第4話 焦燥 前編



 芳賀と相談会をしてから、今日で早四日目。藤木は件のカフェの壁際の席に陣取っていた。いつもの席、前回と同じ場所だ。

手元にはまだ温かいカフェオレと、読みかけの推理小説。結局悩みに悩んで色恋沙汰の大先輩の言葉を信じてみることにしたのだった。

何事も素人判断よりも先達に頼るのが無難というもの、自分の苔むした予測より先輩の推理のほうが多分安心だ。それに…怖いけれど少しだけ、もう一度会ってみたいなと思ったのだ。

考え始めてからどうにもあの絡んだ目線が、光を受けてきらきらと飴細工のようになった瞳が、頭にこびりついて離れない。人と目を合わせることの苦手な藤木にとって、一瞬とはいえ目線が絡んだのは印象付けに大いに影響を与えたのだ。

しかし、声をかけられるのを待つというのはいささか緊張する。残念なことにほぼ本の内容が頭に入ってこない。緊張を解すために随分久しぶりにオーダーしたカフェオレを口に含む。甘い。


実のところ、相談した翌日にも藤木はこの店に足を運んでいた。当日はなかなか気持ちの整理がつかず自宅でうんうんとあらゆる可能性を考えては悩んで終わったことを芳賀に感知されたのだ。

「絶対今日行ってきなさい!」と約束させられて、ここへ来た。しかし、一日目は何事もなく平穏に終わったのだった。その日も本を読み食事を取りつつ二時間ほど居座っていたのだが、いつも通りの平穏な時間だった。てっきりこのくらいの時間居座っていればすぐに見つかるだろうと踏んでいた藤木は、拍子抜けした気分で帰路についたのだった。

……そういえば、何曜日のいつ頃に来ているのかすら聞いていなかった。それではすぐに会うことができないではないか、とちょっぴり残念に思う。良い方向であれ悪い方向であれ、あってみなければなにも始まらず思い悩む時間がそれだけ増えるのだ。あの人もよくこの店に足を運んでいるみたいだし、まあ早々に会えるのだろうが……。

思いがけず、帰り道に少し残念なような、楽しみなような不思議な気持ちが生まれて驚いたのは記憶に新しい。不安だの怖いだの言っておきながら、今のところ芳賀の言うような不審でない人物を期待し始めているのか、と我ながら不思議に思う。


ふと振動に揺すられ思考の海から帰ってくると、テーブルに置いたスマホがチカチカと光っている。今日もまたいつの間にか二時間が経ったようだ。ずっと同じ姿勢でいた肩や腰がバキバキに固まって痛い。こんなに時間をかけておきながら本はちっとも読み進まず、犯人捜しの推測も伏線探しもままならない。おまけにカフェオレは冷え切った。

諦めて本を閉じ、カフェオレを飲む。ミルクの甘さの中にしっかりとコーヒー豆のほろ苦さが残っていて冷えても美味しい。やはりこの店からは動きたくないなあ、とぼんやり思った。


いつも通りにマスターへ「ごちそうさまでした」を言い店を出る。

事件の翌日も、あれから五日目となる今日も、自分がここに来ているのはいつもと同じ時間帯のはず。あの人は良く見かけていると言っていたということは、つまり向こうも同様の時間帯に来店しているはずなのだ。それも、あんなことの後なのだから来店の頻度を増やしていてもおかしくはない。

それなのに未だ会えないとは、悪い予想の通り暇つぶしにでも使われたのだろうか。あの時で色よい返事がなかったので面倒になったとか。もしくは、ああいうドッキリを仕掛けて相手がどういう反応をするのか見て楽しむ悪戯だったり、ネットか何かで笑いものにしたりしているとか。そういえばそんないじめも一時期あったっけ、等々。

一度考えだしてしまうと、考えが悪い方へ悪い方へと転がっていくのがよく分かった。このまま考えるのは精神衛生上良くない。こんな寒空の下、それも夜道に考えることではない。上着を掻き合わせ、歩を進める。


