第9話 わざとじゃない


佐々木はとにかく落ち着かなかった。夜空と店舗を眺めては足踏みし、きょろきょろと回りを観察している。近頃の空っ風に吹かれてではない、寒さには強い奴だし……と猪端は暖かい車の中から眺めている。

佐々木が落ち着かないのは、恐らくつい一時間ほど前の自分の発言を思い出してのことだろう、と猪端は推察していた。ああ、青春だねぇ……。

そんなことを思う猪端と佐々木は今、駅近のとあるドラッグストアへ来ている。藤木が勤務するという、その店舗だ。店舗視察には行かないと言っていた佐々木がなぜここにいるのかというと理由は二つ。


まず藤木が残業になるので三十分ほど遅れると連絡をくれた、それに迎えに行くと咄嗟に返事を返したから。

次に、こいつは自転車通勤だ。この寒空の下彼女を駅まで、ひいては食事の店まで延々歩かせるのか? と説得し車通勤の自分が食事の店まで送る事をこじつけたのだ。まあ、本音を言えばちらっと噂の彼女を見てみたかったからなのだが。

そういうわけで、もう少しで彼女が上がれるであろう時間だからと外で待つ佐々木を俺は我が愛車ミラの中で見守っているというわけだ。


 先日、ついに佐々木は彼女とラインが繋がった。名刺の連絡先を見て彼女の方から登録してくれたらしい。登録しようと思っていたらすでに向こうがしてくれていた——その時の奴の喜びようと言ったら。俺に笑われようと粕谷に微笑ましく見守られようと、周囲の同僚になんだなんだと好奇の目で見られようと、全く気にしなかったくらいだ。

その彼女とついに食事に行く約束を取り付けたのだ。正直佐々木のこの案件がここまでスムーズにいくとは想像もつかなかった。これは良いことだ……しかし今現在、それと反比例するかのように店舗の中からちらちらと黒いシャツの女性から不審げにみられている。これはわりとまずいのではなかろうか……間違いなく不審者と思われている。たしかに買い物もせず一人は外に突っ立って挙動不審、だなど怪しすぎる。うちの駐車場でやられたら警察を呼ぶかどうか審議するであろう事態だ。

……どうしよう、なんだか俺まで尻の座りが悪くなってきたぞ。



 定時の十分前、午後七時二十分。ドラッグストア「セキミネ」にて。


「よし、今日は棚替え準備だけ終わらせたら上がっていいぞ」

「……えっ」

「? どうした」

「あ、いや、了解しました、すぐに取り掛かります」


ぱたぱたと慌ててパソコンに向かう藤木を見て、店長、加島は首をかしげる。いつもならむしろ自分から残業していくような社員なのに、今日はどうしたことだろうか。

……まあ、絶対外せない予定があるとかなら言うだろう、と一人頷き業務に戻る。恐らくほかの業務で圧迫されてすっかり抜け落ちていたのだきっと。なんたってこの店の柱である医薬品販売を担っているのだ、やることは尽きるはずもない。

事実、この前の消費期限のチェックもまだ途中だと言っていた。彼女にしては珍しい遅延だった。何か悩み事でもあるのだろうか。さりげなく今度聞いてみようか……。


「店長―」

「なんだー?」


そしてこちらとてやることは尽きない。思案していた頭を切り替えて、バイトに指示を出し自らの作業も進める。いつまでも気にしていたら自分自身の休憩がなくなってしまう……気になってはいたが頭から振り払い売り場に戻った。


一方芳賀は毎日定時五分前きっかりに休憩室のドアを開ける。今日も今日とてそうだった。残業はしないのがモットー、これだけは譲れない。今日もそれを遵守しその通りに部屋へ入った。その瞬間、パソコンから印刷物を出力してはまとめてを繰り返している藤木が目に入る。


「あれ、ふっちゃん、今日約束の日じゃなかったっけ?」

「そうなんですけど、店長から今日は棚替え準備だけして上がるよう言われてしまって……」

「はあ⁉ 何言ってんのあの野郎、こんな日に残業させてんじゃないわよ!」


文句言って言質取ってきてやる、と息巻く芳賀を、すぐ終わらせますし三十分ほど上りが遅れると連絡も済んでいるので、と引き留める。実際焦ってはいるが致し方ない。店長に悪気はないし、仕事だし、確かに今日準備しておかないと後々バタつく。ただでさえ仕事が遅れがちなうえに自分の配分ミスでもあるのだから、佐々木には申し訳ないが済ませてからでないと向かえない。

急いで書類をまとめ、次のカテゴリーのものを出力しつつ取り急ぎこれから使うページを表に向け揃える。少し空いた時間に新商品のバーコードを読み取りもろもろ必要なものの発注業務に取り掛かる。これが終わったら棚落ちする商品の値下げ……は無理だから明日に回すとして、棚落ちのシールを張るところまではやっておかなくては。

と目まぐるしく頭の中を動かしているその時、ブブッとバイブ音が鳴る。——佐々木だ。


『そうなんですか、大変ですね。ではもう肌寒くなってきましたのでお迎えに行きます。同僚が送って行ってくれるそうなので、一人店まで一緒になりますが大丈夫ですか?』

「……………ヒエ……」

「どうしたの? 今にも死にそうな声出して」

「これ……」


見てください、と言ってスマホの画面を芳賀に差し出す。


「はあーーーーー⁉」

「デスヨネ……」

「いやいやいやなんっ……どうも御親切にだけど不安だわ!」


男二人に女一人で車内ってなに⁉ と物凄い形相である。

藤木としても、佐々木を信頼しているとは言え少し恐ろしい。悪意がないのかもしれないが男性二人に囲まれて密室の中。そして見知らぬ人と同じ空間にいなければならないその圧力。今までにできていた佐々木への信頼がぐらりと揺らぐ心地がした。どうしよう、どうするべき? 今日は一旦、やはりもう少し伸びそうだと言って今日は延期にしてもらうべきか……そう考えていると突然


