第4章

第32話 問答

 暗く締め切った部屋だった。その中に無数の魔法陣が、浮かんでは消え浮かんでは消えを延々と繰り返していた。


 だが、突然そこに異音が走る。それは大勢の足音。完全武装の兵士たちがその部屋に押し入ってこようとしていたのだ。


「うふふふふ。あー失態、失態だよ。僕としたことが、心当たりが多すぎて、君の事をすっかりと忘れてしまっていた」


 家の外、馬車の中でその様子を眺めるのは国王の秘書長である魔女だった。彼女は物見遊山で現場の指揮を買って出た。


 その家の主は、ハリス・リンドバーグ。稀代の天才魔術師にして、魔術医療の大家である。


「さっ、いざ天才魔術師の工房へ、皆元気に行ってみよう!」


 あの時、感じた門へのリンク。一部始終を観察していた視線の先。その先へと魔女はたどり着いていた。

 罪状は適当にでっち上げたものだ。兎に角ハリスを殺しさえすれば門の制御を取り戻すことが出来る。

 遊び半分、お使いイベント感覚で、魔女は魔境へと乗り込んだ。


 不幸なのは現場の騎士団だった。彼らは碌な情報も与えられず、異界へと繋がる扉を開けてしまった。

 そこで待ち受けていたのは――


「なっ、なんだこりゃ?」


 それは部屋中に刻まれた魔法陣。それも秒ごとに自動に切り替わり、締め切った室内はまるで銀河の中の様相だった。


 先頭を行くものが、思いのほかあっけなく開かれた扉から一歩足を踏み込んだ、踏み込んでしまった。


「こりゃいった――」


 そのセリフを最後まで言い終わらずに、彼はその場に倒れ落ちた。


「おい! だい――」


 それを追ったもう一人も、部屋に一歩踏み込んだと同時に倒れ込む。


「ヤバイ! 部屋に入るなここは危険だ!」


 倒れ込んだ2人は、白目をむいて泡を吹き痙攣していた。何かの防衛魔術が此処には仕込まれていることは明白だった。


「んふーふ。何か楽しそうな事になってるみたいだねー」


 その様子を眺めていた魔女が悠々とした足取りで現れる。


「うひゃ、こりゃ酷いや。まさか門の力をこんな事に使ってるとはね」


 魔女はニヤニヤとそう嗤う。


「私に何か御用かね」


 そうこうしている内に、いつの間にか集団の背後に件の教授の姿があった。油断していた筈は無い。だがいつの間にか現れたその存在に、騎士団員たちは、驚愕の表情を浮かべつつも、彼を取り囲んだ。


「いやいや全く、大したもんだよ先生」

「君に先生と呼ばれる筋合いはないな、異界の住人よ」

「うふふふふ。いやー一目で看破か。こりゃーやっぱりアデム君に会うのは遠慮していた方が賢明かな? いや楽しみかな?」

「用事は何だね私はこれでも多忙の身、出来れば今すぐ引き返って欲しいのだがね」

「んふーふ。そう言う訳にもいかないね、君には王国の至宝を盗み出した容疑が掛けられている。それを返してもらわないと。僕だって手ぶらじゃ帰れないさ」

「さて、何のことを言っているのか皆目見当が付かないな」

「ふっふっふー、弁明は署で聞こう!

さっ皆さん。せっかく出て来てくれたんだ、これ幸いと取り押さえて見ちゃってくださいな!」


 魔女の号令に、それまで戸惑っていた騎士団員は我に帰って一斉に取り掛かる、しかし――。


「え?」「へ?」「は?」


 ハリス教授へと飛びかかった騎士団は、なぜか互いとぶつかり合った。組みつきがかわされたのではない。すり抜けたと言っていい感触だった。


「幻影か!?」


 それを見ていた騎士団の1人が本体を探し視線を泳がす。だが、それに対するハリス教授の答えはこうだった。


「幻影と言えばそうかもしれんな」

「くくくくく、やはり君は天才だ」


 落ち着きそう言うハリス教授を前に、魔女は目を細めてこう言った。


「まさか見様見真似どころか、話を又聞きしただけで次元魔術をモノにするとはね」


 魔女の答えに、ハリス教授は頷くでも無く、氷の様な冷徹さで、ただ立っていただけだった。





「皆帰っていいよ。あーあとあの部屋に入った2人も一緒に連れて帰って、ただし部屋に入っちゃうと廃人になるから気を付けてねー」

「そんな、秘書長殿」

「良いからいいから、ここは僕が何とかするよ」


 魔女は訝しがる騎士団を押し返し、教授と二人きりになる。


「いやーまさか、門のリソースを全て計算に利用するとはねー。でっ? 先生、それで君の求める解は得れそうかい?」

「不明。だが可能性は零ではない」

「その前に人間の寿命なんてとうになくなっちゃいそうだけど、その点は心配ないみたいだね」


 魔女は教授を眺めながらそう言った。

 姿形は確かに前の教授そのものだ。だがその中身は既に別物、彼は人間以外の者に成り果てていた。

 その過程にはオリバ・メイヤーの魔術も取り入れているのだろう。ハリスがオリバと接触した裏も取れている。

 彼は手段を択ばない、魂への技術を無作為と言えるレベルでばらまいてその収穫を行っていたのだ。


「うふふふふふ。ようこそこちら側へ。けど公共物の独り占めはよくないな、それ返してもらえないかな?」

「断る、そもそもこれは君の物と言う訳ではあるまい」

「そうだよ、それはこの世界の物だ、それを独り占めとは少し欲が強くないかい?」

「何と言われようが同じこと」

「んふーふ。議論は平行線、しかも今や君は無敵の存在って訳かい。ところで先生知ってるかな、今この国には重大な危機が迫っているんだ」

「…………」

「ふふふふ。だんまりかい? 門外漢とは言え聡明な君の事だ、気づいているだろう、帝国が進攻の準備を始めてるって」

「それは私には関係のない話だ」

「あっはっはっはっは。確かに無敵の君には王国が、王国民がどうなろうが知ったこっちゃないだろう。けど門の力が無ければ、魔術の力が無ければ王国の不利は絶対だ、敵は身体能力に優れる蛮族たち、今の王国じゃ勝ち目はないよ」

「それは私には関係のない話だ」


 ハリス教授は終始鉄面皮で同じ言葉を繰り返した。

 ジリと、冷たい時間が流れる。

 教授は変わらず鉄面皮、魔女はニヤニヤとにやけたまま。


「うふふふふ。まぁいいや今日の所は再開の挨拶と言う事で引いておこうか、どうせ今の僕に勝ち目なんてありっこないしね」


 魔女はそう言って踵を返した。残された教授は、静かに魔法陣の部屋へと戻って行ったのだった。


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