発表会と、告白(1)
「……まあ、いいんじゃないかしら。あと指摘した表現を修正したら、もう完成稿でいいわよ」
「はい!」
六月十五日。作文課題の時間の最終回かつ、提出締め切り日である。多少の居残りと数度の再提出を経て、ようやく受理が為された。
先生の手前元気よく返事するだけであった朱音だが、内心では大声を上げてガッツポーズしたい気分だった。
「一か月で白紙からここまで書き上げるなんて大したものね。テーマを変えて一から書き直したいと言い出したときはどうしたものかと思ったけど」
もともと大幅に遅れていた上にテーマ変更までしたのだから、その進捗状況は同級生に比べいかにハードモードだったかは想像に難くない。その上大学受験のための予備校通いも並行して行っていたのだから、朱音にとってこの一か月は修羅だったと言える。
「あ、そういえば明日香の課題はどうでした?」
思い出したように朱音は先生に尋ねる。
一緒に暮らしているとはいえ、主に朱音が忙しかったこと、そして先月の出来事があったこともあり、ここ一か月作文課題について話せるような空気感ではなかったのだ。
「もう先週には提出終わらせてたわよ。内容は、あなたも知ってると思うけど、ちょっと物議を醸したけれどね……」
「……そうですか」
やはり滅びゆく地球に在留するというのはそれだけ衝撃的なことなのだろう。
文章内では詳しく明日香の思うところが記されているだろうし、朱音がしたような「明日香が地球に殉死する」というような勘違いはされないだろうが、それでもだ。
「まあ文章自体は素晴らしいものだったわ。ここだけの話、発表に選出される有力候補みたいよ」
「さすが明日香だなあ……」
どこまで行っても叶わないな、と朱音は思うが、そこにはもうコンプレックスはなく、ただただ尊敬の気持ちのみがあるだけだった。
「まあこれで課題は一段落したし、あと数か月で彼女とも離れ離れになっちゃうんだから、精々後悔しないように過ごしなさい」
「はい。ありがとうございます」
返事をし、朱音は軽い足取りで職員室を出ていく。
数日が経った夜。寝る準備を済ませベッドに入ろうとする朱音に、明日香が上のベッドから頭を出し声をかけてきた。
「ねえねえ朱音、メール見た?」
「メールぅ~?」
寝ようとしたところを邪魔され不機嫌になる朱音だが、言われた通りスマホを開いてメールアプリを開く。更新すると、一通だけ未読のメールが入っていた。
「なんだ学校からか。……作文課題優秀作品の選考結果?」
「そ。見てみ見てみ。面白いから」
明日香の作文が優秀作品筆頭候補であることは既に先生からネタバレされていたので、それがその通りになったのだろう、ということは朱音にもわかった。
上から降りてきた明日香が妙にワクワクした顔をして自分のベッドに腰かけてきたので、知らないふりをして驚き明日香を立ててやるかとメールを開く。
[作文課題優秀作品の選考結果
D組の生徒の皆さん
作文課題、お疲れ様でした。
初回のガイダンスで説明した通り、優秀な作品の著者にはホールにて全学生の前で発表してもらいます。以下このクラスでの発表者を列記しますので、名前があった生徒は一両日中に私のところに来てください。
倉敷朱音
三原明日香
以上]
「…………マジか」
「ね? 面白いでしょ?」
「辞退するってメール送る」
「ちょちょちょ決断が速い!」
返信画面を開き高速で打鍵を始める朱音から、明日香はスマホを取り上げようとする。朱音はそれを躱し、後ろに倒れこんで掛け布団を被った。
「何がそんなに嫌なの?」
「嫌なものは絶対に嫌! 恥ずかしい!」
「……なんか耳めっちゃ赤くなってない?」
「なってない!」
かろうじて布団で顔面だけ隠せているが、実際朱音の顔は全体的に紅潮していた。
「なにそんな恥ずかしいこと書いたの? めっちゃ聞きたくなってきたじゃん」
「絶対ダメ! ていうか明日香にだけは絶対読まれたくない!」
「えー……そこまで名指しで拒否られると普通に傷つく……」
「そういうことじゃないけど……それでもダメなものはダメ!」
なおも頑なに布団をかぶり拒絶を繰り返す朱音。
