パンケーキと、危険な好奇心
「や、やっと終わった……」
「おつかれ~」
朱音が机の上に突っ伏す。その前には大量に文章が打ち込まれた画面がディスプレイに表示されている。
「もうほんとにこんなことしてる場合じゃないのに~‼ こうなったのも明日香のせいだからね‼」
「だからごめんて。今度なんか奢るからさ」
「絶対だよ! メルトハニーのパンケーキ!」
「はいはい、絶対行こうね。移住したら行けなくなっちゃうんだからさ」
結局あれから二人は始発で東京に戻り寮に帰ったが、待ち構えていた寮監に捕まって大目玉を食らった。その罰として二人は反省文を書かせられたというわけだった。
つまり、朱音の課題は何も進捗が生まれていない。
「あああああどうしよどうしよ……結局何もテーマ思いついてないし……」
「いいじゃんプリキュアで」
「ここでふざけたらまた怒られるに決まってんじゃん……」
「まあもう諦めて適当に思ってもないこと書けばいいんじゃない? 今大事なのは夢を探すことじゃなくて課題を進めることだよ」
「嫌だったけどそれしかないか……」
「あたしが考えてあげるよ。例えばさー……」
「……プリキュアの声優?」
「はい。私も小さい頃見ていて夢をもらったので、今度は私が世の小さい女の子のために夢を与える仕事がしたいです」
「そういうのって養成所に行くものではないの? 東奥大に行くのはやめるの?」
「いえ、大学には引き続き行く予定で勉強します。現役の大学生の声優さんもいるので、両立してみせます」
「そう……茨の道だと思うけど頑張ってね。じゃあテーマはこれで決定でいいわね?」
「はい」
そう言って朱音は職員室を出る。
「おつかれ、どうだった?」
ドアを閉めると、廊下で待っていた明日香が尋ねた。
朱音はそれには答えず、ただサムズアップして見せる。
「おめでとう。よし、テーマ決定祝い行くぞ」
「ゴチになります!」
都内某所。東京都の副都心の一つを含む区の中にありながら高層ビル街からは離れた落ち着いた街並みの中に、「メルトハニー」はある。
授業が終わった後のおやつ時というのもあり、店の前には長蛇の列ができていた。
「やっぱ並んでるね」
「昔はこんなに混んでなかったのにね。やっぱテレビで紹介されたのが大きかったなー」
「SNS映え~ってやつ?」
四十分ほど並び、やっとのことで二人は店内に着席することができた。
間接照明と窓からの光が適度に明るく木目調の調度品を照らし、店内の落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「何にする?」
「トリプルベリーパンケーキホイップクリームチョモランマ」
「うっ、奢りだからって強気だね……」
「これぐらい当然。真面目な私を非行に走らせた罰だよ」
「私は別にいいけどさ、朱音太るよ?」
「これから頑張って文捻りだすのに頭使って糖分消費するから実質0カロリー!」
「カロリーと糖分は別だと思うけど……私は控えめにプレーンでいいや。すみませーん!」
注文を済ませ、しばらくするとパンケーキの乗った皿が二つとメープルシロップの入った銀色のピッチャーが運ばれてきた。
パンケーキとクリームとシロップの甘い香りが途端に充満し、この空間を支配する。目を瞑っていればまるでお菓子の国に連れて来られたのかと勘違いするほどだ。
「いっただっきまーす!」
「いただきまーす」
朱音はピッチャーからメープルシロップをパンケーキに垂らす。チョモランマという名前の通り、山のように盛られたホイップクリームの上に溶岩のようなシロップが流れ落ちた。完全に分かたれていた二種類の甘い液体が混ざり合ってパンケーキの熱で溶け、より一層甘い匂いが引き立てられた。
「ん~、いい匂い!」
朱音は心底嬉しそうな顔をすると、ナイフとフォークでいそいそとクリームの山を崩し、パンケーキを切り分ける。
明日香は、そんな朱音を自分のパンケーキには目もくれず眺めていた。
「? 明日香食べないの?」
「んー、朱音があんまり美味しそうに食べるから見てて面白かった」
「ちょ、何それ恥ずいんだけど! 冷めるから早く食べなよ」
「はいはい」
そう言って明日香もフォークとナイフを手に取りケーキを切り分ける。
しばらくは食器とナイフがかち合う音ともぐもぐという二人の咀嚼音だけが響いた。
「そういや明日香は課題どうなの? 私の内容まで考えてくれるなんて相当余裕ありそうだけど」
「んー、今ちょっと詰まり中かな」
「やっぱ一万字って内容決まっててもキツいのね……」
「うーん、それもあるけどちょっと根本的に書く内容変えようかなーって」
「え、天文学から変えちゃうの?」
「いや、そこは変わんないんだけどなんというか方針が変わる的な……?」
「えー何それ気になる」
