第2話 甘酸っぱい教室!


「あは、あははははは!!」

 教室に愛華の容赦ない笑い声が響く。

 夕陽は傾ききっていて、僕らの机に淡い光が差し込む。

 愛華とは確かに帰る約束をしていた。

 けど、神谷くんを説き伏せるのにかなりの時間を浪費してしまったので、とっくの昔に帰宅したと決め込んでいた。

 けれど、愛華は『当然でしょ』とでも言いたげな顔をして待っていてくれた。

 それは、誰にでも分け隔てなく心優しい愛華にとっては、至って普通のことだったのかも知れない。

 だけど、僕にとってはとてつもなく嬉しいことだった。くすぐったくて口に出して言うことなんて、絶対にできないけれど……。

 教室は愛華と僕の貸切状態。

 机を向い合せながら、互いの肘がくっ付きそうなぐらいの至近距離でドギマギする。まるで女の子同士のような気安さだけど、いつの間にかこの距離感が定着してしまった。

 遅れた理由を嬉々として聞いたので、渋々一から順に説明すると愛華は案の定笑い出した。

 だから言いたくなかったのになあ。

 それに愛華が仲介役でなかったら、僕だって行かなかったと思うのに。

 それにすら気が付いていないんだろうなあ、愛華は。

「……そ、それでぇ? またもや男に告白されたぁ……も、もみじさんはその後どう……したの?」

 元々笑い上戸の愛華が息も絶え絶えになりながら、脇腹を抱えている。その瞳はうっすら潤んですらいて、怒る気力すら起きない。

 僕はしかめっ面になりつつも愛華に催促されるまま、実際に神谷くんに受けた屈辱の続きを話す。

「……それが、『秋月さんが男でもいい! いや、むしろ男がいいです!! 男である秋月さんが好きなんです! どうか、こんな僕でよければお付き合いお願いします!! 自分は真剣にあなたと交際したいんですっ!!』……って言われたよ」

 今日はなんとか帰ってもらったけど、最後まで納得していない様子だったのが気がかりだ。あの執着さは、ストーカーに類する気がした。

 落ち込んでいる僕を尻目に、瞳に涙を溜めながら愛華は吹き出す。

「あはははは。もう、だめ。笑いすぎて死んじゃう! おっーかっしーなー、もう!! あははははは!! ……いやー、まさか、この中学の女子全員の憧れの的。あのサッカー部のエース神谷くんまで籠絡しちゃうんだから、もみじも罪深いわよねぇ!!」

