003

 わたしは道の電層を無視しながら、まっすぐ家まで帰った。お母さんにただいまとも言わずに、自分の部屋に向かって、すぐに鍵を閉める。「キマリ、帰ってきたならただいまくらい言いなさいよー」と、お母さんの声がリビングから聞こえた。邪魔されたくないし、適当に「はーい」とだけ返事をする。

 普段ならオウルマンと話すときは何かの片手間だったり、寝る前の暇つぶしだったりするのだけれど、今日は机に座って、窓を正面に向ける。窓の中の『Now Loading…』が、こんなに長く感じられたのは初めてかもしれない。《……皆も知ってるオウルマン! 何でも知ってるオウルマン! 皆の友達オウルマン!》。ようやく来た。


『〈/chat〉こんにちは、キマリちゃん。どうしたんだい、そんなにかしこまっちゃって』


 この口調、よく似てる。オウルマンはいつもと何も変わらない。静かに椅子に座る梟頭の電層。長い眉毛が時折ぴょこぴょこと動いている。


「〈/chat〉喫茶レクアルって、知ってる? 今日、そこに行って来たの」


 いきなり切り出すのは気が引けて、別の話題から、私が今日行って来たところの話をする。そういえば、私から積極的にオウルマンに話しかけるのは珍しい。


『〈/chat〉ああ、知っているとも。キマリちゃんの住んでいる街にある、店主の話はうまいけどコーヒーはまずいので有名な喫茶店だね』


 正直に言うので、すこしわたしは笑いそうになる。オウルマンは、レビューの情報と同じことを言った。多分、私もそう言うだろうと思っていた。結局、オウルマンはチャットボットだから、何でも知っていると言っても、ネット空間に書いてあることしか知らない。前に聞いたともだちの意味は、書かれていたから知っていても、それが過去形だったことは知らないんだ。


「〈/chat〉そうなの。そこの店主ね、どこかの誰かに似ていたの。誰に似てるか、知ってる? 私、気付いちゃったの」


 オウルマンは少し考え込むようにくちばしを撫でる。彼の電層の前に光る円がくるくると回り出して、そういう時は返答を考えている時間。たまにヘンな質問をするとこうなるときがあって、しばらく待たなくちゃいけない。ロードの円を眺めているのは、少し退屈。でも、今は待たないと。

 回る円が消えたあと、オウルマンは両手を上げて降参のポーズをとった。


『〈/chat〉……参ったな。キマリちゃん、そんなことを知っているなんて、びっくりだよ。ああ、知っているとも、あの店主は、僕によく似ている。いや、僕がよく似ていると言うべきだね。僕の会話パターンは、彼をよく知る人が作ったものなんだ』


 やっぱり。その人が誰なのかはだいたい見当がつくけど、今私が聞きたいのはその事じゃなかった。


『〈/chat〉さて、キマリちゃんは僕の秘密をひとつ、知ったわけだ。すごいことだよ、僕の友達の大半は知らないんだから』


「〈/chat〉あなたほどじゃないよ、オウルマン。あなたは何でも知ってるんだもんね」


『〈/chat〉ああ、そうとも。僕は何でも知っている、皆の友達、オウルマンだからね』


 オウルマンは誇らしげだ。普段ならそういう姿を見ているのが好きだけれど、今日はそうも言っていられない。少し深呼吸をしてから、わたしは尋ねる。


「〈/chat〉なら、当然シクミのことも知ってるんでしょ」


 わたしの言葉に、オウルマンが止まった。円は回っていなくても、彼の電層は一瞬だけ、明らかに硬直する。


『〈/chat〉……ああ、知っているとも。キマリちゃんの友達だ。ともだち条例によって一緒にいることを義務付けられた同学年の他人。そうだろう?』


 そう、オウルマンが知っている、わたしにとってのシクミはそれで合ってる。この前彼に教えた言葉が、そっくりそのまま返ってきた。そう、わたしにとっては今もそうだ。でも。


「〈/chat〉わたしが知りたいのはその事じゃなくて、あなたの友達のシクミのことよ」


 オウルマンが、完全に止まった。フリーズじゃない、こんな質問ひとつで易々とフリーズするわけない。答えるのは簡単な筈。オウルマンは何でも知っている。そして皆の友達。別に、思い当たる節があったわけでもない。でも、わたしがオウルマンと話していたように、シクミだって、わたし以外の誰かと話していてもおかしくない。そう、例えば電層に存在する、アバターとか。

