Extra.01 天才少女の思い出

その1

「才華ちゃん、弥くん。きょう私出かけるから、お遣いお願いするね。メモとお金、置いておくから。でね、まだ弥くんはこのあたりのこと知らないでしょ? 買い出しついでに案内してあげて、才華ちゃん。天気がいいからお花見できるわよ。お金はお昼ご飯のぶんも込みだから、ね?」

 入学式まで残り数日、桜がまさに満開となった花盛り。おばさんからの一方的な連絡の場である朝食の食卓で、ぼくはお買い物の使命を与えられるのと同時に、才華とのデートの権利を手に入れた。

 おばさん、ナイスアシスト。

 正直な気持ち、このチャンスを心待ちにしていた。別に才華とそのうち恋仲になりたいとかそういうことは親戚だから感じないのだけれど、高校生になって、それこそ付き合っている人でもいなければ、女の子とふたりきりで出かけることなどそう滅多にないことだ。

 それに、家の外、おばさんがいないとき、ふたりきりでの才華がどんな様子なのかに興味がある。

 たぶん、いつもの調子なのだろうけれど。

 現に、才華はハムを挟んだロールパンを半分ほど残して片手に持ちながら、焦点の合わない目。何か気になることを発見し、その解決を目指して思考を巡らせているとみえる。

「……ウズベキスタン!」

 正直もう、わけがわからん。



 そんな才華ではあったけれど、いざ時間になって姿を見せた彼女には驚かされた。

 ベージュのトレンチコートに、白と黒のボーダーのシャツとデニム。暖かい色合いのコートがかわいらしく、見た目にはクールな才華がそんなアウターを羽織っているというのは、なんというか、そそる。かといってそのコートだけでは少々くすぐったく、ジーンズの青と白黒とがうまく引き締めている。やはり、長身の才華には細身のパンツルックが良く似合う。才華が併せ持つ「綺麗」と「かわいい」とが両方ともストレートに引き立てられている。

 あかん、こんなおしゃれな才華がぼくと並んで歩いたらまったく釣り合わない。女の子と出かけるのに慣れていない中高生男子が着る洋服といえば、チェックのシャツと相場が決まっている。

 それにぼく、才華よりわずかに背が低い。一センチ……いや、八ミリくらい。ちょっと恰好がつかない気分になる。

 ウキウキした気分が一瞬にして緊張に変わってしまい、気後れするドキドキがはじまってしまった。

 一方で、才華は気合を入れているわけではなく、そして、まったく緊張しているわけでもない。玄関を出て鍵をかけ、いよいよと思ったら、歩いて行った先は道ではなく家の脇。少し待つと、自転車を押して戻ってきた。

「え、自転車?」

「もちろん。買ったものをわざわざ手に持って帰るなんて、疲れるでしょ」

 そりゃそうだけれども。

「でも、ほら、歩いていけば桜も落ち着いて見られるだろうし」

「ドラッグストアのレジ袋を持ちながら?」

 こだわるね、随分。

 才華はどうやらこのお出かけに一切特別な意味を見出しておらず、昼食や周辺案内などのイベントも、お買い物と同格のミッションとしかとらえていないらしい。ということは、わざわざゆっくりする必要はないし、より楽な手段として自転車を考えるのも当然だ。せっかくおしゃれをしておいて自転車に乗るという神経は、正直あまり理解できないけれど。

「まあ……いいか」

 出かける前から期待外れと決めつけてはいけない。これが才華のスタンダードなのだから、むしろ、これからまだ何か楽しいことがあると思ったほうがいい。何なら勇気を出してぼくのほうから何か誘ってみてもいいのだ。

 ぼくも大阪から連れてきた愛車に跨り、才華の先導に従った。



 街案内を兼ねているから、てっきり窪寺駅周辺の店に向かうのかと思いきや、行き先は正反対の方向だった。

 線路に沿って南北に伸びる広い道路を北に十分ほど進む。道路の両側は民家か畑か、という駅前に比べるとあまり楽しみのなさそうな地区だ。才華の目的地は、スーパーやドラッグストア、書店などが一体となった商業施設だった。大きな立体駐車場が併設されていて、どうやら近くの住宅街や団地に住む人々がよく利用する場所のようだ。

 駅前に行けば何でもあるけれども、こっちは駅前ほど賑やかではないし、一か所にいろいろな店舗がある「穴場」とでもいうべきスポットだ。ここで暮らすには憶えておいても損はない、そういう場所を才華は教えてくれたのだろうか。

 ドラッグストアで買い物を終え、才華からレジ袋を受け取る。

「で、買い物は終わったけど、次はどこに行くの?」

 施設の中央部はホールのようになっていて、エスカレータも用いて別の店へ移動できる。お昼にはまだ早い時刻、何をして過ごそうか。

「どこって、そこだよ」

 才華はくっと向かいの食品売り場を顎で示した。案内看板やエスカレータを素通りしてすたすた歩いて行こうとするから、ぼくは焦って引き留めた。

「え? 何か買うものが残っていたっけ?」

「お昼」

 ぼくの問いに、事もなげに応える才華。

 つまり、弁当か何かを買って家で食べようということか? そんなの、おばさんの厚意が台無しだ!