 この中学の女子全員の憧れの的。

 何気ない愛華のその一言が、僕の胸を衝く。

 動揺を悟らせるな。

「籠絡なんて……人聞き悪いこと言わないでよ! 他の人が聞いてたら誤解しちゃうでしょ。そのいいぶりだとまるで、僕が神谷くんを告白させたみたいになるから止めて!」

 ぐらついた精神をなんとか立て直す。

「あー、ごめっ――ゴホン――ごめんっ」

 愛華は咳き込んでいる。

「まったく、笑いごとじゃないよ……」

 こうやって愛華が笑い飛ばしてくれるから、僕の心も少しは軽くなっている。

 昔から僕は、女よりも女らしい容貌のせいで、嫌な思いをしてきた。女性からの謂れのない嫉妬や、揶揄は当たり前だ。

 女の子からは、憎悪の対象として扱われることも少なくない。

 そして男からは女として見られ、好奇な視線に曝された。

 そんなどっちつかずな僕に、なんの打算も、同情も、躊躇もなく声をかけてくれたのは――愛華ただ一人だけだ。

 愛華がいなかったら、きっと、この中学校三年間は色褪せたものになっていただろう。

 それに関しては感謝してもしきれないぐらいだ。

「それから『愛華さんとはどんな関係なんですか』って神谷君にしつこく訊かれて、正直へとへとだよ。もう、思い出作りだけの告白は止めて欲しいよ」

 中学の卒業式間近ということもあってか、告白される頻度が以前よりも増している気がする。

 こっちはいい迷惑だ。

「……へええ。それでもみじはなんて返答したの?」

 急に声のトーンが低くなり、目が笑っていない。

 さっきまで馬鹿笑いしていたのが、すべて演技だったかのようだ。

 愛華の豹変ぶりに、僕は内心あたふたする。

 もしかして愛華の悪口を吹聴したのかと、誤解されたのだろうか。

 そんなわけないのに。

 僕が愛華を傷つけることなんて、絶対にできるわけないのに。

「愛華とは友達だって説明したよ」

「……それだけ?」

 今や机に膝をつきながら、目が据わっている。

 ……ど、どうしちゃったんだろう、愛華は……。

 あわわわ。

 怒らせるようなこと、しちゃったのかなあ?

 でも、失言があったとは思えない。

 突き刺すような視線に耐えられなくなって、僕はぷいっと目を逸らす。

「それだけだよ」

「それだけじゃないでしょ。……ねえ、もみじお願い。私にはちゃんと本当の事を言って。嘘をつかないで。そして、ちゃんと私の眼を見て言ってよ」

 やっぱり彼女に嘘をつくのは、特別心苦しい。

 それに、言い逃れできそうにない。

 他の人間を騙すのは結構自信があるんだけど、愛華だけには嘘が通じない。学校の成績でも、運動神経でも、あらゆる勝負事に勝てた試しがない僕は、またもや愛華に膝を屈さなければならないみたいだ。

 ……ああ。

 本当は顔から火が出るぐらい気恥ずかしくて、愛華にだけは言いたくなかったんだけど、どうも笑って誤魔化せるような雰囲気じゃないみたいだ。

「ねえ、言ってよ。神谷くんになんて答えたのか」

 愛華の「言って」とせがむ声音が妙に色っぽくて、全身に電撃が走る。

 座ったまま仰け反ろうとすると、はしっ、と愛華にしっかり手を掴まれる。

「うっ……」と僕は小さく呻きながら、その手を振りほどくことができなかった。

 どうしっちゃったんだろう、愛華は。

 今日は妙に積極的だ。

 いつもは僕が告白されても、適当に笑い飛ばすだけなのに……。

 卒業が近いから物淋しい気持ちになっているのだろうか。

 だとしたら、愛華に対して僕にできることはないのだろうか。

「……ねえ」

 忘我から立ち直ると、愛華はちょこんとしな垂れる美しき華のように首を少し傾げたまま、僕の手をぎゅっと優しく包み込むように握ってくれていた。

 愛華の握ってくれた箇所だけが、仄かに温かくて気持ちいい。

 やっぱり、愛華と一緒にいると安心感が違う。

 そんな愛華に、僕もとうとう根負けする。

「神谷くんには『愛華は、僕にとって特別な存在なんだ』って言ったんだ……」

 うわあ、耳たぶが熱い。

 それに、ぶわわわ――って凄い勢いで、腕から全身にかけて鳥肌があああ。

 は、恥ずかしいよぉ~~。

 なんだかこんな反応をしてしまうと、僕が愛華のことを意識しているのがバレバレな気がする。

 なんとしても、それは避けたいところだ。

 僕だって性別は男。

 仲良くしてくれる女の子には、淡い希望を持ってしまうのは当然の摂理だ。

 だけど、恋愛にまでは発展することはありえないんだ。

 そもそも、僕がこの容姿に生まれきた時点で、女子と恋愛するなんて、ありえっこないのだ。

 俯いていた僕が、ちらりと彼女の様子を窺うと、意外にも、愛華はまんざらでもなさそうだった。

「ふーん。まっー、当然だけどね!」

 平静を保とうとしているが、口元のニヤケ具合は隠しきれていないし、うにょうにょ手を忙しなく動かしている。

 どうやらこの様子だと、僕が清水の舞台から飛び降りる勢いで話したカミングアウトのお蔭で、機嫌を取り戻してくれたようだ。

 それにしても、「もみじちゃん、いいこと、女の子はとにかく褒めなさい。的外れな意見だと逆効果だけど、意識していない相手に褒められても、女の子は嬉しいものなのよ。だからまずは私で練習してみましょうか。さてと、まずは私の事を綺麗と――」って茜義姉さんに忠告されたことを、思わぬタイミングで実践できてよかった。

