第8話  繋がる

翌日出勤した藤木は、らしくもなく興味丸出しでちらちらと目線を寄越してくる芳賀をスルーし仕事に集中していた。これはオフの個人的な話だ、流石に勤務中にお客様の前でするわけにはいかない。何より仕事がやばいことになる。

芳賀は割り切りきれなかったのか、もの凄くそわそわとしていて仕事に身が全く入っていない様子だった。これは休憩入った途端質問責めにされるパターンだな……そう思いつつ納品業務に精を出す。納品と会計業務、医薬品接客と忙しく働いているとあっという間に午前の勤務時間が終わってしまった。これからまだ残っている納品と在庫の使用期限チェックと発注業務が待っている——今日は何時になったら帰れるのだろう? そう気を重くし休憩室へ入ると、先に休憩に入っていた芳賀がにやにやと見つめてくる。


「ふっちゃん、昨日は良い結果になったのではなくて?」

「な、なぜそれを……!」

「先輩の観察眼をなめてはいけぬぞよ。」


むふふと笑う芳賀は自分の頬をとんとんと叩く。思わず自分の頬に手を当ててみる。そうしてみてもよくわからない。


「なんてね、ふっちゃん、頭から追い払って仕事頑張ってるなーと思ってたけど、実をいうと午前中ずっと頬が緩んでたよ?」

「う、嘘でしょう⁉」

「嘘じゃないもーん、なんならお客さんも気がついてたもーん。」


いつも来る学生のお客さんはすっごい見てたし、化粧品のお客さんもあら、あの子可愛くなったわね? なんて言ってたよとなどという報告を受け、穴があったら入りたい気分で一杯になる。つまり真面目に働けてると思っていたのは自分だけで、周りには全部筒抜けな阿保面を晒していたというわけだ。それもお客さんにまでばれるほど緩んでいたなんて。


「・・・・・・恥ずかしい。」

「え、でも今日のふっちゃん凄くいいと思うんだけど。お客さんにも好評だったよー。いつも真面目なきゅっとした顔しか見ないけど、あんな可愛い表情できるのね、話しかけやすくなったから今度うちの主人の腰痛、相談してみようかしら~とか言ってた。」


ほらほら笑って、あなたには笑顔が似合うのよんと頬を挟まれる。こう言う場ならまだしも売り場で一人微笑んでいたら何事かと怖がられないんだろうか。でもそういう反応を貰えるならそういうことなのかな……とくるくる考えはじめる。


「あっ、今どうしよっかな~とか考えてるでしょ! だめだめ、もっと気楽にね。」

「もー、芳賀さんはエスパーか何かなんですか?」


思考など簡単に読んでしまう芳賀……恐れ入る。それとも気がついていないだけでそんなにもわかりやすいんだろうか、私は。佐々木さんに話しかけられたきっかけもぽかんとした阿保面だったのだし。するとその時、ガチャリと休憩室のドアが開く。


「おはよーさん……って二人で何してんの?」

「あっ店長! 女子会してるんだから邪魔しないで!」


シッシと追い払う動作をする。哀れな店長は「なんだよもう……」とか言いつつそそくさと着替えをして売り場に出て行った。芳賀は同期のよしみだから大丈夫などと言うが、上司にあたる人物なのにいいのだろうか……と顔を揉まれながら思う。すると、あっと声を上げるのに驚いて視線をあわせる。


「ちょっと! 大事なこと忘れてた、あなたお相手の連絡先、ちゃんとスマホに追加した⁉」

「……あっ」

「登録する! 今すぐ!」

「は、はい!」


すっかり忘れていた。昨日も約束そういえばしてなかった、などと考えたというのに。名刺にあったメールアドレスと電話番号を慌てて登録する。佐々木景人、と名前を打ち込む。ささきけいと……イメージカラーはなんだか薄い緑かな、と思い出しながらアイコンの色を選択する。萌黄では少し濃いかな……それでは若苗色にしよう。初夏の新しく芽吹く新芽の色。夏のようなからりとした笑顔とどこか繊細さを感じられる言葉遣いから初夏のイメージが強かった。

お休みは水日の固定……メモに入れておこう。そうこうして登録し終えると、じいっと芳賀が見つめてきている。また顔が緩んでいただろうか?