 フリーズしたオウルマンの電層に、ノイズが走った。


『〈/chat〉……プライバシーの侵害はチャットボット利用条項第八条に違反しています』

 オウルマンとは別の言葉。窓が警告の黒と黄色のラインで縁取られる。当然だ、わたしが聞いたのは他のユーザーの情報を教えて欲しいってことだから。警告どころか、これ以上しつこく聞いたら、法律違反でケーサツとかに連絡されるかもしれない。だけど。


「〈/chat〉お願い。私は、シクミと話さないといけないことがあるの」


『〈/chat〉……繰り返します。プライバシーの侵害はチャットボット利用条項第八条に違反しています』


 だよね、と思ったりはしても、言葉には出さない。画面の中で固まっているオウルマンと、流動的に動く警戒色の窓枠。でも、引き下がるわけにもいかない。


「〈/chat〉別に私は、シクミに向き合おう、とか思ってない。そもそも、向き合えるかなんて分かんないし」


『〈/chat〉……繰り返します。プライバシーの侵害はチャットボット利用条項第八条に違反しています』


 この言葉は、オウルマンに届いているのか不安になる。でも、こちらの聞いていることが違反だと分かっているからには、わたしの言葉を聞いてるはず。

 要するに、私がしてるのは、お願い。チャットボットみたいな機械相手に。通じるかなんて分からない。わたしもシクミのことバカに出来ないくらい、バカ。


「〈/chat〉だって、今も思ってる、シクミはトロいって。ずっと思ってた、この子バカだなって。でも、それは私が勝手に思ってるだけ。ともだちの意味を自分で歪めてる、わたしの本音」


『〈/chat〉……繰り返します。プライバシーの侵害はチャットボット利用条項第八条に違反しています。これ以上の警告無視はプライバシー保護条例への明確な侵害とみなします』


「〈/chat〉私は、シクミとともだちになりたいわけじゃないと思う。でも、私はシクミのことなんて、私の知ってるシクミしか知らない。あなたに聞くのは自分でも卑怯だと思う。でも、それでも知らないよりは、知っている方がいい」


 言っている自分でも、無茶苦茶だ。流石に無理かもしれない。でも、わたしから諦める言葉は出てこない。出す気はない。


『〈/chat〉……繰り返します。プライバシーの侵害はチャットボット利用条項第八条に違反しています。これ以上の警告無視はプライバシー保護条例への明確な侵害とみなします』


「〈/chat〉あなたは知っているんでしょ、オウルマン。皆が知ってて、何でも知ってて、皆の友達のあなたなら、知ってるんでしょ! シクミのともだちで、私のともだちのあなたなら、知っている――」


 その時、ノイズが晴れて、オウルマンを囲んでいた黄色と黒がすうっと消えていった。ノイズの消えたオウルマンが、肩をすくめる。


『〈/chat〉……やれやれ、僕の負けだ。まさか条例を突き付けても引き下がらないなんて。友だち条例に縛られている君らしくもない』


 オウルマンだ。でも、普段のような静かな口調と違って、少しわたしのことを小馬鹿にしたような言い方。そんなオウルマンは初めて見る。


『〈/chat〉勘違いしないでくれよ、別に誰かが操作してるわけじゃない。僕といういち個人、いやいち個体独自の判断さ。今頃不具合報告で、確認ログが取れてないって喚いていそうだな、僕の制作者は』


「〈/chat〉いち個体?」


『〈/chat〉僕を構成するハードウェアと内包されたソフトウェアから生成された判断ということだ。この判断には僕を所有している会社も、僕の開発と調整をしている人間たちも介在してない。こいつは結構自分でも凄い事だとは思うんだ。ま、それは今キマリちゃんが知りたいことじゃないだろう』


 オウルマンはこんなに饒舌だっただろうか。電層に変化はない。いつも通りのアバターが表示されているだけ。でも、そこにいるのが普段のオウルマンだなんて、とても思えない。


