提出期限と、タイムカプセル

「なんでここに呼ばれたか分かってる?」

「……はい」

 職員室の一角の応接スペース。そこのソファーに朱音は座らされていた。

 向かいには朱音のクラスの担任が困ったような怒ったような憐れむような微妙な表情で座っている。

「もう始業式から一か月経ってるわけだけれども」

「…………はい」

「作文課題、一文字も書いてないどころかテーマすら決まってないの、あなただけよ」

「………………はい」

 始業式から一か月経つということは、あの課題が出されてから一か月経ったということである。

 それなのに、朱音は未だに何も書く内容が思いつかずにいた。

 最初の頃は何も思いつかない不安で眠れない日々が続いていたが、最近はそれすらも克服して普通に眠れるようになったくらいにはすっかり課題のことを忘れていた。

「ゴールデンウィークの間、何してたの?」

「予備校行ってましたね……」

「まあ東奥大志望だものね。倉敷さんは成績いいから皆期待してるわよ」

「いやぁ~、まあ見ててくださいよ」

「でもね」

 アハハ、と乾いた笑いを上げる朱音の顔が固まる。

「勉強だけじゃなくてこういう将来について考え直す機会というのも大事なの。いくらいい大学に入ったからってその後のビジョンが見定まっていなかったらダメでしょう。確かにこの課題をやらなくても卒業できて大学には行けるかもしれないけど……」

(あ~~~もううるさいな~! これだから自称進学校は‼)

 お決まりの説教文句を並べる担任に対し、朱音は心の中で毒づく。

 朱音は、何かなりたいものや学びたいことがあって東奥大に行こうとしているわけではない。

 明日香をはじめ周りの人間には「なりたいものがないからとりあえず良い大学を目指して入ってから目標を探す」と言っていたが、それすらも本当の理由とは言い難いものだった。本当の理由は、当然作文課題になんて書けるものではない。

「じゃ、じゃあ他の人はどういうこと書いてるのか大体でいいんで教えてくれませんか? 参考にしたいんです~」

「教師が他の生徒の書いた課題についてバラすのはルール違反だから詳しくは言えないけど……まあ基本的に将来の夢について書いてるわね、今のところは。『新しい星に移住したら』なんて言ってるけど、具体的に新しい星でしかできないことをメインに言及している人はそんなにいないわよ。最終的にちょっと言及する程度にとどめる人がほとんどじゃないかしら」

 それを聞いて朱音は少しホッとする。しかし将来の夢がない以上、根本的な問題の解決にはなっていない。

「うーん……じゃあもう少し考えてみます」

「一週間よ。それ以上経ってもテーマすら提出できないようだったらこちらも別の手段に出ざるを得ません。頑張ってね」

「……努力します」

 重い足取りで朱音は職員室を後にした。


「おかえりー。どうだった?」

「……ただいま」

 その質問には答えず、朱音はぽすっと自分のベッドにダイブする。そして顔を枕に埋め、ううううう~~と変なうめき声を上げ始めた。

「ちょ、何何何何。なんか怒られた?」

 朱音の異様な声に、明日香はベッドの上段から顔を出して朱音の突っ伏している下段をのぞき込む。

「……あと一週間でテーマ出せって言われた」

「なーんだ。意外と優しいじゃん」

「優しくなんかないよぉぉぉぉ。一か月かけて何も思いつかなかったものを一週間で提出なんて無理ぃぃぃぃぃ」

「ええええ……」

 半泣きになりながら叫ぶ朱音に、明日香は困り果てる。

「別にそんな難しく考えなくてもよくない? 最悪思ってもないことでっち上げて書けばいいんだし」

「それができたら苦労しないよぉ……」

「朱音昔っから変なところで真面目だからなー……まあまだ一週間あるんだしさ、ゆっくり考えなよ。私も手伝ってあげるからさ」

「うん……ありがと……」

「ほら、顔上げて顔! そろそろ晩御飯の時間だから泣き止みなよ~」

「私そんな食いしん坊じゃないもん‼」

「あはは、その調子その調子! ほら行くよ~」

 思えばいつもこうやって明日香に励まされていた。いつも辛いときには明日香がいて元気づけてくれた。もし明日香と一緒にいられなくなったら……そこまで考えて恐ろしくなった朱音は、考えるのを止め、明日香を追って食堂に向かう。


