すれ違いと、夜の帳

 ガチャリと音がしてドアが開く。

「たっだいま~。いや~福山先生なかなか帰してくれなくてめんどかったよ~……って朱音、なんで私のベッドの上にいんの?」

 最初はきょとんとしていた明日香だが、朱音が手に持っている紙を見て察したのか、みるみるばつの悪い顔つきになっていった。

「ねえ、明日香、これってどういうこと?」

「朱音、それ読んだの……?」

「質問に答えてよ‼」

 普段の引っ込み思案な朱音からは想像もできないような大きな声が室内に響き渡る。

 朱音はベッドから降りると、なおも気まずそうな顔をする明日香に詰め寄った。

「別に隠すつもりはなかったよ。いつか言おう言おうと思ってたんだけど……こうなることはわかってたから、なかなか言い出せなかった。……ごめん」

「わかってたって何よ……」

 朱音の目から涙が零れ落ち、手元の紙がわずかに濡れた。

「そんなに私を鬱陶しがるなら最初から優しくしないで‼」

 朱音は持っていた作文の下書きを明日香の胸元に叩きつけると、その横を通り過ぎて部屋を出ていった。

「朱音! 待って!」

 明日香は追いかけようとするが、朱音は振り返ることも速度を落とすこともせず、廊下の先に消えていった。

 明日香は部屋に戻り、後ろ手で戸を閉める。一人になってやけに広く感じられる部屋に、パタンと音が響いた。

「……なんでこうなっちゃうのかな」

 ずるずるとドアに背を付けたまましゃがみ込む明日香の目からも、涙が溢れていた。


 夜の繁華街。

 三大副都心の一角を成すだけあり、そこら中に大勢の人が歩き、海のような流れを作っている。

 そのほとんどが仕事帰りのサラリーマンや移民の外国人、柄の悪い若者である中で、まるで似つかわしくない育ちの良さそうな制服の少女が一人で街を彷徨っていた。

「また黙って出てきちゃった」

 前回のタイムカプセル騒動から一週間も経たずして、朱音は再び無断で夜の街に赴いていた。

 時刻は午後八時。外出届なしであれば、もうとっくに寮に戻ってなければならない時間だ。

「……私、真面目だけが取り柄だったのにな」

 いつもクソ真面目で、そのせいで損をすることもあって、でも何かが足りないから全然報われなくて。

 そんなときいつも支えになってくれていたのが明日香の存在だった。

 明日香のお陰で、朱音はここまで生きてこれたと思うほどだった。

 でも朱音からは明日香に何もしてあげられなかった。

 少なくとも朱音自身はそう思っていた。

「……そりゃ愛想尽かされるわけだよね」

 明日香がこの地球という星に並々ならぬ執着を抱いているのは、朱音もよく知っていた。それこそ幼稚園のときから朱音の地球愛を一番よく聞いていたのは、他ならぬ朱音だったのだ。

