第7話  モンブランと犬


テーブルには二つのカプチーノに、厚切り焼きバアムとモンブラン。そんな可愛らしいラインナップとは対照的に、ぎこちない表情で向き合う藤木と佐々木。二人とも時折テーブルのものに目を向けたり一口、ドリンクを飲んでみたり、結局静かなままである。

リラックスムードで満たされている店内において唯一、緊張感溢れる雰囲気を醸し出している一角だった。


「「…………」」


この状態になって早くも五分が経った。思わぬタイミングで再会した、そこまではいいのである。最初こそ会話はあったのだ。


「なんだかお疲れのようですね。お仕事お忙しいんですか?」

「ちょっと上司の無茶ぶりでばたばたしてしまって…。なかなかここへも来られなくて、遅くなってしまってすみません」

「いえ、約束していたわけじゃないんですから、お気になさらず」


……といった会話止まりだった。口を開いたり閉じたり、傍からみれば息苦しくなるような重い雰囲気なのだが、当の本人たちはそれどころではない。なにも進展がなくとも頭の中だけはフル回転である。そんな中モンブランを大きく一口、意を決して口を開いたのは佐々木だった。


「……この前は、すみませんでした。本当に突然の申し出でご迷惑おかけしてしまって……」

「え、いえ……たしかにびっくりしましたけどそんな。気にしないでください。」

「あの後思い返して、突然面識もない女性を捕まえて何を言ってしまったんだと。言われた方はさぞ怖かったろうと……」

「い、いえ……」


突然口を開いたかと思えば、随分としょんぼりとしてしまった。心なしか、くたりと垂れた犬の耳が見える……などと思考があらぬ方向へ飛びかける。考えることに疲れてくると突拍子の無い方に向かってしまうから危ない。また黙りこくってしまった藤木の表情をうかがうようにちらりと視線が送られる。


「あ……す、すみません、私……自分の考えを言うの、苦手で……どう答えるのがいいのかわかんなくなってしまって。でもあの、ほんとびっくりしたし色々と考えてしまいましたけど、今また会ってみたら心配していたような悪い人ではないんだろうなって思って、やっと安心できました。」


あの一件の直後に関しては怖かったというのは否定しませんが、今はもう大丈夫です、と付け足して言うと、表情が和らいでいく。成人男性に向けて言う言葉ではないのだろうが、良かった、と花開くように笑う様は天真爛漫というのがぴったりなくらいだ。

……悪い人ではないのだろう、多分。先程も、黙って考え込んでいたかと思えば口を開きかけてまた閉じて、ひどく頭を悩ませているのがはっきりとわかった。

不器用な人なのだろうな、と思った。お揃いだ、とも。しかし話すのにモンブランを食べて勢い付けるとか、本当に子どものようで面白い。そんな佐々木は、ぽりぽりと頬を掻きながら答える。


「それ、なんかわかります……どう答えるのが一番いいかな、伝わりやすいかなって考えて結局纏まらなくなってしまって、っていうやつですよね。俺もそうなんです。」


会話ってなんだかんだ難しいですよね。そう言ってはにかむ彼の顔をみると余計、心の中がとっ散らかって何をどうしたらいいのかわからなくなってしまった。どうしたって落ち着かない、何か動いていたい気持ちに駆られてしまう。知らぬ間に手元で折ったり引き延ばしたりしていたストローの袋は、もうぐしゃぐしゃになって転がっていた。


「……でも、できればで全然良いんですが。俺、何でも聞きますんで。急かしたりなんかしないし、否定もしませんから。だから……あまり考えこまず感じたまま話す、喋り友達になってみませんか。」もちろん何度でも言い直しとかオッケーなんで、と付け加える。

