出会いの生まれる喫茶店
東屋猫人(元:附木)
藤木万桜と佐々木景人
第1話 藤木万桜
とかく、この世は生きにくい。
ある有名な作家が言った言葉だそうだが、至極もっともだと思う。ただ食べていくだけでも浴びるようにストレスを被りながら働いて、職場では人の顔色や時間を伺う。そして円滑に仕事が回るよう配慮して動く。
そうしていると、しっかり仕事をこなそうと思えば一日八時間などでは全くもって足りず、サービス残業必至になってくる。しかしそれらは社員という立場では当然のことで、異議を唱えようものならお上から周りからお叱りが飛んでくるだろう。
そんな社会でこの先何十年も働いていかなければならないのか…。しかしそうしないとご飯を食べてゆけない。……生きていけない。
そんなことを考えていると、時折水中にいるような感覚に襲われることがある。息が苦しくて、平衡感覚を失ったような感覚。そういう時に思い出されるのだ。「とかく、この世は生きにくい」と。
残念ながら今ではすっかり身に馴染んでしまったのだが、そういえば初めてそう思ったのはいつ頃だっただろうか……。藤木万桜はカプチーノを手に思い出への旅へ出た。
——ああそうだ、始めは確か、高校へ通っていた頃だったはずだ。高校三年、今回で漸く最後となる体育祭。「応援幕の作成を一緒にやらないか」と友人に声をかけられたのがきっかけだった。そういった黙々と出来ることは好きだったので、喜んで承諾した。
応援幕作成とは、想像以上に手間と時間がかかるものだった。まず図案や配色の考案から始まり、テーマに沿った材料選びと提案、材料の収集。朝や放課後、ひいては休憩時間を捧げての作成業務。
誘ってくれた友人は実行委員会にツテもあるし、まず仲の良い彼女とならば問題など有って無いようなものだ、と思ったのをよく覚えている。最後の思い出作りにもなるし、と二つ返事で話に乗ったのだが……。
実際は、彼女は塾が、家が、と称しほぼこの件に関して手を付けずじまいで終わった。そのため丸投げされた藤木は後輩数人と共に右も左もわからぬまま作りあげる他無くなってしまい、受験勉強も投げてまで応援幕づくりに奔走する羽目になったのだ。
忙しいなら忙しいで、せめて物品の申請場所や申請できるものの共有事項くらいこちらにも教えてくれれば良かったのに。それすらも引き継ぎなどしてはくれなかったのだ。
そのため、というと言い訳がましいが、涙と怨念のこもった応援幕は率直に言って褒められた出来ではなく、今思い出しても苦汁を飲む心地がする。寝不足で大いに時間を割いて作ったあの応援幕は、藤木にとってもう二度ともう見たくない負の遺産だ。
材料・時間・人手の不足、門限があるとのことで二、三十分だけ手伝い帰るもう一人の友人の相手、後輩が大型のヒーターの裏からほっくり返してきた発酵してパンパンに膨れ上がったペットボトルの処理(失敗して破裂した時の悪臭といったらなかった)。
それから眠気疲れ寒さとの戦い。受験が迫る切迫感。しかし、そうしてギリギリの状態で制作した応援幕の完成という成果を褒められるのは——結局バックレた友人だった。藤木の存在は見向きもされず、良いように使われ打ち捨てられたのだ。
……裏切られた気持ちだった。正直者が馬鹿を見る、とも思った。褒められなくていい。この出来は何だと怒られるのでもいい。せめて自分に対してリアクションが欲しかった。
しかし、そこで「いやそれは主に私が作ったんですが……」と手をあげて主張できるほど強気なタイプの人間であれば違った結末を迎えただろう。
しかし藤木はむしろその正反対の性格だった。奔流となってせり上がってくる感情を何とか飲み込み、俯き耐えるしかできなかった。
この性格は治るどころかますます程度を濃くし、今では陰気な根暗になっていたのだった。
あの時に気づいてしまったのだ。社会では人望を収集出来る人間、声を大にして主張できる人間にこそ権利が与えられるのだと。しかし自分がどれほど努力しようと容易にそういう人間になれるはずもなく、しばらくの間虚しさに苛まれたものだ。
嗚呼、華の女子高生生活よ、希望に満ちた人生よ。さようなら。
拙いコミュニケーション能力、応援幕の一件からの拗れ具合と深い人間不信。……それでどうして青春など出来ようものか。
大学入学後も、痴話喧嘩に巻き込まれ友人を失ったり、唯一付き合った彼氏にはモラハラをされて泣く泣く振ったりなど、人間不信に拍車をかけるような出来事が相次いだ。
卒業後の今も、結局自分をのみ頼りにして仕事をしているから抱え込むものが多くて過労、過労だ。