「まあそのうち話すよ」
明日香が話をぼかそうとしたのを察した朱音は、それ以上は押し黙るしかなかった。
「…………」
しばらく気まずい時間が流れ、沈黙の中で再び食器の音と咀嚼音だけが響く。
「あーーー、にしてもテーマが決まっただけだしこれから一万字書くと思うとほんとに憂鬱、明日香代わりに書いてよ~」
「だから私も書き直しで忙しいんだってば。テーマ決まったんだし、新星での芸能事情とか調べてテキトーに自分の意見書けばいいんじゃないの?」
「うえぇ~、それだけで一万字行く気がしない……」
「代筆はできないけど詰まったら助けてあげるから。ほんとに私に頼りっぱじゃこれからいろいろ困るよ?」
「そんなママみたいなこと言わないでよ~」
「じゃあこうしよっか。私が何か助けてあげる度にパンケーキ一枚。これでちょっとは自分でやろうって気になるでしょ?」
「ママがビジネスになった……うん、頑張る……」
そんな会話をしているうちにあれだけ高くそびえたっていたクリームはパンケーキと共に朱音の胃の中へ消えていた。それより小さい明日香のパンケーキは、当然ながらとっくの昔に食べられてしまっている。
「じゃあそろそろ行こっか」
「ゴチで~す」
明日香が財布を取り出して立ち上がる。
こうして二人の甘い放課後は終わりを告げた。
「あーやっと終わったー!」
今週最後の授業が終わり、朱音が大きな声を出して伸びをする。
毎週金曜の最後の授業は特別に時間が取られ、教員と相談をしつつ作文課題の時間を埋める時間となっていた。
深夜の大冒険に反省文、パンケーキ。いつにもまして色々なことがあった今週の疲れが溜まりに溜まっており、憂鬱な課題進捗の時間が終わったことも相まって朱音の口から安堵の声が漏れたのは仕方のないことだった。
「明日香ー、帰ろー」
「うん、ちょっと待ってー」
明日香が荷物をまとめ立ち上がる。
二人のほかに誰もいない教室の電気を消し廊下に出ようとすると、何者かが明日香を呼び止めた。
「三原さん。少しいいかしら」
「福山先生」
それは朱音や明日香たちの学年の進路主任の教員だった。
放課後にこうやって生徒を呼び出して進路に関しての相談をすること自体はしばしばあったが、その表情は何やら並々ならぬ深刻なものだった。
「ごめん朱音、先帰ってて」
「う、うん」
明日香は申し訳なさそうに笑うと、朱音に背を向け福山先生についていき、やがて姿を消してしまう。
何か不穏な空気を感じた朱音は、そこに佇むことしかできなかった。
独りで部屋に帰ってきた朱音は、パタンと後ろ手でドアを閉めベッドに飛び込んだ。
明日香は確実に何か隠し事をしている。
そのことは薄々朱音にもわかっていたが、自分には相談してくれない明日香の態度に朱音はやきもきしていた。
このままでは自分の将来に悩んでいた時以上に眠れない日々に突入してしまうかもしれない。
「明日香のヤツ、なんで私には相談してくれないのよーーー‼」
ベッドの上で駄々をこねるようにのたうち回る朱音。制服に皴がつくのも気にせずこうすることでしか、朱音はそのもやもやした気持ちを発散させることができなかった。
「………」
ふと思い立った朱音は、自分のベッドを降り、横のはしごに足をかけた。
そして上のベッド———もちろん同居人が使っているベッドに仰向けに横たわる。
「……明日香はいつもこんな景色見てるのかぁ」
思えば上のベッドに上るのは朝に弱い明日香を叩き起こすときぐらいで、こうやって寝っ転がったことなど五年一緒に暮らしててなかったかもしれない。
明日香がいつも見ている景色を見れば明日香の考えていることがわかるかもしれないという考えのもとほぼ無意識でここまで来たが、当然ながら何もわからなかった。
「あーーーもう、明日香のバカ‼」
朱音は寝返りを打ち、枕に顔を埋める。
いつも引っ込み思案で要領の悪い自分を引っ張ってくれた同居人の匂い。何年も隣にいてくれていた親友の匂い。離れることなんて考えたくもない大切な人の匂い。
不思議と不安が解消され、心のモヤモヤが取り除かれていくようだった。
「明日香……」
朱音は枕を抱きしめようとその裏側に手を回す。
すると、カサリという乾いた感触が朱音の手に触れた。
「紙……?」
特に何も考えることなく、朱音はそれを取り出して広げる。
瞬間、見たことを後悔した。
『清沢女学院の皆を含むこの街の住人が星を去る日が、遂に今年の七月三十一日に迫っています。しかし、私はその日に移住をせず、地球に残る選択をしたいと思っています。』
作文課題の下書きと思われるそのコピー用紙には、確かにそう書かれていた。
———5月11日 地球滅亡まであと355日
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