「……ふっちゃんあなた、柔らかい表情すっごく似合うのに。ああでもずっとその顔でいられると私も仕事にならないし男どもが心配だ! もどかしい!」

「どういう理屈なんですか……?」

「じゃなかった! ふっちゃん一個大事なものの登録が抜けてる!」

「大事なもの……はっ、もしや」

「「ライン‼」」


二人声を揃えてしまった。慌ててラインの画面を立ち上げる。すると優秀なことに、友達かも? という欄に既にピックアップしてくれていた。恐る恐る追加するボタンを押す。登録が終わり、ホーム画面が開くと、そこには白い猫を抱き抱えた佐々木が映し出されていた。

写真のなかでも相手をほっとさせるような、温かさをわけてくれるようなそんな笑顔をしている。つられてこちらの頬も緩んでしまう。それにしても抱えている猫、でかすぎないか。


「芳賀さん、見てください」

「お⁉ まって、めちゃくちゃいい男じゃん!」

「写真写りめっちゃいいですね、羨ましい」

「ふっちゃん見るべきところはそういうとこではないと思うよ」

「?」


いい男、かぁ。なるほどたしかに、顔は整っているしそこそこがっつりした体型をしている。それに爽やかで暖かい。顔を見てしまうとだめだ。もっとよく知りたい、とそんな感情が溢れていく。それはまだあまり知らない人間であるとい興味からくるものなのだろうか。それとも……。

追加をしたので、何かひとつスタンプかメッセージかを送ろうかとも思ったが、悩んでそれはやめた。通知が出てすぐばれてしまうとそれはそれで何だか恥ずかしいし。



「ん⁉」


ゲホゴホと咳込む。正面にいた猪端がうわきったねぇなと避ける。失礼なやつめ。今は昼休憩の時間、社内で書類作成やアポ取り業務をこなしていた佐々木と猪端は揃って社員食堂に来ていたのだった。


「どうしたよ、好きな女優が結婚でもしたかー?」

「い、いやいやいやそうじゃなくて、ほらこれ!」


ずいっと今凝視していたスマホ画面を眼前に突き出す。今日これから連絡先を登録して、ラインも繋がれたらなと思っていたのだが……まさか先手を越されているとは。ポップアップに「万桜さんがあなたを追加しました」とのメッセージが出ている。


「万桜……気にかけてた女の子、万桜ちゃんって言うのか。めっちゃ可愛い名前だな!」

「そうだよな、それは思った。だが手だししてみろぶっ飛ばすぞ」

「えっやだ怖い……。そんなことしないよ……」

「本当だな?」


哀れ猪端はこくこくと頷いている。しかし不穏なやつは牽制しておくに限る。まあ流石に実際手出しはしないだろうが念のためだ。それにしても、あの店での表情とはまるで違う、にこやかにピースしているアイコンの中の彼女はこういってはなんだが、下心があったようでなんだが……とてつもなく可愛かった。


「猪端、俺は決めたぞ。」

「はー……予想できるけど一応聞いとくよ、なんなん?」

「俺は目の前でこの笑顔をしてくれるようになるまで精一杯サポートする!」

「あーそうね……そうだよね予想通りだわ頑張れ」


もうあの顔はさせない、せめて共にいる間だけでもこの笑顔にしてみせる。あんな落ち込んだ顔よりこの華開くような笑顔の方が当然ながら似合っている。あどけないこの笑顔を、きっと俺は引き出して見せる! と決意を新たにする。


「あーでもさでもさ、彼女何に悩んでるわけ?」

「うーん……この前聞いたところだと、仕事が忙しくて、要領悪い自分がダメなのは分かってるけどなかなか直せないんだってさ。勝手に一人で疲労困憊になっちゃうから自己嫌悪してしまうんだと」

「ふうん……じゃあ謀らずとも適役じゃんお前。良かったな!」


そう言って肩を叩かれる。痛い、物理的にも痛いしバシバシという音で集まる周りの目も痛い。たしかに自分は初めの頃とんでもなく要領が悪く、しょっちゅう粕谷に尻ぬぐいさせたり怒られたりしていたものだ。それが今はなんとかなり、とんとんと手際よくさばけるようになった。……まあそれは、今正面で蕎麦を啜っている猪端の助力もあってこそだったのだが。


「……ライン、送ってみようかな。」

「頑張れ頑張れ~」


登録を追加して、ポチポチと文章を打つ。

「こんにちは、昨日はありがとうございました、またカフェで会いましょう」

……いやこれなんか。なんか気持ち悪いな。

「またご飯しませんか」

……いやあれご飯じゃないな。


私的な挨拶文というのは考え始めるとなかなか難しい。何と書けば引かれずすっと受け入れてもらえるんだろうか。スマホとにらめっこをしていると猪端からできた? と催促がくる。少し待つよう伝えてメッセージに向き直る。書いては消してを繰り返し、誤って送信ボタンを押してしまわぬよう細心の注意を払って文章を完成させる。


「こんにちは、昨日はありがとうございました。ぎこちない感じになってしまってすみません。もしご都合よろしければ今度予定あわせるか、もしくはご飯にでも行きませんか。同僚にいわせれば俺は仕事の効率はいい方なんだそうです。お悩みの解決、手伝わせてください」