 最後の要望はいらなかったけど。

 それにしても、愛華は単純過ぎて、可愛いなあ……。

 飾り気のない愛華が、突如として女っぽさを、こうも前面に押し出されるとそのギャップ差にたじろいでしまった。

「まあ、その言葉で、ようやく今日のところは、神谷くん、引き下がってくれたんだけど……もう、男なのに、男に告白されるなんて悪夢は、これっきりで勘弁して欲しいよ」

「いいじゃない。もみじのその美貌だって、立派な武器よ」

「それは僕が女子だったら話でしょ!」

 ひどいよ、愛華!

 僕がこの顔にコンプレックスを持ってることぐらい、承知のはずなのにぃ。

「そうね、」といたずらっぽく愛華は笑う。

 愛華がこんなに簡単に引き下がるなんて、嫌な予感しかしない。

 と、構えていて正解だった。

「透き通った柔肌に、肩にまで掛かる艶やかな髪。それから、学内では学力試験で、常に三番内には入る天才。まさに、才・色・兼・備! 『天は二物を与えず』って言うけど、あれってやっぱり嘘よねえ。もみじ一人に、ここまで才能をギフトするなんて、神様はおかしいわよ。だいたい、勉強はともかくとして、このっ、私よりもかわい――ああ、言っててだんだん腹立ってきた」

「いひゃい、いふぁい、い――らめぇ」

 まるで、魚が釣り針に引っかかっているかのように、愛華に唇の端を上に抓られ、ろくに言葉も発せられない。

 僕がプロレスの選手のように、愛華の抓っている手にタップアウトすると、ようやく放してくれた。

「……うう、ひふぉいよ愛華……。それに頭だとか、見た目だとか、そんなことで褒められても、僕は全然嬉しくなんてないよ」

 僕は「天才」といわれるのが何より嫌いだ。

 このことは愛華にも、ほかの誰にも話していないのだけど、僕は昔からそうなのだ。

 どれだけ他人に優雅に見えていたとしても、僕は影で、他人の三倍も努力している。誇張表現ではない、その僕の努力を「天才」という月並みな一言で片づけて欲しくなんかない。

 僕は努力しています。

 なんて、言ってもみんなは顔を顰めるだけだから、いままで誰にも言ったことなんてない。

 言えるはずもない。

「ふーん、もみじがそう言うなら、もう私はなにも言わないわ。……だけどね、頭のいいもみじが、あんな高校に進学するなんて、勿体ないにも程があるわよ。やっぱり私は納得できない。反対よ」

 愛華や先生達には「一番近所の高校だから、そこに通います。そこ以外には考えられませんから」だと断言して、みんなを困惑させているが、僕の真意は違う。

 愛華にだけは絶対に知られたくない、僕の愚かで、実直な心。

 ――愛華と一緒の高校に通いたいからだ。

 なんとか愛華にばれないように気を張っているのは、自分のせいで進路を変更したと、愛華が気に病むか心配だからだ。

 でも。

 そんな僕の気遣いすらも、見透かされているような気もする。

 だって――好きな女の子の前で、隠し事できるほど僕は器用じゃないから。

 そんな僕の気持ちを知っていて、それでも止めないってことは――やっぱり嬉しいのかな。

 なーんて、勝手に自惚れてみる。

「……どうしたの? もみじ?」

 いつの間にか僕は沈黙を保ちながら、愛華を眺めていた。

 愛華はなにやら心配そうに、眉を顰めている。

 だいじょーぶだよ。

 僕はどこにもいかない。

 その代わり、愛華とこれ以上の関係になれるなんて期待しないし、見返りなんてもとめない。

 男ではなく、女の子として、ただの友達として。

 きっと、ずっとずっと愛華の傍にいるから……。

「ううん、なんでもない!」

 これが、今の僕にできる精一杯な嘘の笑顔だ。

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