第2話 佐々木景人


随分と過ごしやすい季節になった。じりじりと照り付ける夏から、凍えあがるような冬へと。その間に瞬く間に過ぎ去ってしまう秋が一番好ましい。

そんなことを思いながら行きつけのカフェへと佐々木は足を踏み入れた。カラン、とベルが鳴り、ちらりとマスターがこちらを見る。いつもの光景だ。

ここは駅近ながら団体客や中高生のたまり場にもなっていない稀有な店で、落ち着く雰囲気が損なわれておらず佐々木にとって最もリラックスできる場所だった。

この前までのような入店した途端のひやりとした空気がなくなり、心地よい温度に保たれていることがまたなんだか嬉しかった。


「ケーキセットで、ドリンクはカプチーノでお願いします。」


いつものお決まりのカプチーノとケーキのセットを注文する。ほろ苦いカプチーノ、その至福の泡々と甘いケーキというのが極上に美味しいのだ。同僚の猪端には「女子みたいだな」などと言われるが、この魅力を知らないなどもったいない。

淹れ終わったカプチーノとケーキを受け取り、いつもの定位置へ。この席は入り口からちょうど真っすぐ歩いた辺りにあり、人の出入りが少ない分落ち着ける。また店内を一望できることから人間観察をしたり一人で考え事をしたりするのにもちょうどいいのだ。


実はこの夏、同僚たちがこぞって夏休みとして一週間ずつ休暇を取っていった。

そのため佐々木は「まあ給料の嵩ましにもなるし、別に行きたいところがあるわけでもない」と今年は連休なしに働くプランだったのだが、上司の鶴の一言で急に連休を取らされてしまった。

期日は来週後半から五日間。そのため、連休までに間に合うようようばたばたと仕事を繰り上げて片づけていく日々で、疲労困憊していた。


「佐々木待たせたな! 来月連休取れ。というか取らなきゃいけんのだから取れ。連休スルーするつもりだったろう、そうはさせんぞ。遊んで来い! あ、土産は頼んだぞ。俺ご当地饅頭がいいな。」


とかほざく上司の戯言が恨めしい。ため息をつきつつ、どう五日間の休みを有意義に使うか、今日明日辺りで決めてしまわねばと観光サイトを覗く。

この季節はまた一層難しい。紅葉狩りや食欲の秋で人が観光地にごった返しているはずだ。それはちょっと避けたい。ではどういう穴場があるだろうか…。できれば静かに、浸れるところがいい。


佐々木は幼い頃から寺社仏閣や城郭が好きで、両親に連れていってもらいよく観光に行った。そのため、皆がこぞってサッカーや野球に精を出していた頃には孤立したものだ。

歴史遺産の重厚感、技術力に魅入っていた少年は必然的に歴史にものめり込んでいった。よく興味のある人物の小説を図書館で借りてきては教室の隅っこで読書に耽っていたものだ。

そんなものだから、観光サイトを見ているとどんなに小さくても史跡の紹介が載っているのには目ざとく気がつく。……そういえば、最近城見に行ってないな。仕事して食べて寝るだけで……。

そう思うとなんだかとても侘しく、実りの無いことを重ねているだけのような気持ちになってくる。

まあ、五日もあるのだから遠くの史跡に泊まりで行くこともできるし、近場をいくつか回ってみるのも悪くない。今までに行ったところに行きなおしてみるのもまた違った発見があっていいかもしれない。

ちょっとくらいならいいか……と、オフのスイッチが入り久方ぶりの趣味の予定に心を躍らせ始める。

急遽の休みだったので調整の苦労もあり、ついさっきまでは上司を恨んでいたものだったが、今となっては感謝の気持ちで溢れそうだ。沢山お土産を買って帰って来よう。

ならばやはり少し頑張って遠方に泊まりに行った方が良いのだろうか…。


ああでもない、こうでもない。旅行の始めの醍醐味として悩みに悩み、一端休憩としてスマホから目を離す。どうしたって目的地が「史跡」だけではなかなか決まるものも決まらないものだ。

どうしたものかな……と店内を一望してみると、何故だろうか。壁際の席に座っている女性が目に入った。


コーヒーカップを持って、スマートフォンや本を手にするでも、パソコンを開くでもなく只々ぼんやりと宙を見つめている女性がいたのだ。

そういえば、いつだったか一息つきにこの店に立ち寄った時にも見かけた気がする。たしかその時も同じように、カップだけを手にしてぼうっと宙を見ていたはずだ。

なんだか気にかかってしまい、相手が呆けているのを良いことに佐々木はまじまじと女性の様子を観察することにした。幸いといってはなんだが相手はこちらに背を向けている。鏡越しに表情を伺う形になり、まず気付かれる恐れはない。


それにしても何故だろうか。見覚えがあるような気がする。他にどこかで会ったのだろうか? 取引先の人か? しかしよく見てみても、「この前ここで見かけたな」くらいの事しか思い出せない。

それどころかつい、手入れが行き届いているロングの髪が綺麗だなとか、意外と使い込まれたしっかりした指がかっこいいなとか、そういった所に目が吸い寄せられてしまう。

やましい気持ちがあるわけではないのだが、その人の仕事や性格のスタイルが出ているようで興味深い。

だがやはり、既視感を感じるのはその顔なのだった。うんうんと悩み、時折店員から怪しい人物かなというような目線を感じてはスマホに目を落としたりしつつしばらく考え込んで漸く辿り着いた。

