第16話 本

「さぁさぁどうでしょう、今ならお安くしときます。投げ売り価格のご奉仕価格。今ならおまけにこちらのノートも御付けしますよ」


 店主が示した価格は破格の安さ、飴玉一つ程度の価格だった。自分が文字の練習中であることをばらされたイルヤ姉は、それでも何とか踏ん張るも。


「それじゃ、そこの本とセットでこの値段ならどう?」

「おっと、いやいや、それは言い過ぎですよお嬢さん」


 横から見ていたチェルシーが参戦。彼女は奥にあった如何にもな古書を指さしながらそう言った。


「おいチェルシー、あの本は何だ?」

「ふっふーん、いや良く見れば児童書の他にも結構良いもの取り揃えているわよここ」


 チェルシーは、俺の言った事を聞き流し、ワクワク顔で本を吟味する。


「あっ、やっぱり! あっ、これは……。うそ! キンブリーの魔獣学まであるじゃない!」


 むぅ、何かは知らんが、チェルシーが猛っている。眼鏡の輝きが違う。


「ねぇお願い店主さん、これとこれを買うから、エルクイットの姉妹はおまけしてくれない?」

「おい、チェルシーちゃん」


 あっという間に置いてけぼりになったイルヤ姉はチェルシーに制止を掛けようとするが、本の虫がうずき出した彼女は止められない。


「はぁ、しょうがない。麗しい姉妹愛とお嬢ちゃんの熱意には負けたよ」


 暫くの値段交渉の末、店主は苦笑いと共に降参の白旗を上げた。


「はい、イルヤさん、ミントちゃん」


 チェルシーは、ホクホク顔で戦利品のおまけとしてもらった児童書をイルヤ姉に手渡した。


「全く、おせっかいだねぇあんたも」

「へへっ、王都っ子は厚かましいんですよ」

「ほいよ、ミント。これはあんたの物だ、チェルシーちゃんにお礼を言いな」


 イルヤ姉はチェルシーから渡された本を、ミントへと手渡す。それを受け取り、不安半分、期待半分の気持ちで、落ち着かずにいるミントに対し。イルヤ姉は苦笑いをしながらこう言った。


「大丈夫、あたしやアデムだって何とかなったんだ、あんたも直ぐに読み書きできるようになるさね」

「うん!」


 ミントは満面の笑みを上げながら、本を抱きしめた。





 蚤の市を引き上げて、シャルメルの家に付いた頃にはもうすでに日は暮れかけていた。


「ふぁー、ホントにいいのかいこんな所に泊めてもらって」

「あら、勿論ですわ。部屋は沢山余っておりますの」


 シャルメルの家は、学園近くの高級住宅街、その中でも指折りの豪華さだ。

 高々学生生活を送るのに、こんな豪勢な家を借り上げなくてもいいだろうと、庶民的には思いもするが、ミクシロン家クラスになると、逆の意味で選択肢が阻まれてしまうんだろう。


