だから、何をしたらいいのか分かるはずもない。

 そして、僕は今女なのだ。まさか女装しているのに、女子から迫られるなんて思いもしなかった。

 ぬ、ぬがされる。

 涙目になりながら、たじろいでいると、背中が壁にぶつかる。角に追い込まれて逃げ場がない。

 しめた、とばかりに寮長さんは鼻と鼻がぶつかりそうなぐらい近づく。

 お互いの心臓の鼓動が高まり、聞こえているのではないかと錯覚するぐらい、僕の心臓がうるさくビートを刻んでいる。

 このままじゃ、だめだ。

 僕が寮長さんの体を突き放そうとすると――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る