発表会と、告白(2)

 盛大に鳴り響く拍手を背に、明日香はステージから降りてくる。

 朱音はすぐさま目の涙を拭い、明日香に向き直る。

 この空間が暗くてよかったと、朱音は心底思った。

「朱音。私は、言いたいこと全部言ったよ。だから次は朱音の番。朱音の夢を、私に聞かせて」

「期待に沿えるかはわからないけどね。でも、これが今の私の全てだから。覚悟して聞きなよ」

 それが今の朱音にできる精一杯の強がりだった。

 これ以上明日香と顔を合わせているとどうにかなりそうだったので、朱音は足早に壇上に向かう。

 人、人、人。

 千人もの視線が朱音に突き刺さり、否が応でも緊張を煽る。喉はからからに乾き、手に握られた原稿は手汗で湿って変形していた。

 そもそも、こんな場所に一人で立ったことなど朱音の今までの人生ではなかったのだ。

 こういった場所に立って発表したり演説したり表彰されたりする華々しい見せ場が与えられるのは、いつも明日香の方だった。事実、直前までの明日香の発表は大盛況で終わっていた。そのことを思い出すと、やはり自分は明日香と同じ場に立つなど許されないのではないかという醜い思いが胸に過る。

 それでも、その醜さも何もかもをさらけ出すと決めたから朱音は今ここに立っているのだ。

 願わくば、あの完璧超人みたいな朴念仁の幼馴染に一泡吹かせることができますように、と。


「私には、将来の夢というものがありませんでした。地球滅亡という歴史的な災害を前にして世界情勢が大きく変わり、夢を諦めざるを得なくなった人も多くいることでしょうが、しかし私が夢を持つことができなかったのは決して地球滅亡のせいなどではなかったのです」

「私は小さい頃から引っ込み思案な性格でした。友達はおらず、特筆すべき特技などもなく、静かに絵を描いたり本を読んだりしていることが多い幼少期を送っていました。私自身は特にそれを直そうとも思っていなかったのですが、そんな私を心配した両親が近所に住む同世代の女の子に遊んでくれるよう頼んだことがありました。その子は年齢の割にとても大人びた性格であり、下手をすればいじめられてしまうような性格の私のような子にも優しかったため、私の目の前で快諾してくれました。かくして、私には初めての友達ができたのです。当初は友達なんかいらないと思っていた幼い私も、彼女の人格の前に段々と心を開かれていきました」

「彼女は私と正反対で、要領がよく友好的な性格でした。しかし最も彼女が私と異なった点は、明確に好きだといえるものを持っていたことだと思っています。幼い彼女はいつも私に好きなものの話をしていました。将来の夢の話を聞かせてくれました。その話は、まだ幼かった私にとっ

 」て一つの希望でした。好きなものも夢も持っていなかった私は、彼女のその話を以って「好き」や「夢」がどういった概念なのか、理解し定義していたのです」

「そんな中、あの日が訪れました。二〇〇五年の十月。この地球で知らない人はいない、滅びの予言の日です。当時幼かった私には何が起こっているのかよくわかりませんでしたが、大人たちの騒ぎようがただただ恐ろしく、ずっと泣いていた記憶だけが残っています。何よりも恐ろしかったのが、心の拠り所だった彼女すらも、その日以来好きなものや夢の話を一切しなくなったことでした。しばらくは慌ただしい世間の中を不安な気持ちで過ごしていた私でしたが、やがて数週間が経つと世間も以前の落ち着きを取り戻し、彼女もまた元通り話を私にしてくれるようになりました。こうして、一見すべてが十数年後に控えている滅びのリミットまでは元に戻ったように見えました。しかし、彼女の中ではこの日をきっかけに何かが変わっていたことを私が知るのは、かなり後のこととなります」


 ここで一息ついた朱音は、一瞬舞台袖の方を見やる。「彼女」が、覚悟を決めたような、不安そうな顔つきでこちらを見ているのが暗がりの向こうで見えた気がした。

 朱音が締め切り一か月前に変えたテーマを、明日香はまだ知らない。もちろん移住前に彼女に何らかの形で読んでもらおうとは思っていたが、それが全校生徒の前、しかも明日香の発表の直後だというのだから本当に運命というのは数奇だと朱音は思った。

 朱音は再び正面を向く。自分に向けられる視線の数に、思わず卒倒しそうになる。しかしそれでも、こんな視線の雨に対してケロッとした顔で告白を終えた明日香に一泡吹かせるべく、精神を整え、再び口を開いた。


「やがて私たちは小学校に上がることとなります。相変わらず彼女は社交的で要領がよく学業成績も優秀で私とは正反対でしたが、私は彼女を目標に努力をするようになりました。彼女に追い付ければ、私も好きなものや夢を見つけられるのではないかと、そう思っていたのです。結果として私はそれなりの高成績を取れるようになり、彼女以外の友人も何人かできましたが、それでも私には夢は見つからず、将来の夢を発表しなくてはならない機会があっても、何も話せないということが何回かありました。焦りから私は更に彼女と一緒にいたいと思えるようになります。依存という言葉を当時小学生の私が知るはずもなく、私は夢を持たぬまま彼女と共に行動し、彼女の進路を追うようになっていきました。小学校に上がってから以前ほど好きなものの話や夢の話をしなくなった彼女でしたが、夢自体は変わらずしっかり追っていたようで、その一環として清沢女学院を受験することを私に告げました。私は彼女の後押しもあり、親に頼み込んで受験を決意し、そして今いるこの学校に籍を置くことになったのです」