「さ、ご自分の家と思って御くつろぎ下さい」

「無茶言うね、あんたも」


 シャルメルのエスコートに、イルヤ姉は苦笑いをしながら門を潜る。ミントは今日見て回った、観光名所に負けず劣らずの高級住宅に緊張し、ぎゅっと俺の手を握ってくる。


「まぁまぁミント、俺も何度か泊めてもらった事はあるが、中は広くて快適だぜ、なによりシャルメルの家なんだ、気兼ねすることは無いぜ」

「おっ、お兄ちゃんそれどういう意味!? シャルメルさんとどういう関係なの!?」

「ん? あーいや、だからここは滅茶苦茶広いからな、何かにつけてみんなで集まるのに都合がいいんだよ」


 だから、けしてやましい関係ではない。


「おほほほ、そうですわ。ミントさん、私達は唯のお友達ですわ……今はまだ」

「しゃ、シャルメルさん!?」


 関係ではないんだから、そうミントをからかうのは止めてくれないでしょうか。シャルメルさん。


 シャルメルの冗談で肩の力が抜けたミントは、シャルメルに食って掛かりながら玄関のドアを潜る。


「さて、今日はお2人の来訪を記念して、ささやかながらパーティの準備をさせて頂いております」


 出た、ささやかなパーティ。ささやかの基準が一般庶民とは大きく違うミクシロン家のパーティだ。

 溢れんばかりの戦利品を取りあえず客間に置いた後、俺たちを出迎えてくれた広間には、所狭しと並べられた贅沢な料理に、あちこちに飾られた花の数々が出迎えてくれた。


「ちょっと、あんたこれ本気かい?」

「どうかいたしましたか?」


 シャルメルの奇行になれていないイルヤ姉が突っ込むも、シャルメルはキョトンとした顔をそちらに向ける。


「まぁまぁイルヤ姉、シャルメルにとってはこれが普通なんだ、観念して腹いっぱいになってくれ」

「はぁ、あたしゃ見てるだけで腹がいっぱいになりそうだよ」


 村では見る事も無い様な、豪華絢爛な料理の数々。それを前にしてイルヤ姉とミントは只々驚きと、呆れの表情を浮かべるのであった。





「はー食った食った」

「もう、恥ずかしいわお兄ちゃん」


 そうは言ってもシャルメル主催の身内パーティ。遠慮などして何になる。俺は極上の料理の数々を親の仇の様に平らげて行った。

 何しろ普段生活している教会は素食を美徳としている。肉料理なんてこんな機会じゃなきゃ腹に入る事も無い。

 勿論余りの料理も詰めてもらって、教会で大盤振る舞いする予定だ。


 客間には俺も含めて3人分のベットが用意されていた。旅行の間は姉弟仲良くここで寝泊まりする予定だ。


「エルクイットの姉妹ねぇ」


 俺はイルヤ姉たちが風呂に入っている間に、戦利品の一つである児童書に手を伸ばす。

 この物語は、意地悪な継母の策略で、森の中に置き去りにされた姉妹が、悪い魔法使いの罠に嵌った後、手を取り合ってそこから逃げ出すと言う物語。

 誰でも知っている童話であり、イルヤ姉達にはピッタリなお話だ。


「悪い魔法使いか」


 魔女は滅んだ、たしかに俺の止めは奴の芯に届いたはずだ。あの時の感触はしっかりとこの手に残っている。


「そう言えばあれが初めてになるのか」


 魔獣を殺したことは、数限りなくあるが、人間を殺したのはあの時が初めてだ。まぁあれを人間に含めていいのかは疑問に残る事であるが。


 だが、シャルメルの予想では、帝国と戦が近いとの事。もし俺が徴兵させることになれば、否が応でも追加の機会は幾らでもやってきてしまう。


 王立魔術学園は、その名の通り王国が出資している。その為にお声がかかれば国の為に真っ先に前線に送られる事になるだろう。


「何とか仲良くできないもんかね?」


 とは言え、彼方さんには彼方さんの正義と食い扶持がかかっている。そう易々と事は運ばない事は容易に想像が付く。

 まぁ今の俺は唯の学生の身、ここでぐちゃぐちゃと考え事を巡らせていても、何となるでも無し。

 そう言った事を考えるのは国王様や、ゲルベルトの爺さんの役割だ、王様たちならば、何とか戦争を回避するために動いてくれているだろう。


「お兄ちゃん! お風呂凄かったよ!」


 俺が益体も無い事を考えていると、風呂上がりのミントが俺の胸に飛び込んできた。


「おっと、どうだ? 凄かっただろう!?」

「うん! 凄かった!」

「なーんであんたが自慢してるのかね」


 燃料となる薪が豊富に手に入る村では、辺境の地であるにかかわらず、風呂に入れる機会は多い。そうは言ってもこの家の風呂は別格だ。

 ピカピカに磨き上げられた広大な大理石の風呂は、5~6人が優に入れる大きさで、公衆浴場サイズのレベルだ。


 ミントたちと入れ替わりに俺とジム先輩の男連中が入浴する。以前この切り替えのタイミング合わせに失敗し、女連中が入っている時に勝ち合ってしまったが、何度も同じミスを犯す俺ではない。

 入る前にきちんとノック。これだけ、これだけで回避できる土下座なのだ。


 と言う訳で、これと言ったドッキリイベントがある訳で無く、ゆったりとしたお風呂タイムを満喫できたのであった。

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