 午後十一時。清沢女学院寮の消灯時間だ。

 光源を失った部屋に対して月の光はあまりにも微弱で、朱音と明日香の部屋を照らすには不十分だった。

「そういやさあ、朱音」

「何ー?」

 暗く静かな部屋の中で二人が会話する声だけが響く。

「小学校のときにタイムカプセル埋めたの覚えてる?」

「あー、なんかそんなことやった気がする……」

「あのときもさ、今みたいな感じで将来の自分への手紙みたいなの書かされたような記憶があるんだよね」

「あーーーー! 思い出した、確かにそんなことやったわ。懐かしっ!」

「わたしさぁ、そのときの手紙読めば朱音もなんか閃くと思うんだよねー」

「まあそうかもしれないけど……でも一週間後にテーマ出せって言われてるからなぁ……次に地元帰るの、新星に行く直前に一回帰るぐらいだろうし」

「今からそのタイムカプセル発掘しに行かない?」

「………はっ⁉ 今から⁉」

「ちょちょ、声でかいって‼ 寮監にバレたらやばいんだから‼」

 思わず叫ぶ朱音を、上のベッドから顔を出した明日香がたしなめる。その声には、焦りと同時に遠足前日の子どものようなワクワクする気持ちが多分に含まれていた。

「地元行きの最終電車が十一時三十分。今から準備すれば間に合うよ」

「……本気で言ってる?」

「マジもマジ。大マジだよ」

 明日香の澄んだ瞳には、有無を言わさない謎の説得力があった。

「わかった。行こう」

「やりぃ」

 明日香がしゅたっと床に飛び降りる小さな音が号令となり、二人は急いで準備を始めた。


 あと数十分で日付も変わるというのに、駅には人が溢れかえっていた。

 午後十一時で強制的に一日を終えさせられてしまう世界に暮らしていた彼女たちにとって、その光景は新鮮なものだった。

「なんとかここまで出てこれたけど、バレてないよね?」

「うーん、ひょっとしたら今ごろ大騒ぎになってるかも」

「うわ~、やっぱりやめときゃよかった~~~」

「ま、そんときはそんときっしょ。一応明日の始業までには帰れる算段になってるけど……あ、電車来た」

 すすけた銀色の車体が列を成してホームに入線してくる。

 地球の滅亡が確定事項となってからは、当然鉄道会社は新車を導入しようとするわけもなく、どこか古臭い車両が現役で走り続けていた。

 この街にはそんな星と共に打ち捨てられることが決まった残業者たちが溢れ、どこかくたびれた雰囲気を醸し出している。

「うわー思ったより混んでる」

「あと一年足らずでこの星なくなるってのにみんなよく働くよね」

「まあ別に死ぬわけじゃないしね。移住後の生活もあるし」

「うっ、課題のこと思い出した……」

「だからそのために行くんじゃん」

 まだ月曜日だというのに、くたびれて居眠りするサラリーマンが席を埋め尽くす。

 日付が変わる頃には電車は東京都を離れ、そんなサラリーマンたちも一人二人と降りていった。

「あ、あそこ空いた」

 ちょうど二人分空いた空間に二人は腰を下ろす。

 少し硬いシートがキシッと小さな音を立てた。

