第6話 絆の芽生えそうな家!
4LDKとはいえ、一つ一つの部屋は六畳程度で狭く、境界線は襖と、板張りの幅の狭い廊下しかない。だからプライバシーはほとんどないし、心理的にも窮屈さを感じてしまうときがある。だけど、肩を寄せ合うような狭さだからこそ、親密になるのは早い気がする。
でも、せめて自分の部屋には、鍵付きの錠が欲しいな。
茜義姉さんは悪い人じゃないんだけど、ずっと一緒にいるとため息をついてしまう。
廊下を歩いていると、
「あら、もみじくん。なんだか、ずいぶんとお疲れなようだけど、どうかしたの?」
くすくすと笑う、純白のエプロン姿の女性は、言葉とは裏腹に、ちっとも心配そうじゃない。
「碧さん、分かって言っていますよね?」
僕は、義母である碧さんに微笑み返す。
碧さんは、二児の母であるにもかかわらず、その容姿はずいぶんと若い。
近所のおばさんからは、「碧さんと姉妹みたいですね」と言っていたが、まんざらお世辞でもない。茜義姉さん以上に、でるべきところはでていて、へこむべきところは、へこんでいる、理想のスタイル。さすがは親子だ。
「お昼ご飯、もう少しで準備できますから。もうちょっとだけ、待っていてくださいね」
「だったら、なにかお手伝いしましょうか?」
長い間父親と二人きりだったおかげで、僕はほとんどの家事をこなせる。料理から洗濯まで一通りのことをこなせなければ、あののんびり屋で大雑把な父親と共同生活なんてできなかった。
それからさっきの茜義姉さんの言葉も、僕の胸に深く突き刺さっていた。
家族なんだから家事を手伝うぐらい当たり前だ、って考えている時点でどうなのかな? って思うけど、少しでも碧さんの力になりたいって想いに嘘偽りはない。
それに、なにかに没頭していないと、嫌な考えばかりがぐるぐる頭の中を巡りおかしくなりそうだ。
「いいですよ、もうほとんど終わってしまいましたから。それに、もみじくんは勉強で忙しいのではないですか?」
「いいえ、いまどんなに勉強しても、結局は自己満足にしか過ぎないので……」
「そんなことないですよ。もみじくんが頑張っているのは、私だって知っていますから」
「……それじゃあ、頑張ってるだけじゃ駄目なんです」
結局、僕は推薦入試に落ちてしまった。試験に遅刻し、電話で謝罪したけれど、もう手遅れで、試験すら受けさてもらえなかった。あのとき、僕が喘息の女の子を、救急車で病院にまで送り届けようとしなければ、あのまま見捨てていれば――
「とにかく! 僕になんでもいいから手伝わせてください」
今思い出すと、僕はとんだ馬鹿だった。碧さんに迷惑をかけることは、少し考えればスグに考え付くことだったのに。
そして後悔してしまう自分が憎らしくて、何かで気を紛らせたかった。
推薦入試を蹴ったことで、普通入試すら受けさせてもらえなかった。志望校を一つにしか絞っていなかったから、今は受ける高校を必死で探している――ふりをしている。
あの高校でなきゃ、僕にって意味がない。
……愛華のいるあの高校じゃなきゃ。
「本当になんでもいいんですか?」
「ええ」
「それじゃあ、葵ちゃんを呼んできてくれますか?」
「……ええっと……それだけはちょっと……」
「なんでもいいって、さっき言いましたよね? お願いしますね」
碧さんは「男の子に二言はありませんよね?」と柔和な笑みを浮かべ、さっと身を翻す。なんとか上手い口実が浮かぶ前にこれだ。
ううう、こんな時ばかり男扱いされても……。
父親が単身赴任しているせいで、どうも人数が多い女の方が、意見を強くいえる傾向にある。女の子は集団で結束するから、始末が悪い。
葵ちゃんの部屋の前に着いた僕は、怖々と「葵ちゃん、いる?」とか細い声で在室確認するが、返答がない。そろりと、襖を開けるとそこには、誰の気配も感じられなかった。
「出かけているのかな?」
正直ほっとした。
葵ちゃんとまともに会話した回数は、実際数えるほどで話そうとする度にギクシャクしてしまう。最初に会った時は僕の眼を見て、笑ってくれていたはずなのに……。