 地球が滅ぶことが発表された後も、東奥大に行って自分の好きな星や宇宙の研究をするんだと言っていた。

 だから朱音も一緒に東奥大に行くことを決めた。

 なのに。

 まさか地球と殉死する道を選ぶなんて。

「……私のせいだよね。私がもっとちゃんとしてたら、ずっと一緒にいたいと思えるような人間だったら、明日香は一緒に新星に来てくれてたんだよね」

 大切な人が自分に愛想を尽かした結果、自ら死ぬ道を選ぼうとしている。

 その事実が朱音を打ちのめし、乾いたばかりの目から再び大粒の涙が溢れ出した。

「うっ、うぅぅぅ……!」

 大勢の人の目も顧みず、朱音はその場にしゃがみ込む。

 怪訝な顔をして通り過ぎていく人がほとんどである中、朱音に近づく数人の影があった。

「どうしたの? 大丈夫?」

 最初は自分に掛けられた言葉だと気づかず泣き続けていた朱音だったが、

「君だよ。そこのお嬢ちゃん」

 という声でやっと自分のことだと認識した。

「え……?」

 朱音は泣くのを止め、顔を上げて声の主の方を見やる。

 声をかけたのは、年齢的には朱音の3つほど上と思われる青年三人組だった。

 小綺麗な服装をしているが、派手な色の髪とジャラついたアクセサリーが威圧感を放つホストのような出で立ちの男。その中の一人がなおも朱音に話しかける。

「どうしたの? 女の子が制服でこんなとこいるなんて珍しいね」

「失恋?」

「俺らがもっと楽しいこと教えてあげるよ」

 その軽薄な科白と表情は、明らかに彼らが善意から朱音に声をかけたのではないことを如実に物語っていた。

「い……え、大丈夫です」

 恐怖に慄きながらも、何とかそれだけ口からひねり出した。

 しかしそれで退く男たちでもなく、構わず朱音に近づいてくる。

「まぁそんなこと言わずにさ」

「そうそう。辛いこともすぐ忘れられるよ~」

 最初に声をかけたリーダー格の男が朱音の肩にポンと手を置く。

「ひっ……!」

 身体が硬直する朱音は気付けば前と左右を三人に囲まれていた。

「声上げても無駄だぞ。誰もお前なんか助けようとしねえからな」

 リーダー格の男は朱音の耳元に口を寄せて囁く。

 男三人が制服姿の女子高生に迫っているという異質な状況でも誰一人として声をかけようとしないのが、何よりもその言葉が真実であることを証明していた。

(やっぱり私、一人じゃ何もかもダメなんだ……)

 朱音が全てに絶望し諦観の念を抱いたその時。


「朱音‼」


 騒がしい人通りの中でもよく通る声が響いた。

 明日香だった。

「明日香‼」

 男たちがあっけにとられている隙に、明日香は朱音の方へ走ってくる。

 そして男たちの隙間をかいくぐると、朱音の手を掴んで走り出した。

「走って‼」

「あっ、おい待て!」

 追ってくる男たちを捲こうと、二人は全力で走った。

 サラリーマンにぶつかった。

 客引きを無視した。

 巡回中の警察官さえ振り切った。

 それでも二人は、頭上に光る数多のネオンサインの下を走り抜けた。

 汚くて治安の悪いこの街でも、それだけは綺麗な気さえした。

「……ふふ」

「……ふふっ」

「あはははは‼」

「あはははははははははは‼」

 後になってもはやどちらが先に笑い出したかは忘れられてしまったが、二人はひたすら笑い声を上げ、街を抜けるまで走り続けた。


 ひとしきり走った後、二人は街はずれの公園に来ていた。

 先ほどの人混みが嘘のように人気がなく、静かな公園に二人が肩で息をする音だけが響いた。

「はぁ……はぁ……朱音大丈夫だった? 変なことされてない?」

「なんとか……それより明日香、どうやってここ見つけたの?」

 明日香はスマートフォンの画面を朱音に向け、見せつけるように顔の横で左右に振る。

「フツーにスマホの位置検索。前登録したの覚えてない?」

「あー、なんかやってたな……まさか役に立つ時が来るとは」

「まあなかなかに精度ガバいし人多いしそこそこ探したけどね」

「……また、明日香に助けられちゃったな。ごめんね、私こんなことばっかで」

「待った」

 そもそもこうなったきっかけを思い出し落ち込む朱音を、明日香は冷静に手で制す。

「朱音制服着てるし、場所的にも時間的にも色々やばい。私に言いたいことがあるならその前に場所変えよ。私も朱音に言いたいこといっぱいある」

 そう言いながら明日香は持っていた紙袋を朱音に差し出した。

 威圧感すら感じる明日香の毅然とした発言に戸惑いながらも、朱音はそれを受け取った。

 中に入っていたのは、朱音の私服と「外泊届」と書かれた紙だった。


「は~落ち着く~」

「年確されなくてよかったね~」

 時刻は夜十時。

 制服から着替え食べ物を調達した二人は、宿泊場所としてカラオケを選んでいた。

 金曜の夜ということもあり学生深夜フリータイムもあったが、学生証の提示を求められるため、高額な普通の深夜プランを選ばずを得なかった。

 しかし高校生が外泊できる場所となると他に選択肢は少なく、飲み放題や食べ物の持ち込みOKがあることを鑑みれば、一番マシな選択肢であったと言えるだろう。

「にしてもそんなあっさり外泊届出るんだね」

「ルームメイトとか地元が同じとか色々条件あるみたいだけど、他人の分まで発行できるの結構ガバガバだよね。飲み物取ってくるけどなんかいる?」

「あー……じゃあ初恋ソーダで」

「りょーかい」

 明日香がドリンクバーに向かい、部屋には朱音一人が残された。

 現時点ではかろうじていつも通りの会話ができているが、これから話すことを考えるとやはり気が重い。明日香が去って行った今却ってほっとしているくらいだった。

「……何から言えばいいんだろ。自分の気持ちもよくわかんないのに」

 飲み物を取ってくる程度の時間は気持ちの整理をするには短すぎた。

「はい、初恋ソーダ」

「ありがと」

 明日香が朱音の隣に座る。

 しばらくの間、二人は顔も合わせずひたすらストローをちゅーちゅー吸っていた。

「「あのさ」」

 二人の声が同時に沈黙を打ち破る。

 そしてお互いの視線がかち合った。

(あ……)