「これでどうだ!」

「ふうん、どれどれ。……おま、俺をダシにするんじゃねえよーしょうがないな! でも良し! それ送ってメシしてこい!」

「よっしサンキュー! 送る!」


緊張で震える指で送信ボタンを押した。後は返事を待つだけだ。どんな返事が返ってくるだろうか。文章のみか、スタンプもつけてなのか。……多分、文章だけだろうな。丁寧できちんとした文が返ってきそうだ。そう考えているとまたぽかぽかと胸のあたりが暖かくなる。休日出勤でもなんとか頑張れそうだ。

と、そこで蕎麦を啜っていた猪端が閃いたとばかりに喋りだす。


「あっそういえばその子、勤務先ドラッグなんだろ? 一回店舗見に行くのはどうだ?」

「流石にそれは気まずい……というか気恥ずかしい」

「じゃあこっそり物陰から伺う感じでいくのはどう」

「最早まぎれもなく不審者だ、却下」


いきなり何を言い出すかと思えば。ばっさりと提案を切り捨てて、佐々木も野菜炒め定食を平らげにかかった。



藤木は必死の思いで仕事を終わらせた。もう使用期限チェックは明日でいい、流石に疲れた。納品を頑張りすぎたせいで汗みずくで臭うし、早く帰ってお風呂に入って眠りたい。帰りの運転が心配になるくらいには眠気が襲ってきている。……仮眠して帰ろうかな、と考えながら荷物を整理していると、芳賀もタイムカードを切って上がるところだった。


「ふっちゃんおっつ~……ってあれ、なんか光ってない?」

「え?」


手元を見ると確かに手の中のスマホがチカチカと点滅している。何だろうかと電源を入れてポップアップを見てみる。


「「ーーーーーーー‼‼」」


二人して声にならない悲鳴を上げた。そこには「ささきさんがあなたを友達登録しました」のポップアップと、「こんにちは、昨日はどうもあり……」と途中まで表示されたメッセージが表示されていた。時間を見ると、十三時二十分のもの。既に五時間以上が経過している計算だ。


「は、芳賀さん、メッセージが」

「き、来てるね‼ よかったじゃんふっちゃん! ほらメッセージ開けてみ⁉」

「ええええ怖いです! 怖いです‼」

「なんでさー!」


だってラインって見たらわかっちゃうじゃないですか、すぐ返さないとだけど文章悩んじゃったら気まずいし、何より内容確認するのめっちゃ怖いです! と言い募る。


「だったら猶更ここで開けたほうがいいのよ!」

私が付いてるんだからアドバイスくらいしてあげる! といって背中をたたく。

すると意を決してメッセージを開いた。


「ささき こんにちは、昨日はありがとうございました。ぎこちない感じになってしまってすみません。もしご都合よろしければ今度予定あわせるか、もしくはご飯にでも行きませんか。同僚にいわせれば俺は仕事の効率はいい方なんだそうです。お悩みの解決、手伝わせてください。」


「やったじゃん! やったじゃんふっちゃん! ごはんのお誘い‼」

「…………‼」


藤木はスマートフォンを両手で持ちながら震えていた。正直、とてつもなく嬉しい。芳賀もよかったねぇよかったねぇ、と言いながらまるで犬にするかのようにわっしゃわっしゃと頭を撫でてくる。そこに通りかかった可哀そうな店長が、未知との遭遇を果たしたかのように無音で去っていくのが見えた。


「あっ、そ、そうだ返信、返信しなきゃ」

「そうだふっちゃん、頑張れ! 終わるまでここ居るからね!」

「頼もしいです芳賀さぁん……」


なんとか震える手で返信を打つ。途中で送信などしてしまわないように、よくよく気を付けて画面を触る。確か佐々木は休みが水日と言っていたか。……ならば。


「こちらこそありがとうございました。この前はご馳走様でした。頼もしいです、私もなんだか佐々木さんはばりばり仕事できそうなイメージを持ってます。ぜひ相談させてください。つきましては日曜日などいかがですか?もしご予定大丈夫なようなら如何でしょうか。」


「……どうですか⁉」

「…………業務メールかな? って感じする……」


つきましてはって! と芳賀が突っ込みを入れる。……たしかに、これでは堅苦しい。送る前に芳賀に見て貰えてよかった。

とりあえずつきましては、をそれでは、に変える。また何だか長ったらしい印象をうけるので、私も~以下を消す。


「……これでどうでしょうか先生?」おずおずと差し出す。

「……ん、滅茶苦茶簡潔だけどこれで良いと思います!」


頑張れ頑張れ! と声援を受けながらぽちりと送信ボタンを押す。お休みの日だからどうだろう。予定開いているだろうか。もしくは翌日が休みの土曜日の方がよかったのだろうか。しかし時すでに遅し、だ。せめて色よい返事が返ってきますように……。

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