第11話  翌朝

明朝、佐々木はあくびを噛み殺しながら出勤する。昨日はなかなか眠れなかった。

いや、むしろ眠れるはずがない……彼女と二人きり、想像以上に美味しいピザとパスタを存分に味わったのだ。多幸感とぽかぽかした血の巡りにゆり起こされ続けていたのだから、眠れたのは結局明け方だった。

しかし仕方がないと思う。決して社会人としてどうとかそういう問題ではない、多分。そんなことを考えながらふらつく体をなんとか支え職場のあるフロアへ上っていく。目的のフロアへ着いた途端、右から衝撃を受けた。


「いっ……!」

「よーう佐々木! どうだった⁉ どうだったんだ⁉」


寝不足ってことはもしかして~? やるとこまでやったのかこの野郎っ、と突き回される。どういう意味だ? 昨日の予定などこいつは知っているはずなのに今更なんで聞いてくるんだろう、と動かない頭を動かす。


「猪端、離れろ。なんのことだ」


べりっと張り付いている猪端を引きはがし問いただす。……が、周りの注目がひしひしと集まっているのを感じた佐々木はとりあえず会議室へ猪端を引っ張り込んだ。こいつのせいでプライバシーが筒抜けになるのは真っ平ごめんだ。自分だけならまだしも彼女のことまで公になどさせるものか。


「え? なにって、昨日お食事デートしたろ? どうなったんだ?」

「デッ……!」


急速に顔に血が上る。意識していなかった——厳密にはする余裕も無かった、と言うべきなのだろうが、たしかにあれは世間一般でいうデートだ。気になる女性を誘って、小洒落たレストランを予約し、食事をとる。そして車まで送って——。完全にデートだったと今更ながら気が付く。


「……食事は、凄い美味かったぞ。想像以上だ。オススメはもちチーズ明太のピザとトマトバジルパスタだな」


そういいながら昨日の食事を思い出す。食べ物を思い出していたはずが、つい正面で美味しそうに頬張る藤木が思い出されてしまって再び顔に熱が昇る。


「違う違う‼ お前はどこまで天然なんだ? デートに発破をかけて見送った同僚が、寝不足なのを隠しきれずふらふらしながら出勤してきたなら、聞きたいことは一つだろ⁉ そのデートの後、何があったかだよ!」

「…………」

「おい、不潔なもの見るような目で見んなし」


呆れているのが顔に出ていたらしい。つくづく隠し事というのに向いていないのだなと悟る。これはフツーに考えることだからな、フツーに!と未だに喚く猪端を制しながら答えた。


「何にもないぞ、お前が期待してるようなことは、なんにも」

「はぁ⁉ いや、キスくらいはしたろ?」


キスくらいで悶々として眠れないってのも純過ぎると思うけどな、と言う猪端。その言葉がぐさりと刺さる。それ以前の段階でこうなっているのだ、文句あるか。「いや? それもない」と堂々と言ってやった。


「はぁーーーー?」猪端が絶句している。

「食事の後、話をしながら店舗まで送っていって、彼女が車で店を出るのを見送って、ここに戻ってきて、普通にチャリで帰った」

「…………」


ぽかんと口を開けて呆然とされている。なぜだ。

「普通」の男女なら相談というところから一夜にしてそんなに関係が進むものなのか? それはそれでどうかと思うし彼女にそれはやりたくない。昨日は本当に楽しく食事ができて話もできた、それで十分すぎるくらいなのだ。そんなことを考えていたら猪端の硬直が溶けたようだ。


「じゃあさじゃあさ……なんでお前、寝不足なわけ?」

「? それはもちろん、有言実行、貯金で買える車探しをしてた」

「……それ嘘だろ」

「嘘じゃないし」

「じゃあなんでこっち見ないんだ? あぁ?」


またばれた。でも本当に嘘は言っていない、眠れない間車探しをしていたのは本当だ。なかなかに新古車でちょうど良い値段を探そうとすると難しいものだった。


「……じゃあ、何話したんだ、昨日」

ファインプレーした同僚に少し教えてくれるくらいいいよな~? と擦り寄ってくる。それを引きはがしながら


「そうだな、二人して美味しいってもくもくと食べたのと、あの般若……芳賀さんの話とか、それぞれの仕事の話とかしてた」

「なんだそれぇ~デート? ほんとにデート?」

「……言っておくが、俺が勝手にそういう思いも持ってるっていうだけで、向こうはそうじゃない。俺はあくまでただの相談者!」

「でもさ、仕事終わりにたった二人でお食事! なんだろ? 向こうも気があるんじゃないの? というかカフェで声かけた時点でそう感づいてるんじゃないん? まさかそこの確認もしなかったわけ?」