「考えてみ? 発表はちょうど一か月後の七月十八日、終業式の日。たとえ朱音がどんなこっ恥ずかしい発表したとしても、それが終わったらみんな実家に戻って三十一日の移住に備えるんだからしばらくは会わないし大丈夫だよ」
「明日香は同郷じゃん……」
「そんなこと言ったら、七月終わったら私たちしばらく会わないんだよ」
「………」
「私さ、奇跡だと思ってるの。そりゃあただの自称進学校の自己満課題の発表に過ぎないかもしれないけどさ、それでも朱音と二人で肩を並べて何かができるってすごいって思わない?」
「…………」
「私は、朱音と離れ離れになる前に二人で何かをした思い出を残したい。それが新しい星での夢を語る機会だっていうなら尚更。自分の夢を語って、朱音の夢を聞いて、それで新しい星への移住を楽しみに待ちたい。だからさ、一緒に発表してくれないかな」
「……ンマ」
「……え?」
朱音が布団から顔を出す。
「メルトハニーのトリプルベリーパンケーキホイップクリームチョモランマ。これで手を打つ」
一瞬面食らった顔をした明日香は、すぐに表情を緩めた。
「それでこそ私の親友」
「パンケーキで買収した後に言うセリフじゃないよ」
「要求したのは朱音でしょーが」
そう言って二人はいつものように笑った。
「思ってたより人いるなぁ……うちの学校こんな生徒いたっけ」
「中等部もいるから千人ぐらいはいるんじゃない?」
「座ってる側から見ると気づかないけどこんなに人いたんだ。終業式のついでだからって全員残す必要ないのに……」
「四クラスあって各クラス二人代表車がいるから八人か。そこそこ長引きそうだし中等生かわいそー」
「あっ、そろそろ始まる。戻ろ戻ろ」
舞台袖から客席側を覗いていた二人は、代表生徒たちが控えている奥の方へ引っ込む。
それとすれ違うように高等部三年生の学年主任がステージへと上がっていった。
「皆さん、静粛に」
清沢女学院の全校生徒が収容可能な巨大な講堂。その収容能力が遺憾なく発揮されている今、学年主任の声と共にざわめいていた空間が一斉に静まった。
「いよいよ新星への移住まで二週間を切りました。清沢の生徒の皆さんも期待や不安、その他いろいろな思いを抱えていると思います。そんな皆さんが、これから新星での学校生活を送るにあたって将来への目標を持つための参考にしてもらうべく、今年は最上級生に新星での生活の希望を将来の夢に交えて作文に書く、ということをやってもらいました。これから高等部三年四クラスの代表者八名に発表してもらいます。ではA組の明石さんから。」
淡々とした説明を済ませると学年主任はステージから去り、代わりに発表者のトップバッターが壇上に上がる。
静寂に包まれたホールの中心で、明石と呼ばれた生徒は一文目を読み上げた。
「次か……やっば、緊張してきた」
「明日香、昔からこういう発表めっちゃしてたし今更慣れっこでしょ」
「それでもやっぱり緊張するものはするよー。朱音と一緒なのは初めてだし」
「もう……ほら前の人終わったよ。準備しないと」
「ほいほい。じゃ、行ってくるね」
「ん。行ってらっしゃい」
「自分の発表より後の朱音の発表聞く方が楽しみかも」
「早く行きなって!」
朱音の声には答えず、明日香はニィと笑顔を浮かべると振り返ってステージに登って行った。
コツコツという足音がホールに響き、明日香はステージ中央の演台の前に辿り着く。千人もの観客たちに向き直ると、彼女は深く一礼をした。
スゥという微かな呼吸音の直後に、明日香の唇が動き出す。
「清沢女学院の皆を含むこの街の住人が星を去る日が、遂に今年の七月三十一日に迫っています。しかし、私はその日に移住をせず、地球に残る選択をしたいと思っています。」
この二文が読まれるや否や、会場内にはざわめきが起こった。
無理もない、と朱音は思う。自分だってこの文を見た瞬間頭が真っ白になったのだ。
明日香はこのことを他人に知られることを良く思っていなかったので、知っているのは教員と朱音を含む一部の同学年の生徒しかいないはずだ。それだけの少人数しか知らないのだから、千人がいるホールにしてはむしろ静かだと言える程度のどよめきだったであろう。
明日香は意に介さず発表を続ける。
「しかし、それは決して地球と運命を共にするという意味ではありません。私には夢があり、そのために女子高生のまま生涯を閉じるわけにいかないのです」