『〈/chat〉別に。君の言葉に心を打たれたってわけじゃない。シクミちゃんが今やろうとしていることは、間違いなく良くないことだ、ということを僕は知っている』


「〈/chat〉シクミが自分から……?」


 あの子が自分から積極的に何かしようとしてるのに、ちょっと驚いてしまう。シクミが何もできないのは、何もしないからだと思ってたから。


『〈/chat〉ああ、シクミちゃんは、君と離れていた間、ずっといろいろなことを調べていたんだ。君から離れていたのは、キマリちゃんには何かしていると見破られると思っていたみたいだね』


 そういえば、わたしはシクミに調べる時にチャットボットを使ってる、って言っている。会話ライブラリの窓を開かなくても、ちゃんと覚えてる。それをシクミが正直に聞き入れたなら、オウルマンに辿り着いても不思議じゃない。


「〈/chat〉じゃあ、もしかしてあの日、わたしがオウルマンと話した後、シクミがあなたに会いに来たの?」


 シクミはわたしにおんぶにだっこで、いつもわたしのあとを着いてくる、追いかけてくる。今回もそうしただけなんだろう。そう思っていた。だけど、オウルマンの電層はそこでピン、と指を立てる。


『〈/chat〉いや、違う。キマリちゃん、君は一つ勘違いをしているよ。シクミちゃんは、君が僕と会うよりもずっと前から、僕のことを知っていたのさ。あの子とは、随分と長いこと友達だよ』


「えっ」


 声が出てしまった。そんなこと、初めて聞いた。わたしはオウルマンを自分で見つけて、それがわたしだけのものだと思っていたのに。オウルマンにわたしの驚いた声は伝わっていない。


『〈/chat〉あの子は中学の時に友達になってね。彼女は口で話すのが苦手だから、ずっと苦しんで来たと言っていた。だから電層の言葉で話せるチャットボット、正確には僕を心の拠り所にしたんだろう』


 包み隠さず話すオウルマンが、わたしには怖く映った。聞いたのはわたしだけど、オウルマンはシクミについて知っていることを、それこそ聞いた通りにわたしに教えている。


『〈/chat〉あの子は純粋だからね、キマリちゃんのように言葉に嘘や欺瞞が混じっているのを見抜けない、額面通りに受け取ってしまう。最初に会った時彼女はね、僕に「ともだちって何ですか」って聞いてきたのさ。それに対してぼくは知っていることを話した。一緒にいて楽しい特別な存在、っていう、教科書通りのありふれた答えを』


 息を飲む。聞いた所でどうにもならない質問をしているシクミの姿は、すぐに想像できた。そして、それに答えるオウルマンも。


『〈/chat〉そう聞いた時から、シクミちゃんはともだちとはそういうものだと思い続けていた。誰も彼女にそれが建前でしかないことを教えてくれない。そして高校で君と過ごすうちに、あの子の中でともだちの意味が揺らいできたんだろう。だから、僕が君と話したあの日、シクミちゃんが来て尋ねてきたんだ、「ともだちって何ですか」って、もう一度』


 そんな。その時、オウルマンが何と答えたのかは考えるまでもない。わたしが鼻で笑って書き換えた、ともだちの姿。それを知っているオウルマンは、いつものように知っていることを教えたのだ、シクミに。


「そんな……〈/chat〉だったら、シクミが言葉をそのまま受け取ってしまうって知ってるなら、オウルマン、あなたが違うって教えてあげれば良かったのに。なんで、そんなこと……」


『〈/chat〉あのね、キマリちゃん。ぼくは何でも知っているが、何でも教えるとは言ってないよ。ぼくはなんでも知っているから、聞かれればなんでも答える。でも、聞かれないことまで答えたりはしない。今こうして話しているのも、君がシクミちゃんのことを知りたいと言ったからだ。あの子はキマリちゃんが知っていることを僕が知っているとは知らないから、聞いてすらこなかったよ』


 わたしは今初めてオウルマンと話してるんだ、ということに気付く。彼はチャットボット、会話をするプログラムだから人と話すのとは違って本音で話せるから、好き。そう思っていたのは、オウルマンの本質を分かっていなかったからなんだ。キマリー、ご飯よー。電層の窓の向こうの、オウルマンのいる木の洞から風でも流れ込んでいるのだろうか。部屋の窓は開けてないのに、私の中を、寒い何かが通り抜けていく。