 目の前の明日香の顔。

 何かを躊躇するような、そんな表情を浮かべる彼女の顔は、成長してこそいるが朱音が十五年間見てきたものだ。

 その顔も、あと一年足らずで見ることができなくなる。

 地球と一緒に、この世から跡形もなく消え去ってしまう。

 現物を目にし喪失の実感が湧くと、先ほどまでとは比べ物にならないほどの感情の波が液体となって目から溢れ出した。

 そこからはもう、止まらなかった。

「明日香ぁ……いなくならないでぇ……私を置いていかないでぇ……」

 飾り気のない本心の吐露。

 それを聞いた明日香も、釣られて泣きだす。

「……ごめんね、朱音」

 そう言って、明日香は朱音を抱き寄せた。

「いつもいつも助けられてばっかりでごめんね、それなのに何も返せなくてごめんね、迷惑でごめんね、鬱陶しくてごめんね、こんな私でごめんね」

 朱音の懺悔の連続に、明日香は一つ一つ「そんなことないよ」「そんなことない」と返す。

「こんな私が、明日香を好きでごめんね」

 振り絞られた最後の懺悔に対しても、明日香の返答はシンプルなままだった。

「そんなことないよ。私も朱音のこと好きだよ」

 そっけないとも言い換えられるその答えに朱音は問いを返す。

「……地球と私、どっちが好き?」

「意地悪な質問するね、朱音は」

 ふふっと耳元でかすかに笑う明日香。

 その曖昧な答えに、朱音は悟ってしまった。

 何も答えない朱音に、明日香はなおも続ける。

「どっちも好きだよ。それ以上もそれ以下もない」

「だったら!」

「でも!」

 二人の声が重なる。

 沈黙が心を落ち着けてから、明日香は再び声を出した。

「私はこの星の最期を見届けたい。そして、朱音をそんな危険な我儘に付き合わせることはできない」

「それでも……私は明日香がこの星と一緒に消えていくなんて、耐えられない……!」

「消えないよ」

 泣きながら訴える朱音に、明日香は強く返す。

「ギリギリまでこっちに残って、最後はちゃんと朱音を追って新星に行くから」

「えっ?」

 朱音は驚きのあまり顔を上げる。

「やっぱりそこ勘違いしてたんだね。ごめんね、ちゃんと説明するべきだったのにね」

「ほんとに⁉」

 先ほどまでとは打って変わって明るくなる朱音の声。続く二言目は流暢に口から出た。

「だったら、私も明日香と一緒に残る」

「ダメだよ」

「なんで!」

 再び暗くなった声色は、自虐的な言葉となって表れる。

「私が愚図だから? 私がいたら邪魔だから?」

「違うってば!」

 荒げた声の後に出たのは、今までの明日香からは想像できないほどの弱気な声だった。

「……怖いんだよ、私だって」

 ぽつりぽつりと語りだす明日香。

「私だって、ずっと朱音と一緒にいたい。でも、新しい星に移って今まで通りでいられる保証なんてどこにもないから。私が朱音のためにしてあげられることなんて何もなくなっちゃうかもしれないから。だから、ちょっとだけ、朱音と距離を置いて覚悟する時間が欲しいの」

「……私は明日香に何もしてもらわなくてもいいのに……」

 小さく呟かれたその言葉を聞いてか聞かずか、明日香は取り繕ったような声で諭すように話しかける。

「だからさ、朱音は先に新星に行っててよ! 新しい星に朱音がいなかったら、ほんとに移住モチベなくなって地球と一緒に死んじゃってもいいやって精神状態になっちゃうかもしれないし」