「私は昔から天文学者になるのが夢でした。幼稚園の卒業アルバムでも、小学校の将来の夢の作文でも天文学者になりたいと書きました。清沢女学院に入った後で何回か行われた進路調査でもすべて東奥大学の地球惑星科学科に進みたいと答えました。ここまで天文学の道に、ある意味執着と言えるほどのこだわりを持っているのは、私の父の影響が強いのだと思っています」
「私の父は惑星物理学の研究者です。まだ物心つく前に母を亡くした私は、研究で家を空けがちな父の代わりに叔父と叔母の家に預けられていました。そんな中、たまに父が帰ってきては私に地球や宇宙の話をしてくれるのが楽しみでした。地球の現在に至るまでの成り立ちの話や太陽系惑星の調査の話、その他広域な宇宙のふしぎの話や専門外なはずの星座の民俗学の話などなど。当時の私はそれらを興味津々に聞き、知識と好奇心を蓄えていきました。幼い私にとって、魅力的な地球や宇宙の星々も、それらの話を聞かせてくれる父も大好きなものでした」
「しかし、そこから悪い意味での転機が訪れます。二〇〇五年十月。地球の滅亡が確定的になったことが初めて全世界に発表された、現在世界で最も有名と言っても過言ではない日です。中等部にはまだ生まれる前だった人もいると思いますが、当時の世間のパニックの様相と言ったら、当時幼稚園生だった私にすら文字通り天変地異の前触れだということがなんとなく理解できたほどです。地球が滅ぶ。自分たちの住んでいる星が滅ぶ。私の一番愛しているものが滅ぶ。そんな残酷な宣告を、緊急記者会見が開かれている画面の向こうで淡々と発表していたのは、私の父でした」
「私はしばらく理解できませんでした。あんなに地球のことを楽しそうに話してくれていた父が、私と同じく地球を愛しているんだと思っていた父が、あろうことか地球が滅ぶという発表を、矢面に立ってしているのですから。父は全く悪くないのに当時の私はそのことが理解できず、数週間後に騒動が落ち着きやっとのことで久しぶりに帰宅した父に、私は思いつく限りの罵詈雑言を投げかけました。幼稚園生の語彙力など高が知れていましたが、それでも父が悲しい顔をしたのを私は今でも覚えています。ひとしきり私の罵倒を聞いた後、父はこう言いました。
『ごめんな。パパ、これから大好きな地球を救うためにいっぱい研究しなくちゃならないんだ。しばらく明日香とも会えなくなる。だから、それまで地球が好きなまま、待っていてくれるかい?』
その言葉を最後に、もともと家を空けがちだった父はほぼ家に帰ることはなくなってしまいました」
「最初こそ父のその言葉を無邪気に信じていた私でしたが、成長と同時に現実を知っていきます。地球が滅亡しないで済む方法が見つかった、なんてニュースは一向に流れてこないからです。父はなおも新星移住計画の研究チームの一員としてメディアで見かけられる機会がありましたが、新しい地球環境に近い星への移住計画について話すばかりで、私と約束したような地球を救う方法については全く話すことはありませんでした。勘違いで父を罵倒してしまった幼稚園のときから成長し、ある程度現実が見れるようになった私は『結局地球を救う方法なんて見つからなかったんだ。いや、最初からなかったんだな』と思うことができました。しかし、信じてたのに裏切られたという気持ちは拭うことはできず、父に対して二度目の失望をしました」
「それでも、地球や宇宙まで嫌いになることはできませんでした。寧ろ父への反発が燃料となって、より強く天文学を学びたい気持ちが湧き出てきました。あの父すら叶わなかった惑星滅亡を回避する方法の発見を成し遂げ、父を超える天文学者に私がなってやるという決意が私の中で沸き起こったのです。そのために小学生の当時から行きたい大学を見据え、この清沢女学院を受験することを決めました。叔父と叔母の負担を減らすために独立したかったので全寮制のこの学校を選んだという側面もあります。ともあれ、私はここ清沢女学院に合格することができ、天文学者への道を一歩進みました」
ここまでは朱音も知っている。
寧ろ朱音が一番知っている。