一緒に生活していくうちに、葵ちゃんは次第に僕と視線を合わせてくれなくなり、口数も少なっていった。
碧さんに相談しても「大丈夫よ、あの子なりにあなたのことを好きだって証拠だから」と楽観的な意見しかくれない。葵ちゃんは可愛いし、ひとつ屋根の下にいる以上、嫌われたくないんだけどなあ……。
安心していたら、トイレに行きたくなってきた。茜さんに捕まっていたせいで、タイミングを掴めなかったんだ。
僕はトイレのドアをばっと考えなしに開けると、ぴきっと硬直した。
そこには葵ちゃんがいた。
桃色のパンツに手をかけ、中腰の姿勢。髪を両側で縛って、身長も僕の顎程度で子どもっぽいが、かなり可愛い。
あれ? と葵ちゃんちょっぴり首を傾げ、そのままの態勢で僕と視線を合わせ、カチンコチンに石化する。ドアノブを持ったまま、あほのように口を開けていた僕は動転し、「や、やあ」と手を振る。
目を回しながら、どうやってこのアクシデントを処理しようか迷うが、突然の事態に混乱していてまともに思考できない。
途端に今の状況を把握したのか、葵ちゃんの顔は、羞恥の色に染まる。瞳にはうっすらと涙が……。
あわわわ、どうにかしないと。
「ああ……ごめん。そういえば、トイレの鍵って壊れていたね。忘れてた。それに、確認もせずに開けちゃってごめんね、今度からはノック――」
「……いいから、出て行ってくれますか?」
「……はい」
歯をギリギリ鳴らしながら、両手でパンツを覆い隠している。下ろしたスカートから、パンツまでの間の生足が見えてしまっていて、どこに視線をやっていいのか分からない。そのままじっくり視線を這わせていると、今度こそ完全に嫌われてしまうので、衝動を抑え、僕はゆっくりとトイレのドアを閉める。
パタパタと自室用スリッパをパカパカさせながら、悶々と心の中で巣食うのは葵ちゃんの表情。僕の両手をしっかりと伸ばせば、全てを覆えるほどの小顔。その瞳には綺麗な水が張っていて、強ばった顔は魅力的だった。
それにしもど、どうしよう。ただでさえ嫌われてるのに、これじゃあ、話しかけることも躊躇ってしまう。後方に邪悪な気配を感じて振り向くと、碧さんが笑顔を貼り付けて立っていた。
もしかして、碧さん……。
「あら? もみじくん、葵ちゃん見つかった?」
僕達が中々仲良くなれないからといって、こんな荒療治を仕掛けるなんて碧さんも人が悪い。
「……碧さん。こうなるように仕向けましたね?」
ふふっと、碧さんは愉快そうに微笑する。
「なんのことかしら?」
最悪なことに、僕の予想通りの回答を碧さんはした。
「あのですね、こんなことしても――」
ピンポーンと、タイミング悪く玄関のチャイムが鳴る。あら、どちら様かしら、と碧さんには詰問から逃れられる。こうやって大事な話をしようとすると、いつもはぐらかされている気がする。まるで掴みどころのない雲のような人だ。
これ以上翻弄されないようにと、僕は部屋に引っ込もうとすると、呼び止められる。
「もみじくん、お客様よ」
パタパタと、スリッパな音をたてて戻ってきた碧さんに、僕は訝しげな表情を返してしまう。坂の上にあるこの家に、お客なんて滅多にこない。来るのはセールスか宗教勧誘、もしくは配達員ぐらいのものだ。しかも、僕個人を指名するってことは、愛華ぐらいしか心当たりがない。だがそれだと、碧さんが愛華をお客様と呼称したのは違和感を感じる。いつもならお友達のと言うはずなのに。
僕はいったい誰が来たのか胸をモヤモヤさせて、玄関を開けるとそこにはまったく予想していなかった人物が立っていた。女の人にしては見上げるぐらい長身なのは、履いているブーツのせいか。チャームポイントであるゆるふわカールは、この前同様にキマっている。
「久しぶりね、秋月くん。今日は霊堂学園学園長として、あなたには折いって相談したいことがあって、こうしてやってきました」
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