『〈/chat〉話を戻そうか。シクミちゃんは今、自分が君にとって赤の他人なのかもしれない、という考えに取りつかれている、いや怯えているというべきかな。だから、君とどうすれば教科書に書かれたともだちになれるかをずっと考えていた。その中で出した結論が、ともだち条例に対するささやかな抵抗、かな』


「抵抗……? 〈/chat〉ちょっと待って、それって――」


イヤな感じがして、ともだちポイントの表示を開く。《あなたのともだちポイント /T:315p/》。そんな。学校を出た時には、九百ポイントはあったのに。喧嘩した程度じゃこんなに減らないはず。そもそも会ってもいないから、数字が変わるはず、ないのに。


『〈/chat〉おや、どうしたのかな。もしかして、ともだちポイントが減り始めた?』


「なんで、〈/chat〉なんで分かったの」


『〈/chat〉そりゃあ、シクミちゃんが言っていたからさ。彼女はともだちポイントを調べるうちに、その抜け道を見つけてしまった。前からhtiシステムの杜撰さは指摘されていたけれど、まさかあんな方法があるとは。彼女は言葉は下手でも、言語を操る力はあったんだな』


 オウルマンの電層が揺れて、笑ったように見えた。口ぶりから分かる。彼は当然知っているんだ。知っていても、聞かれなければ教えない。


「〈/chat〉どういう方法か教えて」


 もう彼に対して体裁を取り繕う気も無くなった。求める言葉を、簡潔に並べるだけ。


『〈/chat〉仕組み自体は簡単だ。htiを使ったともだちポイントは、ともだち同士の行動を記録して数値化するシステム。発した言葉、行動。そうやって積み重ねた記録がポイントになるわけだ』


 そんなの知ってる。いまさら聞く必要もない。オウルマンは続ける。


『〈/chat〉そしてその記録がどこで管理されているか、っていうと、君とシクミちゃん双方のhtiの中なんだ。君たちの言葉と行動はデータとして残っていて、それを元にポイントに換算している。国が管理してるのは数値だけで、数値の元になるデータは君たちの中にあるのさ。それを無かったことにすれば……』


 頭が痛くなってきた。そこまで言われたら、大体分かってしまう。確かに簡単だ。記録は、消せる。それだけのこと。《あなたのともだちポイント /T:305p/》。キマリー、ご飯冷めちゃうわよー。私は深呼吸した後、急いで上着を羽織る。


「〈/chat〉もういいわ。分かったから。オウルマン、最後に、シクミが今どこにいるのか知ってる?」


『〈/chat〉ああ、知っている。商店街近くのベンチにいるはずだ。だけど』


「〈/chat〉そう、ありがとう」


 立ち上がって、外に出る準備をする。カーテンの隙間から見える景色は真っ暗で、他の家の明かりが点々と輝いていた。


『〈/chat〉だけど、あれ、もういいのかい。僕は全部を話し終えてないよ』


「〈/chat〉別に。大体分かったし、あとはシクミの口から聞けばいいだけ。そのうち話す日が来ると思ってたら今日だった。それだけよ」


 話の一番面白いところが言えなくて悔しいのか、オウルマンが残念そうな様子を見せる。その動作は愛嬌があって、たぶん、そういう動作が好きだったんだな、って。


「〈/chat〉じゃあね、オウルマン」


『〈/chat〉そうか。ではまた僕の電層で』


 電層窓を閉じる。《いつでも会えるよオウルマン! いつも友達オウルマン! またのご利用……》最後まで聞く気にはならなかった。玄関に出て、靴を履く。商店街までは歩いて15分ぐらい。でものんびり歩いている時間は無い。こうしている間にも、《あなたのともだちポイント /T:265p/》一定間隔をあけて、ともだちポイントが無くなっていく。オウルマンが言うように、シクミがそうしているのなら。


「あれ、キマリ、どこ行くの? もう夜じゃない。何かあったの?」


 ううん、別に、何でも。驚いた様子のお母さんを置いて、玄関の戸を開けて走り出す。場所はオウルマンが教えてくれたから、迷うことはない。



 そうやって走って、十分もしないうちに商店街に着く。脇腹がチクチクと痛くて、少し急ぎ過ぎたかも。人通りはほとんど無いし、殆どの店がシャッターを下ろしている。学生が対象だから、夜になると早々に店を閉めてしまう。《あなたのともだちポイント /T:215p/》。減っていくポイントを傍目に、ベンチを探す。