「清沢女学院入学に伴う上京と親元を離れた生活は慣れないものでしたが、それすらも彼女の助けがあって私は乗り越えてきました。寮生活によって、念願の彼女と常に一緒にいられる環境を手に入れた私でしたが、それにより私の彼女への依存はますます深まっていきます。彼女とは友人であり幼馴染でもありましたが、私は彼女からいつも助けられている一方で、いつしか彼女から愛想を尽かされてしまうのではないかという恐怖に囚われるようになりました。彼女に追いつこうという努力により幼き頃よりは彼女に依存する機会も減っていましたが、それでも一向に夢が見つからないことは大きなコンプレックスとして私にのしかかり続けたのです。その矢先に出されたのがこの作文課題でした」

「地球の滅亡とそれに伴う異星への移住を一年以内に控え、どのような夢を持ち続けるか。幼児の頃から苦しめられていた将来の夢についての課題。彼女に甘えるばかりで一向に精神的に成長していなかった私は、大学もまた彼女と同じところを志望し、問題を先送りにするつもりでいました。しかし、その望みは他ならぬ彼女によって断たれてしまいました。彼女は、滅びゆくこの地球に残るというのです。それを知った瞬間、彼女とは人生初の喧嘩をすることになってしまいました。考えを変えるよう身勝手な説得も試みました。しかし、彼女の夢に対する決意を聞き、変わるべくは自分の方だと思ったのです。高校生活最後の年、そしてこの星で暮らす最後の年に与えられたこの課題と彼女の告白を契機に、私は十年以上も続いた彼女との関係性を変えるべきなのだと」


 ここまで言ってしまえば、「彼女」とは一体誰を指すのかをここにいる全員が理解できてしまうだろう。発表にあたって、本人にしかわからないような内容に改稿するということもできたが、そんなオブラートに包まれた言葉では自分の本心を全て告白することができない。

 もはや恥ずかしさや緊張など朱音の心にはなかった。

 私がいなくなっても、一秒たりとも忘れられない記憶にしてやる。

 ここにいる千人のギャラリーが全員証人だ。

 約束の違いなんて許さない。

 そんな思いだけが彼女を突き動かしていた。

 朱音は手に持っていた原稿を丁寧に折りたたみ演台の上に置いた。そしてすぅと息を大きく吸う。


「三原明日香‼」


 突然の大声がマイクを通して大きくハウリングし、ホールに響き渡る。

 どよめきが生徒だけではなく、教員の間にも広まっていた。


「あなたの地球と宇宙に対する愛と、天文学を志すという夢への真摯さにずっと憧れていました。いつもいつもこんな私を助けてくれてありがとう。この場にいることができるのも明日香のおかげです。いろいろ迷惑をかけてごめんね。ずっと好きなものも夢も見つけられなかった私だけど、でも、やっと見つけることができました」


 一呼吸置く。

 そして、あのとき躱されてしまった言葉をもう一度口に出した。


「三原明日香、あなたが好きです。あなたの夢が好きです。あなたが夢を叶えることが私の夢です。でも、私が自力でこの夢を叶えることはできません。最後まで明日香任せにしていたこの夢は、もうこれでおしまいにします。一足先に新星に行った私は、一年後にはもっと成長して、新しい夢と好きなものを見つけているはずだから。だから、安心して地球に残って夢を叶えてきてね」


 そう言い終わると、朱音は一礼をし明日香のいる舞台袖に歩いていく。

 待っていられないとばかりに明日香が舞台袖から駆け出してくると、朱音に抱き着いた。

 唖然としたかのような静寂がしばらくホールを支配していたが、やがてパラパラと、次第に盛大な拍手が巻き起こった。



「あー、やっと落ち着ける……」

 席に座りつつ朱音は言った。

 七月十八日、清沢女学院の終業式に合わせて、清沢生の常連客が多いメルトハニーが閉店セールを行っていた。そのため店の前で長蛇の列が形成された結果、朱音と明日香は二時間に及ぶ待ち時間の疲れもあってやっとありつけた席でくつろいでいた。

「移住先でも引き続き営業してくれるらしいけど、この場所にあるメルトハニーは最後だからなー。そりゃこれだけ混むわ」

「ほとんど清沢生だったけどね。誰かさんのせいで二時間ずっと視線が痛かったし」

「うるさいなー、だったらあのとき辞退させてくれればよかったじゃん!」

 顔を赤らめムキになる朱音。

 実際の原稿は書き直した後でももっと具体的でまともなものだったが、明日香の発表を聞いて感情が高ぶった朱音はあのような大胆なアドリブをかましてしまったのだった。アドリブ原稿変更と舞台上で明日香と抱き合って泣いたことについて後から担任に苦言を呈され、我ながら変なところで思い切りのいいヤツだと朱音は自制する。

「まあ良かったけどね、朱音の本音聞けて」

 ひとしきり舞台上で泣くと、明日香は気まずさの欠片も見せずケロッとしている。そんな明日香に朱音は複雑な気持ちを燻ぶらせる。

 諦めたような表情で明日香は続けた。

「あんなこと言われちゃったら、もう夢叶えてくるしかないよね」

「そうだよ。私と清沢生全員が証人なんだから。逃げるなんて許さない」

「任せとけ」

「約束破ったらまたトリプルベリーパンケーキホイップクリームチョモランマね」

 そう言い合って二人はまたふふっと笑い合った。

 やがて運ばれてきた二人分のパンケーキが、甘い匂いを辺り一面に撒き散らした。



 ———7月18日 地球滅亡まであと287日

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