第3話 少女軍師の誕生

「この男は、ただ父さまの名声が欲しいだけなのです」

 ひれ伏す劉邦を見ながら、冷たい声で胡蓉は言った。


「始皇帝の命を狙った策略家を配下に持つとなれば、他からの見る目も違います。そうでしょう、劉邦どの」

 劉邦は身体を起こした。座っていてもその長身は際立っている。


「それは勿論ではないか」

 悪びれもせず、劉邦はその髭面に笑みを浮かべた。


「ご覧になっただろう。先程の二人を」

 すでに彼らは退出していた。

簫何しょうかは役人あがりで、まつりごとには明るい。一方、樊噲はんかいは絶世の勇者と言って良い。わしの自慢の配下なのだ。だがな」

 劉邦は言葉を切った。


「いかに秀でておっても、奴らでは人を惹きつける看板にはならない」


「本人を前にしてよく言えるものだな。看板になれ、などと」

 胡蓉はほとんど呆れていた。どこまで図々しいのだ、この男。

 正直過ぎていっそ清々しいほどだ。胡蓉は苦笑した。


 しかし、張良は笑っていなかった。

「劉邦どの。あなたは陳勝になるおつもりですか」

 張良は反乱の先駆者の名を挙げた。あの男と同じように反乱軍をまとめ上げ、秦と対決するつもりなのか。


「ええ。だがわしなら、もっと上手くやる。……必ず、秦を滅ぼすだろう」

 髭面の男は真剣な表情だった。

「今、こうして張良どのと出会えたのは天の巡り合わせに違いない。是非わしと一緒に来てくれないだろうか」

 そうして、深々と頭をさげた。


 心は決まった。


 張良はすぐに劉邦の集団に合流しようとしたが、胡蓉は強く制止した。

 黄石公に与えられた薬の効果なのだろう。視力もある程度回復し、起き上がれるまでになってはいたが、軍旅に従うのはまだ無理だった。


「それでは、私と共に始皇帝の命を狙ったものがおります。その者に私の名前を継がせ、劉邦どのに従わせましょう」

 残念がる劉邦に、張良は言った。


 ふむ、それも悪くない。しかし、と劉邦は唸った。

 かの陳勝、呉広も、旗揚げ当初は著名な将軍の名を偽って名乗り、いわば箔をつけていたのである。常套手段と言うことはできる。

 だが結局は力不足を露呈し、自壊してしまったのが、なんとも気がかりであった。単なる虚仮威こけおどしに終わっては逆にまずいのである。


「ご心配なく。その者の才は私を凌駕しております。きっと上手くやるでしょう」

「なんと。そのような方がおられるのか。それで一体、何処に?」

 そのような方であれば、たとえ足蹴にされようと、伏して我が陣営に加わっていただきますぞ。劉邦は興奮して腰を浮かせた。


 はしゃぐ劉邦を見ながら、胡蓉は嫌な予感がした。

 その予想通り、父は彼女の方を見たのである。そして、静かな声で言った。


「胡蓉。そなたは今日から、張良の名を名乗るがいい」


 張良、あざな子房しぼう

 これが彼女の新しい名前となった。

 そしてこの名前は、後世、中国の歴史に燦然と輝く名前となるのだが、今の彼女がそれを知るよしも無い。


 彼女は全身の力が抜けた。

 劉邦も口を大きく開けたまま、へたへたと座り込んだ。

「こ、この娘なのですか、張良どの」


 

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