嫌なことも頭を過るが、あれから私がここへ来たのはまだ二回目だ。きっとタイミングが悪く会えていないだけ。たとえ悪い予想通りであっても、私はあの時は驚いて何も言えなかっただけで、そういうのは結構ですと伝えるために通っていたという事にすれば何も面白いことはあるまい。

だから、大丈夫、大丈夫。何も恐ろしいことはない。明日、また先輩に相談してみよう。またひなたぼっこをしながらでも。でも芳賀となら休憩室でもいいな、などと意識的に思考をずらす。

ドキドキと焦る心臓を抑えつつ、藤木は歩く。やっぱり、あの日よりもなんだかずっと寒く感じる。もうそんな時期だっただろうか。


「はあ⁉ 会えなかったって、二度も店行って⁉」

「はい。二日とも、二時間ちょっと居座ってみたんですけどね、全くです。」


芳賀は思いもよらぬ後輩の報告に思わず席を立ちあがった。珍しく二人被った休憩時間、喜々として話を聞いてみれば全く酷い答えが返ってきたものだ。後輩から行きつけのカフェで常連と思われる男性からぎこちないがなりふり構わぬアプローチがあったという相談を引き出して、これはきっとすぐに実る、などと心躍らせたのはもう六日も前の事だ。

実際話を聞いたのは事件の翌日だから、実質あれから一週間たっている。まさかと耳を疑うというものだろう、普通。


「でもさでもさ、向こうもしょっちゅう来てるって言ってたんだよね? あんなこと言っといて来ないってのはありえない……あっもしやふっちゃん、気合入れてメイクガン盛りしてった?」

「言っていた言葉が嘘でなければですけどねー。メイクは盛ってないです。……やっぱり、悪戯されたパターンだったんですかね!」


なんだか悔しいですけど、気まずいですしお店これから変えてみます、とわざとらしく明るく言ってのける藤木に芳賀はなんだか無性に苛立った。


「ふっちゃん! よく聞きなさい。」

「は、はい⁉」

「あともう一回だけ行ってみよう。だって何曜日に、とか約束してるわけでもないんでしょ? すれ違いって事もあり得るからさ! ね。それでまた同じようなら……うん、きっぱりすっぱり忘れちゃおう。ご縁が無かったってことでさ!」

「……たしかに、そうすれば諦めもつきますね!」可愛い後輩はふにゃりと笑う。


そんでその日の夜は一緒にお酒のもうよ~! と誘う。

この子は相性が少しでも合わないと感じ取った男ははねのけられる子だ。昔その関係で嫌な思いをしたんです、と言っていたのをよく覚えている。そのおかげであの子は理想が高いとか真面目過ぎる、なんてこそこそ話をされていたりもするのだけど、そうではなくて精一杯の自衛であることを芳賀は知っている。

社会人となってからしか彼女のことを知らないが、知る限りではおっかなびっくりでも初めて接してみようとしている男性なのだ。これのせいで、やはり悪戯だったのだ、そういうものなのだと諦めて初めから心に壁を作ってしまう子になってほしくはなかった。

なにより今、泣きそうな顔で相談をもちかけてきたこの子をどうにかして笑顔にしてあげたかった。その為なら背中なんていくらでも押してやる。

その日の夜。


「で、では行ってまいります!」

「うむ、連絡を心待ちにしておるぞふっちゃん!」


なんならラインで実況してくれてもいいのよん、といいながらウインクを一つ飛ばしてみる。くすくすと笑う藤木を駐車場から見送る。心なしか少し緊張気味な顔をしていたが、少しは気が晴れただろうか。

時刻は現在午後七時半すぎ。これからならば店に八時には着けるだろう。良い出会いでありますように、と柄にもなく空を見上げて祈ってみたりなんかした。


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