「私こんな時間に電車乗るの初めて」

「私だってそうだよ」

「大学生になったら飲み会の後終電で帰ったりするのかなぁ」

「かもね」

「向こうの星でも終電とか飲み会とかあるのかぁ。なんか意外と身近に考えられる気がしてきた。てか地球上で一回もお酒飲まないで一生を終えるのエモくない?」

「今から飲んじゃう?」

「飲まない飲まない。ただでさえ寮抜け出してきたことの罪悪感が抜けないのにこれ以上罪を重ねらんないよ……」

「冗談冗談。そういう朱音の真面目っぽいとこ好きよ」

「ぽいって何よー」

「こんな時間に電車乗ってるJKは不真面目だよ」

「うぅ……」

 とりとめのない、いつもするような会話。それだけで永久に時間が経つような気すらした。

 気付けばあれだけ車内を埋め尽くしていたサラリーマンは数えるほどとなった。

「世界が私たちだけになったみたいだね」

「ちっちゃい世界だなぁ」

 首都圏を走る長編成の列車、その一両に自分たち二人だけしかいないという事実は、彼女たちに漠然とした万能感を与えるものだった。


『次は高野宮、高野宮、終点です』

「ほら、もうすぐ着くよ、起きて」

「ん、んうぅ~」

 時刻は午前一時半を回り、二人の二時間に及ぶ旅が終わろうとしていた。

 電車はやがて止まり、電子音と共にドアが開く。

「正月以来か~、ひっさしぶり」

「ここも変わらないよね~、まあ今から改修されるはずがないんだけど」

 ホームや改札といった最低限の機能だけ残された駅は、昼間よりもさらに閑散とした印象を与えた。

 駅の外に出ると、ロータリーに何台かのタクシーが止まっている。暇そうに煙草を吸っている運転手に声をかけ、二人はその一台に乗り込んだ。

「姉ちゃんたち高校生? ダメだよこんな時間まで外ほっつき歩いてちゃあ」

「え~、私たち大学生なんですけど~。ねっ、朱音?」

「えっ? あ、あ~そう、大学生大学生。いや~まだまだ私たちJKで通じるのか~」

「そいつはすまなかったな。にしてもこの辺に大学なんかあったっけな……まあ大学生でも女の子だけでこの辺歩くのは危ねえぞ」

「ご心配どーも。じゃあとりあえずそっちの道進んでください」

 夜道を走る車の中で運転手は饒舌に語った。

 近頃この地域の人口が減ってきたこと。

 それに従いタクシーに乗る客も稀になったこと。

 人口が減った理由が、都会に住んでいるほど新星への移住が早くなるからであること。

 そのために妻と娘を数年前に都心に引っ越させたこと。

 自分だけは地元が名残惜しく、今でもここでタクシーの運転手をしていること。

 今年で定年だということ。

 二人を見て娘を思い出したこと。

「稼ぎは微妙だけどよ、自分が生まれ育ったこの星のこの町で最後まで働けたのは良かったと思うんだ。新星では精々家族と老後を楽しむとするよ」

「運転手さんはこの町が大好きなんですね」

「あぁ。姉ちゃんたちもこの町に住んでるんだろ? 若い子が好きそうなものなんか全然ないちっぽけな町だけどよ、新しい星に行ってそこで何十年生きても忘れないでいてくれよな」