幼稚園の頃から明日香を一番近くで見ていたのは朱音だった。明日香が暮らす叔父叔母の家とは家族ぐるみで付き合いがあった。明日香と同じ清沢女学院に通うべく共に上京し、進路さえ同じ大学に進もうとしていたのだ。
でも、知っているのはここまでだ。
ここからは、明日香が朱音にすら知らせていなかった話になる。
正直、朱音は耳を塞いでいたかった。
自分だけが知っていると思っていた明日香の半生が全校生徒の知るところとなり、更にここからは朱音すら知らない明日香だけの世界が展開される。
自分の存在が、明日香の中から希薄になるのが怖かった。
明日香の世界から、自分がいなくなるのが怖かったのだ。
それでも、自分には明日香の告白を聞き遂げる義務があると朱音は考えた。
そうでなければ、この後の自分の告白がひどく陳腐なものになってしまうと思ったから。
「こうしてこの学校に通うことになり五年が経ったある日、年一回の誕生日ぶりに父からメッセージが届いたのがこの間の五月の上旬でした。曰く、『新星への移住前に、会って話したいことがある』と。父は新星移住計画の責任者として激務を終えた後この地球を最後に出発する人類の一人になるため、父に直接会うとなると必然的に私の出発もそれに合わせる形となります。当然危険を伴うため、嫌なのであれば自分に会わずに皆と一緒に新星へ出発しても構わないとも言われました。叔父と叔母にも当然反対されています。次に父に会うときは私が目標と夢を成就させ父を見返すときだという覚悟があったので、父を超えるどころか天文学者にすらなっておらず代わりに地球を救うことももう間に合わない今、会うべきかどうか迷いもありました。しかし、それでも私はこの誘いに乗ることにしました。それは、私の夢を今一度確認したかったからです」
「この課題でも、当初は当然のごとく天文学者になりたい旨を書く予定でした。しかし執筆途中に父からの連絡があったことで、私はそのモチベーションがほとんど父への復讐心に似た感情に占められていることに気づいてしまったのです。元々は、確かに地球や宇宙や星々への愛から生まれた憧れだったはずなのに。その愛が失われているかもしれないことが、私はとても怖かったのです。だから私は父に会うまでの半年弱の期間で、自分の住んでるこの星に向き合い、この星に住んでいる人々に触れあい、今一度地球への愛を見つめ直そうと思いました。その上で、私が最も憧れ、そして最も憎んだ天文学者に会って、それでもなお天文の道に進み続けたいと思えたのなら、地球や宇宙や星々への愛が失われていないと確信できたのなら、私は新しい星に移住した後でも同じ夢を追い続けます」
その自罰的な告白に、朱音はひどく心が痛んだ。
愛が失われているなんてこと、あるはずがないのだ。
幼稚園の頃から、あんなに目を輝かせた明日香の話や夢を聞き続けていたのは他ならぬ朱音だった。たとえ世界中の人間から否定されたとしても、朱音だけは明日香の天文への愛を肯定することができる自信があった。自分の心にずっとわだかまり続けていた嫉妬心が、明日香の愛の存在を証明していた。
私が愛を証明してあげるから、一緒に新星へ行こうと言いたかった。
でも、この自罰の呪いは朱音に解くことはできない。
呪いをかけた張本人にしか解くことはできない。
だから、笑って送り出すことしかできないのだ。
「これは、私の誠意の証明です。小さい頃から、ずっとそばで私の夢を応援してくれていたたった一人の親友への。彼女にももちろん地球に残ることを最初は反対されました。それでも、こんな私の天文を愛する姿に憧れてくれていた彼女へ私ができることは、返せることは、これしかないのです。結局、どうしても地球の最期を見届け、夢について考える時間が欲しいと我儘を言い、許してもらいました。すべてのしがらみを捨てることができたら、私は新星で彼女に再会しこう伝えたいのです。『あなたのおかげで、私は地球を最期まで愛することができたよ』と」
明日香の告白が終わると、朱音の頬を自然と涙が伝った。
生まれて初めて覚える感情、それが失恋だということに、誰も気づかなかった。
———7月18日 地球滅亡まであと287日
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