——ああ、違う。見覚えがあるのは、あの表情そのものだ。


 佐々木が中学生の頃だ。よくある通り、クラスは概ね三グループに分かれていた。活発なグループ、穏健に遊ぶグループ、所謂オタクグループ。そしてそこから漏れていたのが佐々木と他数名の、何かに一人でのめり込んでいる者達だった。そのバラバラな数名の中にその少女はいた。

溝木というその少女は、休み時間には読書をしていることが多かった。しかし時折、頬杖をついてぼうっとして、ため息をつく。その様子から察するに、いつも何かしらの考え事に耽っているようだった。その横顔にどきりとすることもあった。……淡い初恋の思い出。あの頃は愚かしくも、気に留めずにいた。

しかしあれは、思い詰めている顔ではなかったか。彼女はあまり他人と話すのを楽しむこともなく、しても会話が長くは続かなかった。皆が夢中になっているような芸能人のスキャンダルや新曲のことも興味がないし、知ろうともしない……それが気に食わないなどと、嫌がらせを受けていた頃もあったようだ。

たびたび三者面談が行われるような深刻さを呈していたようなのだが、佐々木含め誰しもがどうしたらいいのかわからなくて、結局何もせずに遠巻きに見ているのみだった。


そして二年の夏休みが終わろうかという頃。塾帰りの彼女は交通事故で亡くなったのだと連絡網で伝え聞いた。事故の目撃者曰く、彼女が車道に飛びだしていったのだということだ。

誰の証言ともわからないような根も葉もない噂だったが、それは妙に信憑性を帯びて学校中を駆け巡っていった。そして、この事故は同じクラスだった佐々木たちにも自分たちは加害者であるという悔恨を胸にしかと植え付けていったのだった。

止まなかった嫌がらせ、傍観していただけの自分たち。きっと今でも忘れているものはいまいと佐々木は思う。あの時何ができたのだろうと自問自答しても、あの頃の自分にはできっこない大人の自分としての意見しか思い浮かばなくて、やるせない。

もし今あの頃に戻って何かしようとしても、結局何もできないのだ。子どもにできることというのは限りがある。それにその後自分の身をどう守るかの対策も考えねばならないとなると、今考えたところで何かできたとも思えなかった。

その事実は溝木から「貴方たちは何も成長していない」と突き付けられているような気持にさせた。

しかし学校とはクラスを一単位にした団体行動を前程とした空間だ。最も力のあるグループに目を付けられても構わないと女子を庇えるような心意気があるならば今更後悔に沈みなどせずに済んでいる。

今でこそ止めてみせよう、友達になろうとも思えるが、当時はそんなヒーローにはなれなかったのだ。


ああ、そうだ。あの女性は溝木に雰囲気が似ているのだ。できることならば何か、今度こそ。「してあげたい」などというものではない。「しなければならない」という義務感が佐々木を揺さぶる。

しかし、知人でもない男に突然「お悩みではないですか、僕でよければご相談にのりますよ」などと主張されても恐怖や不信感で一杯になるだろう。

不審者として通報されかねない。通りすがりのナンパ男と思われても嫌だし、何か良い取っ掛かりはないだろうか……。

そうして佐々木が暗中模索してうんうん言っている間にも女性はふと顔をあげ、コーヒーカップを一気に煽った。佐々木が気づいた時には女性は既に席を立つところで、慌ててこちらも席を立つ。

一先ずスマホと財布をポケットに突っ込む。店を出てしまう前に声をかけないと。彼女、もうカップの返却口にいる。人を避けながら慌てて追う。もうドアへ向かっている。ちょっとまってくれ、頼む。ドアをくぐった。追って店外へ走り出た。


「あ、あの、すみません!」


すんでのところで声をかける。女性は立ち止まってきょろきょろと辺りを見渡し、ぽかんとした表情で振り返る。


「えっと、なにか・・・?」

「いや、あの、」


よかった、止まってくれた。そう安堵する間もなく、ごくりと生唾を飲み、腹を括る。もう話しかけているんだから後戻りはできない。ええい、なるようになれ!


「よく、このカフェへ来られてますよね? 俺もよく来るので、ついカフェ友ができたらなって思っていたんです。突然すみませんでした。……あと、最近お疲れのようなので、今度お見掛けした時はケーキでも奢らせてください。」


あ、これ名刺です、と営業用の名刺を渡す。それじゃあこれでと会釈をして店へ戻る。心臓が早鐘を打っているし、店員はずっとこっちを見ている。でも後悔はない。

やるべきことをやったのだ、俺のエゴでいい。嫌なら通報してくれて構わないし、困っているのなら力になる、絶対に。

そうしたすっきりした心持ちで残りのカプチーノとケーキを平らげにかかった。


そこでふと、社用携帯の番号の記載のある名刺を仕事関係以外で渡してしまったことに気が付き、上司から叱責があるかも——などと考えたが、まあ、それでも結構。これでいいんだ、今度こそ。

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