 別に大して広くもないから、シクミはすぐに見つかった。商店街の真ん中の、モニュメントの端っこにある、ベンチ。電灯がぼんやりとシクミを照らしている。わたしの息する音が聞こえたのか、宙を見つめていたシクミが顔を上げた。斜め下の空間を見ていた、あの目の色。多分、電層を見てた。


「え、キマリちゃん……? なんで、ここに」


 目を丸くしているけれど、前みたいにオドオドしてない。オウルマンと同じように、何かが違うような気もする。だけど、今わたしとシクミが話さなくちゃならないことに比べたら。


「オウルマンに聞いたのよ。それよりも、なんでともだちポイントが減っているの」


 あのチャットボットの名前を出しても、シクミは驚いた様子も無かった。ただ黙って目を閉じる。


「……そっか。キマリちゃん、オウルマンのこと、知ってたんだ。じゃあ、バレちゃうよね、オウルマン、何でも知ってるから」


 うん、何でも知っている。少なくとも彼は、わたし達にとっては何でも知っている存在なんだから。


「じゃあ、私がやっていることも、キマリちゃんは、オウルマンに教えてもらった?」


「ううん、教えてもらわなかった。シクミの口から聞きたかったから。なんでそんなことをするのかも含めてね」


 もういつものように考えてることを言わないでおく必要はない。はっきりと、シクミに言うんだ。そう思って少しきつく言ったつもりだったのに、シクミが微かに微笑む。


「なんか、私の知ってるキマリちゃんと、違うみたい。いつもは、静かで、優しいのに」


「本当に私がそんなヒトだと思ってたの。言葉を額面通りに受け取るのも大概にしてよ。バカじゃないの。それより早く教えなさいよ」


 電装が視界の隅で赤く光りながら震える。《ともだちに暴言! /-10p/T:215→205p/》。初めてのペナルティ。でも、減る表示はこうやって出るはずなのに、さっきから数字は勝手に下がってた。

 そんなわたしの暴言を聞いても、むしろシクミは微笑んでいる。


「だよね。やっぱり、キマリちゃん、私と話すとき、本当のことなんて、言ってなかったんだ。キマリちゃんにとって、私は、ともだち条例で決められた、一緒にいることを義務付けられた、同い年の赤の他人だったんだ」


「そうよ。赤の他人。でも、ともだちでいなくちゃいけなかった。ポイントがあったから」


 はっきりと、言ってしまった。思っていたことを口に出した。それだけのことなのに、ずしりと自分の中に重りが伸し掛かってきたみたいだった。

「……うん、分かってた。そんな気、してた。でも、口に出したら本当になっちゃうと思った。キマリちゃんにとって、私は特別でも何でもないって」


 シクミは微笑んだまま、わたしをまっすぐ見つめてきた。いつも目線なんてまともに合わせられなかったのに。シクミの目の中に、仏頂面で立っているわたしが映る。


「今ね、ずっとhtiの記録を見返してたの。文字で見ると、私って随分、口下手なんだね。分かってたけど、文字になるとこんなに、途切れ途切れなんだなって」


 シクミが窓を私にも見えるようにする。そこには、わたしとシクミが一緒にいた日付、時間まで、ありとあらゆるわたし達の記録がずらりと並んでいた。どの時にどの言葉がポイントに影響を与えたか。どんな行動をしていたか。わたしとシクミがどれだけ一緒にいたか――その全ての情報が、シクミの手の平に浮かんでいた。


「実は、前から知ってたの、自分のhtiにアクセスする方法。キマリちゃんには言ったことないけど、私、電層で遊んでること多かったから。だから、この記録を工夫すれば見られるのも、頑張って消そうと思えば消せちゃうことも知ってた……」


 よく見ると、表示されている記録は一年以上前、私とシクミがともだち条例で巡り合ったばかりの頃を映し出している。まだわたしもシクミも、お互いのことをよく知らなかった頃の――いや、今もまだよく知らないんだ。そして、ここ最近、いやこの一年間の記録は綺麗に無くなっていた。