「決めた、私も行くからね!」

「えっ⁉」

「これは……これはさぁ……はあー……。だってこれ悪気があるのか無いのか知らないけどこれはないでしょ! 危なかったらふっちゃんは私が守る、危なくないならこんな勘違いされるようなことするなって釘を指す、いいね? 決まり!」


申し訳ないけど絶っ対にお店の前まで着いていくから! と息巻いているのを見て、しみじみと「この人が先輩で良かった……」と思うのだった。藤木も知らない世界を知っていて色々と良いことも悪いことも教えてくれる頼もしきいい女、それが芳賀である——。



「おっ出てきた! ……ってあれ?」


延々と待って、ついに店舗からあのラインのアイコンの子が出てきた。時刻は丁度午後八時。遅れると言っていた三十分きっかりだ。……なのだが、あれは一体どういう事なのだろうか。隣に般若を従えている。……彼女、陰陽師かなんかなのか、佐々木?


「おいおいどうしたんだあれ、なんかしたのか⁉」


末恐ろしくなってウインドウを開けて尋ねる。佐々木も寒風に吹かれてなのか、同じく般若にびびってなのか心なしか蒼い顔をしていた。その顔がぶんぶんと左右に揺れる。……あぁ、手掛かりは無し、と。これは般若に聞くしかないやつだな。そうこうしているうちにも二人は近づいて来る。近づけば近づくほど怒りの形相がありありと分かってしまう。


「こんばんは、残業お疲れ様でした。」


佐々木が一声かけた瞬間、般若が吠えた。


「この子を密室、男二人でどうしようってんだ!」

「えっ⁉ いや、そんな、やましいことは考えてないです! ただ同僚が足になってくれるってだけでその、この寒空を延々と歩かせられないって配慮であの、」

「手前ぇの車で来い!」

「車持ってないです!」 

「んだと⁉ 買え!」

「……買います!」

「佐々木っ即決して大丈夫か⁉」

「貯金崩せば行ける! たしかに送り迎えに車は必要! 軽ならまだ新古車狙える!」

「あぁー……あぁもう……」


どうしてこいつはこうなんかあると見境なしになっちゃうのかなぁ、と猪端が頭を抱えたその時、般若が言った。


「……本当にやましいところは無いんだな?」

「もちろん、誓って危害を加えようという意図はありません。こいつは……猪端って言って俺の同僚なんですけど、ほんとに俺のこと応援してくれているやつで。今回も藤木さんが疲れているのにまた歩かせるのかって言って気を利かせてくれただけなんです。店についたらこいつは帰る予定なんで、ほんとあの、わざとではないんです。でも仰る通り、配慮が足りませんでした。申し訳ありません」


佐々木が深く頭を下げる。しばらく静止していた四人だったが、少しして藤木が「……芳賀さん」と呟いて袖を引く。しばらく判断しかねている風だった般若も、それには陥落したようだ。腕組みをといて、佐々木に向き直る。


「んもう……それならいいよ、けど紛らわしい真似したりこの子を危ない目に遭わせたりなんかしたら私が金属バット持って家まで行くからね、いい?」

「はい、もちろんです!」


なんだか認めてもらえたらしい佐々木と藤木が安心したように向かい合って笑っている。まぁ和やかに済んだなら良かった……。


「そんじゃあ誤解も解けたところで、自己紹介させてください。俺はこいつ、佐々木の同僚で、猪端って言います。同じ営業やってます。よろしく。」

ウインドウから右手を差し出す。

「猪端さんね。長いからイノって呼んでい?」般若こと芳賀もがっちりと握手を交わす。

「おけっす!」

「あんがと。私はこの子の先輩で、芳賀って言います。先走って怒っちゃってごめんなさいね、謝るわ……すみません。」


頭を下げて謝る芳賀に、佐々木は焦って言う。


「いやいややめてください、今回はこちらが全面的に悪いんで! 頭あげてくださいあねさん!」

「……ちょっともう、人が真剣に謝ってるってのにあねさんはやめてよねぇ。」


真剣に謝っていたはずだが笑わされてどうにも締まらないでいる。佐々木はこういうとこ上手いんだよなぁ、と内心舌を巻く。そこで、今のうちにどうにも気になっている事を尋ねてみた。


「姐御、ところで……あそこで不安そうにちらちら見てくる人は一体……?」

「あぁあれ? あれはうちのクソ店長の加島よ。今日の残業はあいつのせい」


レジカウンターのところから白衣の男性がずっとこちらを見ていたのだ。あれが店長らしい。しかしこういっちゃなんだが気弱風の下がり眉で、なんとも頼りない。さっきの言われようからしても、芳賀の尻に敷かれているのがはっきり分かった。

さっこんなとこで立ち話もなんだしお言葉に甘えて乗りましょ! との一言で三人揃って乗り込む。助手席に佐々木、後部座席に芳賀と藤木といった具合に。からっ風に吹かれて冷えきった身体を暖めるべく、温風を全開でかける。頑張ってくれよ、俺のミラ。


「んじゃ行きますよ、シートベルトよろしくです!」


エンジンふかして走り出す。いざ目的地へ。

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