「……そんなこと。きっと気分を害してしまうだけですよ」

「いいや、それはないです! あんなことまでして貴女を引き留めたかった人間ですよ、俺は。烏滸がましいでしょうが、助けになりたいと思ってしまったんです。」

「……そんなに酷い顔してましたかね? 私。」

「……酷い顔っていうか、失礼ですがいろいろすっぽ抜けたような。抜け殻みたいな顔してました」

「……そんな顔を見られてたんですね。……えっ、恥ずかしい」

「こちらこそ不躾にすみません……。でもなんかそれで、なにか話聞けたらなあって。ちらっと見えた時から何か助けられることってないかなあって考えてたんです」

「それで、ああして声をかけてくれたんですね。……カウンセリングとか、そういうお仕事されてるんですか? 名刺には営業さんとありましたけど……」

「いえ、実はそういうのは全く。あ、そういえば名刺渡しただけでちゃんとした自己紹介はまだでしたよね。佐々木景人と申します」

「……あ、すみません。私名刺持つような職業じゃなくて名刺のお返しができないんですが……。藤木万桜と申します」

「なんだか可愛らしい響きのお名前なんですね。どういう漢字を書くんです?」

「ああ、こういう……藤、木、万、桜……こうです」


名刺がない代わりに、持ち歩いているメモ用紙に名前と連絡先を書いて渡す。…こちらだけ向こうの連絡先を知っているだけというのはフェアじゃないし、と自分を納得させる。なんてことはないただのメモ用紙なのに、ありがとうございます、と丁重に名刺ケースへと収納されていくのを不思議に思いながら見送った。


「……俺は、名刺の通り医薬品の卸に勤めているんです。藤木さんはどういったお仕事されているんですか?」

「私は、ただの登録販売者です。少し離れたとこにあるドラッグストアに勤めていて……あ、そうするとなんだか似たようなこと仕事にしているんですね私たち」


そうですね、とふにゃりと笑う。こちらまでぽかぽかしてくるような笑顔だ。その笑顔に何だか陽だまりを思い出しながら、頼んでもらった食べ物に一切口をつけていなかったことに気が付く。


「佐々木さん、ケーキ食べながらお話ししましょう。なんだかお互いに緊張しいみたいですし。」

「そうですね。あ、このモンブランすごい濃厚に栗が主張してて美味しい。」

「ん、こっちのバアムも厚焼き部分がザクザクした食感で中はしっとり……美味しいです。」


ここのバアム、美味しいって聞いていたんですけどなんだかんだチャレンジできてなくて。おかげさまで今日口にできました! と素直に感想を述べてみる。


「そうなんですね、それはよかった……本当に」


そうこうして二人ともモンブランを厚焼きバアムをぺろりと平らげた。甘いケーキとほろ苦いカプチーノがよく合う。今回はカフェオレでなくカプチーノにしていて良かった。

と、その時ちらりと壁際の時計が目に入った。針は九時四十分を指している。ということは……もうすぐ十時? 閉店の時間?

と、そこで佐々木も視線に気づき、時計に目をやる。え、え⁉ と突然慌てふためく様子がなんだか可愛かった。


「すみません、もうこんな時間だったんですね⁉ な、長らく引き留めてしまって申し訳ないです……!」

「いえ、私も今目に入ってびっくりしていたところなんで……! もうこんな時間になってたなんて、まだ九時過ぎたくらいかと思っていました。」

「俺もそれくらいかと。今日はもうこの辺りにしておかないとですよね、明日もお仕事ですか?」

「ええ。佐々木さんも明日も?」

「いや俺は明日は休みで。水日で休みなんです」

「へえ……固定休かあ、いいなあ」

「藤木さんの方はシフトですか、大変だなあ」


また、良ければご飯でもしましょう、と笑う。良く笑う人だなあとか何だか幸せそうだなあとか。自分とはあまり縁のなさそうな人生を歩いている暖かい人の香りがしたように思った。例えるなら、日向ぼっこした後の優しい匂い。

——なんだかさっきからこの人からわくイメージが陽だまり、ひなたぼっこ、と暖かいものばかりなのに気が付いて、不思議に思う。


「それじゃあ、今日は会えて良かったです、……本当に」

「こちらこそ、もう会わずに終わるのかと思っていましたから、良かったです。……では、また」


なんだか、妙な人と妙な縁ができたものだなあと思った。別れた後も、胸中は太陽みたくぽかぽかと暖かい。押しも強いのか弱いのかわからないし。面白い人がいるものだ。その日就寝するころまで、胸のぽかぽかは続いた。

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