「! それはイヤ!」

「じゃあ先に向こうで待ってて。私もすぐ追いかけるから」

「……ほんとに? 危なくない? 絶対帰ってこれる?」

 未だ不安がにじむ朱音の表情。

 正面に向き直りその顔を見た明日香は断言する。

「大丈夫。ちょっと遅れるだけ。地球の最期を見届けて、向こうで一年遅れで高校卒業して、そしたら朱音と一緒に東奥大学に行く」

 その目にはまだ涙が残っていたが、明日香の自信に溢れた表情は朱音がいつも勇気をもらっていたものに他ならなかった。

「……じゃあ、その頃私は先輩になってるね」

「あー、だったら教養科目の過去問とかもらおっかなー」

「明日香なら過去問なんかなくても大丈夫でしょ」

「まあ私天才だからね」

「………ふふ」

「やっと笑ってくれた」

 緊張していた部屋の雰囲気がやっと収まる。

 明日香がふわぁと大きな欠伸をした。

「今日は疲れちゃった。もう寝ない? ちょっと狭いけど」

「私はもうちょっと起きてるかな」

「そ。じゃあここ先に使っちゃうね~」

 明日香はそう言うと、カラオケルームの細いソファに寝転がる。ほどなくして寝言が聞こえてきた。

 その寝言を聞きながら、朱音は思索に耽っていた。

 ひとつの結論が彼女の中でまとまると、堰を切ったように眠気が襲ってくる。

 ソファには爆睡する明日香が横たわっており、同じように朱音が横になるスペースはもうなかった。

「……もう。私の居場所ないじゃん」

 そう言うと朱音は靴を脱ぎ自分の座っているスペースで体育座りに座り直すと、膝に顔を埋めて寝る態勢に入った。

 時刻は既に二時を回っていたが、近くの部屋からは大声で歌う声が聞こえてきていた。


 次の日。寮に帰った二人は、土曜だというのに職員室に呼び出されていた。

「あのー……」

「な、なんでしょうか……?」

「わかってないとは言わせないわよ」

 ここ数か月で急に問題児と化した朱音にとってはもはやお馴染みとなっていた職員室の一角の応接スペース。そこに朱音と明日香は並んで座らされていた。

 担任教師から発せられるこの雰囲気は、つい先週無許可で寮を抜け出して大目玉を食らったときと同一のものだ。そこから考えられる結論は一つしかなかった。

「いや、でも昨日は二人とも外泊届出したじゃないですか。何も問題ないですよね?」

 冷汗をかきながらも明日香は反論する。

「今朝ね、何件か通報があったのよ。清沢女学院の制服着た女子高生が夜遅くに繁華街を歩いてるって。他にも不良に絡まれてたとか、人ごみの多い中で走り回ってたみたいなのもあったわ」

「………………」

「さっき保護者の方にも電話したけど、帰ってなかったそうね。まあ朝の時点で安全は確認できてたから何も言わないでいてあげたけど」

「「…………申し訳ありませんでした」」

 はぁ、と大きな声でため息をつく教師。

「あなたたち、いくら何でも羽目を外しすぎ。二か月後に移住があるからって浮足立つのはわかるけれど、さすがに自制しなさい」

「……はい」

「別に好きであなたたちを規則で縛っているわけではないの。ただでさえ女子高生が夜遅くに外を出歩くだけで危険なのに、最近は同じく移住直前で浮足立ったり自暴自棄になったりした人が増えて治安が悪くなってるって聞くわ。私たちは親御さんからあなたたちを預かっている以上、あなたたちの安全を守る義務があります。だから私たちの目の届かないところで危ないことはしないで」

「「反省してます……」」

 もはや言い返す気力もなくなり、素直に頭を下げる二人。

「まあこんな世の中になっても外泊の制度とか見直さなかった私たちにも責任はあるけどね……とにかく無事でよかった。あと二か月なんだから、もう呼び出されないようにしなさい。帰っていいわよ」

「あ、はい、お邪魔しました」

 二人は立ち上がって職員室を後にする。土曜の職員室は、まばらにしか人がいなかった。

「あーめっちゃ眠、帰ったら即寝しよ。今日が休みで助かったー」

 明日香の切り替えの早さに朱音はクスッと笑う。

「ごめんね、私のせいで」

「いーよいーよ。前回は私のせいで呼び出されちゃったし。今回は規則違反ではないから反省文なくて助かったけど」

「じゃあまたメルトハニーいこ! 今度は私が奢るからさ」

「おっ、じゃあゴチになろっかな~。お互い色々忙しくなりそうだし、作文課題が終わったらその打ち上げとして行こっか。行き納めになっちゃうのは寂しいけど……」

「作文課題……」

「あ、ごめん嫌なこと思い出させちゃったね……」

「ううん、そうじゃないけど……ごめん、先帰ってて!」

 そう言い残し、朱音はさっき出たばかりの職員室の扉を再び叩く。


「先生!」

「ん? 何、倉敷さん。余罪を白状しに来たの?」

「違いますよ‼ ちょっと、作文課題のことで相談があって……」

「あぁ、一応テーマが決まったとは言ってもまだ全然進捗が芳しくないものね。それでどうなの? ちゃんと進められてる?」

「いえ、そのことなんですが……テーマを変えようかなと思っていて」

 すぐに怪訝そうな顔をする担任。

「……本気で言ってる?」

「はい。本当に私がしたいことが、見つかったので」

 たとえそれが高校生の課題であっても。

 たとえそれがスケールの小さい決意だったとしても。

 倉敷朱音は変わろうとしていた。



 ———5月12日 地球滅亡まであと354日


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