 念のため、才華に問う。

「ここってさ、普段遊びに来るところなの?」

 すると、彼女は怪訝そうに顔をゆがめた。

「いや、来ないけど」

 その表情は、ぼくにこう訴えている――そんなこと、訊かなくてもわかるでしょ?

 確かに、ここは若者向けの施設とはお世辞にも言えない。園芸店やリサイクルショップ、婦人服店、書店などが揃う一方で、飲食できるような店はなく、それこそ流行の洋服を提供するような店はない。そもそも、店内を歩く人々の中に、ぼくらと同世代の年齢層は見てとれない。

 ここはあくまで、生活のための商業施設。そこに来る才華の目的も、気の利いた案内などではなく、生活のため。

「お昼は、お弁当かおにぎりにしようよ。外食よりも安く済むからね」

 ぼくは、きょうのお出かけがまったく期待外れのものだったと結論しよう。期待したとおりにはなりそうにない。たぶん、いまからぼくが強引に遊ぶ提案をしても、全部却下されてしまうだろう。

 きょうは、同居人の性分を新しくひとつ発見した――この子は、ケチだ。



 才華の自転車の前かごには弁当の入ったビニール袋、ぼくの前にはドラッグストアの黄色い袋。

 もう帰るのか、と小さく漏れる。ぼくの嘆息に、彼女は気づいていない。

「あれ? そっちだっけ?」

 店の敷地を出た才華が走り出した方向は、ぼくたちが店に来たときとは反対方向のように思えた。この地に慣れないぼくが憶え違えているだけだろうか?

「うん、間違ってないよ。上水のほうに行くから」

 ジョウスイ? どこだろう?

 結局土地勘のないぼくは才華に黙ってついていく。最初は近道をするのかと思っていた。しかし、どんどん家から遠ざかっていくようだ。次に、ぼくに道案内をしているのだろうかと考えた。でも、それだったら駅の周辺を教えてくれるはずなのに、窪寺の中心街からはますます離れていく。

 やがて踏切を渡り、住宅街の中に入っていく。交差点を何度か曲がり、進路としては北西に向かっているらしい。一駅か二駅くらいは走っていると想像する。目的地を尋ねても、才華には答える気がない。黙って自転車を進ませる。

 そのとき、ふと目の前を何かが横切った。

 視線を右へ向けると、家々の屋根と青々とした空とのあいだに、

「……桜が見える」

 と、気がついた。



 才華の目的地は、水道沿いの緑地にある公園だった。

 そこは桜並木になっていて、その花と、青空と、キラキラ光る水面とが作る美しいコントラストを一度に楽しめる場所だった。公園を見守る位置にあるベンチにあえて反対向きに腰かけ、水道の柵のほうを向くと、この景色を独占できる。

「穴場だね、これは」

 玉に瑕といえば周囲に人家が目立つところと、足元の雑草がじめじめしているところだが、それでもぼくは、いままでにない最高の花見を楽しんでいる。大阪でも家族と花見をしたことがあるけれど、お酒が入ってちょっと賑やかすぎるきらいがある。それと比べると、鳥の声が聞こえるほど穏やかな時間が心地よい。

「朝子おばさんのところで下宿しはじめてから、桜が咲くとここに来るの。中学から毎年一回、きょうで四度目だね」

 弁当の沢庵をぽりぽりと咀嚼しながら、満足げに才華は微笑む。そういえば、きょう初めて彼女が笑う顔を見たような気がする。

 ここにきて、才華のファッションが映えて見えて、ついつい見惚れてしまう。おしゃれな女の子と並んで座って、花見をしながらお昼――それまでの経過はともかくとして、シチュエーションとしては最高やないか!

「まったく、考えていることはちゃんと伝えてほしいよ」

「ん? 何か言った?」

「いいや、綺麗だなぁって」

 案外、悪くなかった。


 ……ところで、水道の反対側には、テラス席がおしゃれなカフェがある。ぼくの見間違えでなければ、桜が開花している時期の限定メニューが五百円だそうだ。才華はこちらを提案するほど気が利くわけではないらしい。

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