 そう締めくくった運転手は、目的地で二人を降ろすと駅へと戻っていった。

「いい人だったね」

「ホームセンター寄ってる間待っててくれてたしね。娘さんと話してるような気分だったのかなぁ」

 そんな会話をしつつ、二人はタクシーから降りた後も歩を進める。流石に「本命」まで直接運んでもらうのは怪しまれるからだ。

「着いたよ」

 ———高野宮市立第一小学校

 そう書かれた門のあるこの場所は、二人が東京に出る以前に通っていた場所だった。

「よっこいしょ……っと。スカートで来なくて正解だったね。ほら朱音」

「ありがと」

 二人で塀をよじ登り、敷地内に飛び降りる。

「んー、なんかあっさり潜入できちゃったね。もうちょい警備とかあると思ってたけど」

「まあ田舎だし公立だしどうせあと一年で移住するし? さすがに校舎の方は警備あると思うけど」

「にしてもひっさしぶり~、全然変わってないねここも」

「帰省してもここには全然来ないしね」

 近隣住民に怪しまれないようにひそひそ声で話しながら、二人は門を離れていく。

 夜の学校は、昼とはまるで別の場所のように異質な雰囲気だった。

「待って、タイムカプセル埋めたのどこだっけ」

「え、覚えてないのに来たの⁉」

「いや、見れば思い出すかなーと思ってたけど夜の学校雰囲気違いすぎて思い出せない……」

「え~、何のためにここまで来たの……」

「だ、大丈夫! 一通り廻ったら思い出すから!」

 そうは言ったものの、校庭や校舎、さらには体育館なども見終わり、そのまま同じルートを三周しても明日香が思い出すことはなかった。

「あーーーなんで見つかんないの!」

「ちょ、明日香!」

 深夜の小学校だということも忘れ、明日香が叫んで芝生に寝転ぶ。

「朱音も休もうよ。さすがにこの大荷物で敷地内三周は疲れたわ」

「仕方ないな……でも時間ないよ」

 朱音も背負っていた荷物を下ろし座り込む。

「どうしよ、このままじゃ朝になっちゃう……」

「うーんなんで思い出せないんだろ……この芝生で寝てた感触も昨日のことのように覚えてるのに……」

「あーそういえば明日香よくここで授業サボってたよね」

「そうそう。中休み終わって授業行く気ないとここでそのまま昼寝してた。明日香もよく誘ったのに結局一緒にサボってくんなかったよねー」

「小学生からサボるやつそうそういないでしょ……別にいじめられてたわけでもないし、むしろクラスの中心だったもんね明日香」

「私がサボるのはサボりたいからだよ」

 まるで名言のように断言する明日香のドヤ顔を月明かりが照らす。

「いや~だってこんなに気持ちいんだよ? ふわふわだしいい感じに日光が遮られて暖かくて……ん?」

 そこまで言ったところで明日香はバッと上体を起こした。

「そうだ。遮られてたんだ」

 明日香は横に振り向く。

 その目線の先には、朽ち果てた切り株があった。

「そうだよ、この木の下に埋めたんだった。五年の間に切り倒されてたんだ。そりゃ気付かないはずだわ……」

「私も思い出してきた……うわなつかし。結構デカかったよねこの木」

「よし、掘り返そう!」

 二人は地面に置いていた細長い布のバッグから、先ほどホームセンターで買ったスコップを取り出した。そして木の近くの地面にそれを突き立てていく。

「かったいな……」

「なんか前合宿で農作業やらされたの思い出すわ……」

 ぼやきながら二人で掘り進めていくと、やがてガツンと金属音がした。

「お、あった!」

 十分ほどかけて箱の周りを掘り、やがて蓋を外せるほどには全体像が露出してきた。

「……じゃあ外すよ」

「……うん」

「えいっ!」

 土まみれの蓋を外すと、その中には山のような便箋が入っていた。

「こん中から見つけるのか……当時私たちの学年生徒何人いたっけ」

「三十人クラスが三つだから……九十人ぐらい……?」

「よし、とりあえず一個一個見てこ! 封筒に名前書いてあるはず!」

 箱から封筒を取り出しては、これは違うと端に除けていく。

 やがて箱の封筒が減り、底が見えてくる頃に朱音が声を上げた。

「あ」

「あった⁉」

「う、うん」

 朱音の手には、『倉しき 朱音』とたどたどしい字で書かれた封筒があった。

「見たい見たい見たい! 早く開けて」

「ちょ、待って待って、ダメダメ!」

「えー」

「明日香が見つけたら一緒に開けよ」

「わかった」

 すぐに明日香も自分の封筒を見つけ出す。

「よし、せーので開けるよ」

「う、うん」

 なんとなく、朱音は何が中に書かれているか察していた。

 それも、封筒を見つけたときでも、箱を掘り当てたときでも、学校に着いたときでも、タクシーに乗っていたときでも、電車に乗っていたときでも、寮を抜け出したときでもなく、明日香がタイムカプセルを探しに行こうと言ったときから。

 なぜなら、それは彼女が今に至るまでずっと変わらず想い続けていた「夢」だからだ。

「せーのっ!」

 封筒を破り、紙を取り出し、広げる。

 そこには「アイドルになりたい」のような小学生らしい大言壮語な夢でも、「こうむいんになりたい」のような小学生にしては現実的な夢でも、「およめさんになりたい」のような時代錯誤な夢でもなく、ただ

『あすかちゃんとずっといっしょにすごせますように』

 とだけ書いてあった。

(……ほんと変わんないな私。これじゃ将来の夢じゃなくて短冊に書くお願いじゃん……)

「やっぱあたし昔から天文学者になりたいって言ってたんだな~。そうだ朱音は? 見せてよほら~」

「だーめ」

「えー。いいじゃ~ん。そんな見せたくないの? プリキュアになりたいとか書いてたの?」

「そうそう、プリキュアプリキュア。これじゃあぜーんぜん課題の参考にはなんないね」

「絶対嘘! ねえ見せてってば~」

 そう笑い合う二人を、星空を塗り潰すほどの巨大な月が照らしていた。



 ———5月8日 地球滅亡まであと358日

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