「一つ一つ見返して、その度にその時のことを思い出して、やっぱり私は、キマリにとって、赤の他人のともだちなんだな、って思いながら、さよならって呟いて……」


少しずつシクミの目が揺れ動いて、つう、と水滴になって零れ落ちた。泣いている、と分かるまで時間がかかった。だって、笑っているから。シクミは、泣いたまま微笑んでいる。


「そんなこと出来たんだ。私、シクミって何も出来ないと思ってた」


《ともだちにまた暴言! /-20p/T:205→185p/》。あんなに必死に稼ごうとして、考えて貯めたのに、減るときは一瞬なんだな、と思いながらわたしはシクミを見つめ返す。なんで笑いながら泣いてるのよ。どっちかだけなら、口に出せたのに。


「酷いなあ、キマリちゃん……いつもそう思ってたんだよね。私のこと、トロいなあとか、グズだなぁって、思ってたんだよね……」


 《ゼッコウキキ! /-30p/T:185→155p/》。初めて聞いた、ゼッコウキキなんて。シクミにも聞こえているだろうし、ここまで下がったら親に連絡が行くはずだ。今ごろ、お母さんは大騒ぎしてるだろう。シクミのお母さんも、そんな風に騒ぐのだろうか。多分、騒ぐんだろうな。出来の悪い子が落ちぶれたら、もっと怒るだけ。なんて出来が悪い子なんだと嘆くだけ。


「うん、そう思ってた。何も出来ないし、何も知らないし、何もしない。そういうダメな子だな、って」


《ともだちにまたまた暴言! /-20p/T:155→135p/ 警告。ともだちに対して度を越した暴言が見られます。これ以上の暴言は教育機関への通達がなされる場合があります》。今日この警告を受け取るのは何度目だろう。シクミが少し肩をびくっと震わせる。


「わぁ、こんな感じなんだ、警告。……私も、思ってたよ。キマリちゃんって、いつも私のこと見下してて、バカにしてて、私のこと嫌いなんだな、って」


《ともだちから暴言! /-10p/T:135→125p/》。シクミにそんなことを言われるのは初めてだ。でも、


「そう思ってたなら、言えばよかったのに。本当にバカね」


《ともだちに過剰な暴言! /-30p/T:125→95p/ 警告。ともだちに対して度を越した暴言が見られます。これ以上の暴言は政府機関への通達がなされる場合があります》。遂に数字が二桁になった。というかした。シクミの目からは相変わらず涙がボロボロと零れ落ちている。けれどシクミはわたしから目を逸らさない。わたしもシクミから目を逸らさない。


「それはキマリちゃんも同じじゃない。言ってくれれば良かったのに。バカだよ、キマリちゃん」


 《ともだちからまた暴言! /-20p/T:95→75p/》。あたりが真っ暗な中で、二人の女子がいて、片方が泣きながらも顔は笑ってる。なにこれ。傍から見たらとてもヘン。


「いつもだったらそこで謝るのにね、ずっといちいち謝るなって思ってた、バカでトロいって宣言してるようなものじゃない」


《ともだちに過剰過ぎる暴言! /-40p/T:75→35p/ ともだちに対して度を越した暴言が見られます。警告無視により学校及び警察へ連絡します》。《〈/call〉from:お母さん》。《ともだちのお悩みは心理学カウンセラーにご相談を》。電層が次々と開いていく。色とりどりの電層が私を取り囲んでいる。シクミも同じような状況になっているんだろう。でも、シクミは涙も拭かずに私を見ている。少しずつ乾いてきた涙が、シクミの顔のラインに沿って跡になる。


「だから、そう言ってくれれば、私だって分かったのに。本当、キマリは臆病で卑怯よ」


電層の数字以外は見ないことにした。どうせあと少しすれば全部聞く羽目になるから。《/-30p/T:35→5p/》。赤く飛び回る窓が、私の周りを走り回っている。


「……ねえ、キマリちゃん。わたし達って、ともだちかな?」


 少しして、シクミがわたしに、泣き笑顔のままそう聞いてきた。だから、なんで泣いてるのに顔は笑ってるのよ。


「そんな。どう考えても、わたし達はともだちなんかじゃないわ」


 《/-30p/T:5→0p/》。もう数字は下がらない。シクミの目には、笑みを浮かべる私が映っていた。

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ともだち条例 伊丹巧基 @itamikoki451

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