「できるかそんなこと!」


ふぅーん、とつまらなそうに口を尖らせている。人の恋心をこいつは何だと思っているんだろうか。


「でもな、藤木さん凄いんだぞ。登録販売者やってて、すぐ薬の成分と名前、症状におすすめの薬紹介できるんだぞ!」

「へぇー、そいつあ凄いな。彼女、卸とかやってたわけじゃないんだろ?」

「そうだよ。入社してから勉強して資格取ったんだって」

「すげぇ努力家なのなー。難易度ヤベェって話聞くぞ」

「そうだよなそうだよな、凄いんだ、藤木さんは。凄い努力家で、なのに謙虚で、それでいて純粋で可愛らしくて美人で……」

「で? って?」

「もっともっと、自信持っていいはずなんだけどなぁ」

「あー……俺もちらっとしか見てないからあれだけど、それ聞くと最初のおどおどしてたのが確かに違和感だわ」

「何が悩みなんだろうな……今度の食事の時に聞いてみるか」


話してみて思ったが、藤木はかなりの努力家だ。真面目過ぎると言ってもいい。それゆえに色々と悩むところもあるのだろう……。もともと相談が大元だしな、次回聞いてみよう。

職場で話せないことでも俺相手なら話せることもある。……はず! 職場内でしか話せない内容は芳賀さんという守り神がいるからそちらで対応できるだろう。

などと考えていると突然、両肩をがしりと捕まれる。今日はこいつによく触られる日だな。


「お前、ちゃんと次の予約取り付けてきたのか⁉」

「あ、あぁそうだけど……?」


あんまり美味しかったから、帰り道にまた来ましょうっていって誘ったんだ、と付け加える。猪端の目がきらっきらに輝いている。


「よくやった~! グッボーイ、グッボーイ!」

「うわっ、ぐしゃぐしゃにするな! 営業あるんだぞ今日!」

「後で整え直せよ、ワックス貸してやるから~」


こいつの中で俺はどういうポジションにいるんだ? と思いつつも取り合えずそのままにさせている。もうここまで乱されたらなるようになれ、だ。「そういえば猪端、お前……」芳賀さんとどんな話してたんだ? と聞こうとしたその時、会議室のドアが勢いよく開く。粕谷だ。


「佐々木、猪端! ここにいたか! 朝礼すっぽかしてなにやってる!」

「「・・・あ‼」」


すっかり忘れていた、出勤時間をとうに過ぎていることを。

すっかり忘れていた、朝礼があることを。

まさかこんな学生のような失態をするとは! 二人で粕谷に平謝りしてバタバタと仕事に就いた。今日はなかなかハードな一日になりそうな予感がするのは気のせいだろうか。



 一方その頃、藤木たちは。

鍵担当のパートよりも先に店舗へ着いてしまった藤木と芳賀は、芳賀が藤木の車に同乗する形で質問責めが行われていた。助手席から身を乗り出して芳賀が聞く。


「ねぇねえふっちゃん、昨日はどうだったのー?」

「どうって、何がです?」


あっ、お悩み相談のことですね⁉ すっかり忘れてた! と言う後輩をため息をつきたいのを我慢してじっと見る。


「全然違うー! デートはどうでしたか? って聞いてるのよ!」

「デート……?」

「好き合ってる男女が~仕事後に二人きりで、洒落たイタリアンレストランで食事をする……これのどこがロマンティックなデートじゃないっていうの~?」


うりうりと頬を突いてみる。本人には全くその意識がなかったようで、どんどん顔が赤くなってきている。まさか本人にその意識がなかったなど想定外だったが、可愛い反応が見れたのでそれはそれで良し。


「わ、私は佐々木さんをす、好きですけど、向こうは好意で相談に乗ってくれようとしてるだけですからっ! なのであれはただの食事会です!」

「えぇ~そうかなぁ?」


そうです! と言いきっているが、「貴女を家まで送る権利を僕にください」と言ってプロポーズをした偉人が居るのを知らないのだろうかと芳賀は思う。それ以前に、寒いから車で送ろうと配慮してくれて、こちらが啖呵きったら車買います! と即答できる程に男がかかずらっているというのに、その想いに気がつかないとは。つくづく純というか……これからが心配になってくる。佐々木もきっと同じ様な、弄ると面白いタイプに見えたからもしかしたら本当にお互いデートと思わず食事会していたのかもしれない。……芳賀は頭を抱えたくなるのを辛抱した。


「じゃあさ、なに話したの? 沢山お話したんでしょ?」

「んっと、お店行ってからは芳賀さんの話してました」

「なんで私⁉」


なぜ二人っきりでそこにいない私の話で盛り上がってるのよ⁉ と混乱する芳賀。藤木はくすくすと笑って、ちゃんと他の話もしましたよ、と言う。案外この後輩、小悪魔系なのかな?


「それぞれの家族のこととかー、これ美味しいです、っていってパスタ一口ずつ交換こしたりとか。あ、佐々木さん弟さん二人いるんだそうですよ、ピザ切るのすっごく上手でした!」

「へぇー、確かに長男ぽいねぇ。責任感強いとことか」

「そうですよね!」


そう笑う後輩の顔は今までに殆どみないようなあどけなく可愛い。

悔しい、私が男だったら逃さないのに! という想いと、佐々木め羨ましいやつ! という想いがない交ぜになる。あーあ、いいなぁ……。私も、青春、したいなあ……。


と、そこで鍵当番のパートの車が駐車場へ滑り込んでくる。始業時間が迫っていた。一旦話をお預けにして、名残惜しく今日の仕事へ繰り出すのだった。

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