その結果、自ら心と身体を酷使し過ぎたがために頑張りたいが頑張れない、或いは頑張ってはいけないはずなのに頑張れてしまうなどという、心と体のバランスがちぐはぐな大人になってしまった。
怪我が治れば心が弱り、心が治れば身体を壊し。挙句に出会うはパワハラ上司。消極的に生きれば泥沼に沈み、積極的に生きれば糞を踏む。最早田舎に引っ込んで祖父母宅の掃除係をしていたいとさえ思う。
こんな水中でなど、到底生きていける気がしなかった。
しかし、そんな自他ともに認める不運の女の藤木にも、ささやかな楽しみはある。
音楽、演劇、書籍、そして絵画。けして詳しいわけではないし、まして作る技術を持っているわけでもない。ただ唯一、心安らぐのがそういった類のものだったのだ。
気に入ったものがあれば遠慮なく取り寄せ、心を慰めて日々をやり過ごしていた。その中でも特に絵画などは物心つく前から描くことを好み、進路を一旦は絵に向けたこともあった。しかし今から進路を狭めるものではない、との両親の進言に藤木は膝を折ったものだ。
……あの時、無理を言って絵に進んでいれば、人生少しは違っていたかもしれない。こんな水中じゃなくて大空を気持ちよく羽ばたける、そんな人生が待っていたのかも。
表現の世界では自己表現を大っぴらにせざるを得ないのだ。もしかしたらもっと自己主張に抵抗のない人間になっていた可能性は存分にある。
……しかし、その道に進めなかった理由はある。たかだか中学生の段階で将来を決めてよいものかと悩んだこと。そもそも進学の出資をするのは両親だ。
それに、趣味でなく実技としての絵をカリキュラムでこなしていくというものにも耐えられるのか否か。——もし堪えられなかったら。趣味で描いていたから楽しかったのであって今は……と嫌気を差してしまったら。私はこれからどうして生きていけばいいんだろう。そう、思ってしまった。
つまるところ自分はそうして後々からいくらでもうじうじ悩むし、やりたいことに思い切って飛び込む勇気をふるうこともできずにいるだけの宙ぶらりんの半端ものだ。周りに最も嫌われるのもこう言った手合いだというのもよくわかっている。
現実の情けない自分から逃げたくて、未だ諦めきれない夢を逃げ道にしているだけだ。現実に向かいきれないことも、夢を捨てきれないことも、思い切って夢に飛びこめないのも、遣る瀬無い気持ちを生む一因でしかない。
煮え切らないのも当然だ。それなのに努力して変えようともしない自分というのは……。人というのは成長ありきだ、そうすると自分には存在意義があるのだろうか?
しかし一方で変に頑固なところもある。これは曲げないという事だけは周りがドン引きしようがやってしまうのだ。
売り場が汚いと思えば「もう帰りな」という周りの声も流しながら徹底的に掃除を行い、気がついたら始業してから十時間働いていたといったような具合である。
この頑固さを自己肯定感に活かせれば良かったのにと嘆いても、三つ子の魂百までだ。もう人生変えるほど大胆に自分の性格に矯正をかけるなどやはり無理だ。
つまるところこのままこの人生、せめてチャンスがあれば逃さず捕まえるくらいしかできないのだ。
と、ふともう手の中に温かみのないことに気が付く。冷めたカプチーノを一気に煽った。せっかくの泡もしぼんで張り付いてしまっていて、カフェオレのようになったコーヒーのみが喉を滑る。
とかくこの世は生きにくい。周囲の人間に関しては当てはまるのかどうかいささか疑問だが、少なくとも私はその通りだとしみじみ思う。この感覚はみんな持っているものなのだろうか。……それとも、ひとりぼっち?
幼いころは活発でやりたいこと一直線、と明るかった藤木も今は後悔と迷いと自己嫌悪でがんじがらめになってしまった。それは温かかったはずのコーヒーが冷え切り、ただの苦水と化しているのと重ねて思わずにはいられなかった。
こうして藤木は煮詰めた脳みそを抱え日常へと戻る儀式を繰り返している。また変わらない日常が待っている。特に面白みのない、時折特大のバッドニュースが入るような、そんな毎日だ。ただただその繰り返しの人生だ。
きっとこれからもそうで、いつかどこかのタイミングでぽっくり死ぬか、どこかこの世界の隅っこの方で、一人で皺くちゃのおばあちゃんになるのだろう……そう思っている。これからも、同じ息苦しい日々が続くのだ。
マスターへ「ごちそうさまでした」といつも通り声をかけ、いつもの日常へと足を踏み出した——。
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